Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

「おくりびと」再考

2009-05-20 00:14:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

関西の大阪府、兵庫県下での新型インフルエンザの感染が、未だ収まる気配を見せないでいます。
先月下旬、中米にて初感染が認められて以来、我国の政府当局は、千葉成田の新東京国際空港などにての検疫強化で、水際阻止を図って来た訳ですが、その態勢をすり抜けて国内感染に至った模様。想えば既に、大型連休前には上陸していた可能性も考えられます。
ただ、ワクチンが開発途上の為感染力は強いものの、症状の重篤化まで進む例は少ない模様。とりあえずは外出後の手洗い、うがいを丁寧にする事と極力マスク着用、それにもしおかしいと思ったら、保健所に一報の上これも連絡の上、医療機関の発熱外来を訪ねるのが良い様です。

次に、先一昨日の日曜、久し振りでビデオ鑑賞の機会に恵まれました。とんとご無沙汰の映画、今春合衆国アカデミー賞の栄光に浴した我国の話題作「おくりびと」をようやく拝見できた訳ですね。初めは今月初の大型連休に見たかったのですが、この時は貸出ソフトが出払っていて諦めた次第。ご存じの様に、葬儀の折故人の遺体を棺に納める所謂「納棺師」の仕事ぶりとその人間模様を綴った物語で、準ドキュメンタリーとして捉えるのも良いかと思います。

初め、音楽家を志すも所属楽団の解散の為、行き場を失った男性が偶然扉を叩いたのが、葬祭事業の世界。
葬儀に関わる諸々を担う仕事。「故人の旅立ちのお手伝い」の標語の通り、納棺師としての出発の様が描かれます。
勿論そこはプロの世界。私の想像を超えた凄絶な状況がありました。
まず、神道、仏教、基督教、回教の別なく、あらゆる宗派に対応できなければならない。加えて亡くなられた方の遺体は、必ずしも全て綺麗な状態とは限りません。考えたくはないが、没後日数を経て、傷みが進んでしまったケースもあります。臭気も半端ではないその様な遺体も、同様に平等に扱わなければならない。納棺師途上の主人公は動揺し、嘔吐まで催してしまう。それを叱咤しつつ収容を進める社長・・・。
大変、でもそんな状況を落ち着いて捌くのがプロ。私は「もしこれが自分だったら、きちんとできるのかな?」とふと不安に駆られてしまったものでした。その他にも、故人の死臭が抜けず、周囲から疎んじられたり、余りに凄絶な仕事内容に、家族や知友がついて行けず、一時もめてしまったり・・・などなど、人間味のある言わば「心の行き違い」の場面も展開されます。
それは又、葬儀に集った会葬者の間でも交わされ、会葬者同士が言い争ったりと言う緊迫した場面もあり、それぞれに「現実の葬儀にても、こうした事があるのだろう」と思わされたものでした。

そうした鬱陶しい状況を乗り越えて、人は成長できる、との言葉を聞いた事があります。些か耳が痛いですね。苦笑
主人公は、物語の最後に、自らの父の最期を納棺師として見送り、一時遠ざかっていた夫人より、懐妊した事を告げられます。本当に「来る者、去る者」。これに絡んで、遺体を荼毘に付す火葬場の管理人の、会葬者に向けた語りに、深く我が心に刻まれるものがありましたので、ざっと記します。
「私は、亡くなられた方の魂がこれで終わったとは思いません。きっと、次の世界へのお旅立ちをなさるのだと理解しています。
ですから故人がお発ちの時には『行ってらっしゃい。次の世界でのご多幸をお祈りします』とお送りするんですよ。」決して正確ではありませんが、意味は大体こんな所だったと思います。人の最期、葬儀に携わる方々の哲学を聞いた思いがしたものでした。

一昨年初め、母方の祖父母の逝去の折、大いにお世話になった納棺師と葬儀関係の方々。映画では「隙間産業だ」と語られていましたが、決して大勢が進んで手を染めようとする業種ではない。だが、誰かが行わなければならない。そこに私は、この仕事の重さ、崇高さを見る思いがするのです。一礼・・・*(日本)*
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