コナサン、ミンバンワ!
12月も2週目となりましたが、季節は依然秋と冬との間を行ったり来たりの風情。先月初めの厳しい冷え込みは一体何だったのか、と思わされますね。尤も、来週辺りからは、本格的な寒さとなる予報であります。
さて、一昨日12/8は、1941=昭和16年に勃発した大東亜戦争こと太平洋戦争の開戦日でありました。拙認識としては、20世紀、そして昭和期に入り、軍事・経済などの面で大きく成長した当時の大日本帝国の強まる影響力を嫌った欧米列強が、国際社会よりの当時の我国の孤立を図り、追い詰められた結果、やむなく対米の戦端を開いたと言う事です。この事につき、大いに参考となる記事が一昨日付の全国紙、S新聞のコラム「正論」に載りました。文学者で音楽評論家、新保祐司(しんぽ・ゆうじ)さんの綴られた記事で、以下引用して参ります。
「日本人の精神再建する歴史哲学」
再来年2011=平成23年の12/8は、真珠湾攻撃の70周年にあたる。この節目を迎えるに際して、日本人はこの開戦と大東亜戦争について、文明史的、精神史的見通し(perspective)をしっかりと持って回想しなけれぱならないであろう。
と言うのは、これを機に来年あたりから、この開戦を巡って様々なメディアが問題とすることが予想されるが、その取り上げ方に危惧の念を抱くからである。
大東亜戦争と言う巨きな歴史的悲劇を回想するのには、相当な精神的エネルギーを要するであろう。又、過去の人々に対する礼節の心も大切である。しかし、今日の日本人の精神的エネルギーは衰弱し、礼節は払底してしまっている。
だから現今、先の戦争を振り返る時、大局的な見方が欠落し、参謀本部や軍令部の責任を追及したり、作戦の失敗の原因を調べ上げたりと言う局所的な営為に縮まってしまうのである。本来は、マクロ的な構想をもって回想されなくてはならないはずである。この様な構想力の衰退は、今日の政治経済政策がミクロ的にものに終始しているのと軌を一にしている。
「無謀さ」だけが強調され
この様に精神的エネルギーの脱力状態にあっては、昭和16年12/8の開戦について、敗戦後の日本において通念となっている「あの戦争は無謀な戦争であった」「勝ち目のない戦争に突っ込んで行った愚かな決断であった」と言う俗耳に入り易い見解、あるいは気分がますます支配的になって行く恐れがある。
そんな事を考えている時、S新聞の読書欄に、加藤陽子著『それでも日本人は「戦争」を選んだ』が紹介されていた。題名の中の「それでも」に興味をひかれて、早速一読した。
加藤さんは、1960=昭和35年生まれの東京大学文学部教授で、日本近現代史を教えている。専門は、1930年代の外交と軍事である。本書は、中高生に向かって講義した5回の授業をまとめたもので、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、そして太平洋戦争が講じられている。
戦後生まれの歴史学者が、どの様に戦争を論じるか、とても興味深く読んだ。「中高生」ならぬ私も色々と教えられる所があった。
しかし、私が最も知りたかったのは「勝ち目のない戦争」と分かっていたのに「それでも」なぜ、日本人は戦争を選んだのかについての精神史的理由であったが、その点は余り伝わって来なかった。
帯文に(普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが「もう戦争しかない」と思ったのはなぜか?)とあるが、この「なぜ」こそが、大東亜戦争を回想する際の、問題の核心なのである。
「にもかかわらず」が大切
日本が、短期決戦の方針で開戦に踏み切った事について、著者は「その辺りを考えて行くと、哲学的問題にまでなります」と書いている。歴史学は「哲学的問題」の手前の実証でとどまるべきかも知れないが、日本人の精神再建に必要なのは、歴史哲学ではあるまいか。
歴史哲学的には、この「それでも」が急所となる。人間の精神にとって「にもかかわらず」と言う意志が極めて大切であり、誇りの源泉ともなる。その精神が生きているか、死んでいるか、あるいはエネルギーを保持しているか、脱力してしまっているかの分かれ目は、この「にもかかわらず」である。
昭和16年12/8に「勝ち目のない戦争」である事は十分分かっていた「にもかかわらず」日本は開戦したのである。戦わなければ、戦わずして敗戦後の日本と同じ状態にさせられていた。
その方が、戦禍がなかっただけ良かったと思う人間も、今日多いかも知れない。そこまで日本人は安全と利害だけに関心を持ち、誇りと歴史に対する敬意と言うものを失ったのであろうか。
この「にもかかわらず」に、日本の近代の苦難精神史が凝縮されているのであり、林 房雄は、大東亜戦争を「大東亜百年戦争」の帰結と位置づけ、江藤 淳は、西洋に対する反逆として、西南戦争の西郷軍と通底するものを感じ取った。
この様な、歴史哲学的視点をもって回想しなければならない。
開戦の日に、戦後東京大学総長となった南原 繁は「人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ」と詠んで嘆いたが、私は逆に分明史的、精神史的に捉えた時の日本の近代の「にもかかわらず」の悲劇と誇りをこの「超えて」いる所に見る。
70年程前、日本の国民は戦って見事に敗れたが、今日の日本列島の住民は、戦わずして、ただダラダラと敗れて行っているのではないか。
随分長くなりましたが、新保さんのご見解には共感を覚えますね。
特に「歴史哲学」の視点が大切と言う所と、最後の「戦わずして敗れて行っているのでは」とのご指摘には本当に考えさせられるものがあると強く思います。
この、大東亜戦争こと太平洋戦争の日米開戦の一事にしても、「一方的な侵略だった」などと言う狭小な視点より脱し、もっと大きな「巨視の心」と「公正な視点」にて深く見る姿勢が大切なのでしょう。
想えば、この二つの心を形にした夢の乗物こそが、パノラマカーであった、と今思っている所であります。*(日本)*
12月も2週目となりましたが、季節は依然秋と冬との間を行ったり来たりの風情。先月初めの厳しい冷え込みは一体何だったのか、と思わされますね。尤も、来週辺りからは、本格的な寒さとなる予報であります。
さて、一昨日12/8は、1941=昭和16年に勃発した大東亜戦争こと太平洋戦争の開戦日でありました。拙認識としては、20世紀、そして昭和期に入り、軍事・経済などの面で大きく成長した当時の大日本帝国の強まる影響力を嫌った欧米列強が、国際社会よりの当時の我国の孤立を図り、追い詰められた結果、やむなく対米の戦端を開いたと言う事です。この事につき、大いに参考となる記事が一昨日付の全国紙、S新聞のコラム「正論」に載りました。文学者で音楽評論家、新保祐司(しんぽ・ゆうじ)さんの綴られた記事で、以下引用して参ります。
「日本人の精神再建する歴史哲学」
再来年2011=平成23年の12/8は、真珠湾攻撃の70周年にあたる。この節目を迎えるに際して、日本人はこの開戦と大東亜戦争について、文明史的、精神史的見通し(perspective)をしっかりと持って回想しなけれぱならないであろう。
と言うのは、これを機に来年あたりから、この開戦を巡って様々なメディアが問題とすることが予想されるが、その取り上げ方に危惧の念を抱くからである。
大東亜戦争と言う巨きな歴史的悲劇を回想するのには、相当な精神的エネルギーを要するであろう。又、過去の人々に対する礼節の心も大切である。しかし、今日の日本人の精神的エネルギーは衰弱し、礼節は払底してしまっている。
だから現今、先の戦争を振り返る時、大局的な見方が欠落し、参謀本部や軍令部の責任を追及したり、作戦の失敗の原因を調べ上げたりと言う局所的な営為に縮まってしまうのである。本来は、マクロ的な構想をもって回想されなくてはならないはずである。この様な構想力の衰退は、今日の政治経済政策がミクロ的にものに終始しているのと軌を一にしている。
「無謀さ」だけが強調され
この様に精神的エネルギーの脱力状態にあっては、昭和16年12/8の開戦について、敗戦後の日本において通念となっている「あの戦争は無謀な戦争であった」「勝ち目のない戦争に突っ込んで行った愚かな決断であった」と言う俗耳に入り易い見解、あるいは気分がますます支配的になって行く恐れがある。
そんな事を考えている時、S新聞の読書欄に、加藤陽子著『それでも日本人は「戦争」を選んだ』が紹介されていた。題名の中の「それでも」に興味をひかれて、早速一読した。
加藤さんは、1960=昭和35年生まれの東京大学文学部教授で、日本近現代史を教えている。専門は、1930年代の外交と軍事である。本書は、中高生に向かって講義した5回の授業をまとめたもので、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、そして太平洋戦争が講じられている。
戦後生まれの歴史学者が、どの様に戦争を論じるか、とても興味深く読んだ。「中高生」ならぬ私も色々と教えられる所があった。
しかし、私が最も知りたかったのは「勝ち目のない戦争」と分かっていたのに「それでも」なぜ、日本人は戦争を選んだのかについての精神史的理由であったが、その点は余り伝わって来なかった。
帯文に(普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが「もう戦争しかない」と思ったのはなぜか?)とあるが、この「なぜ」こそが、大東亜戦争を回想する際の、問題の核心なのである。
「にもかかわらず」が大切
日本が、短期決戦の方針で開戦に踏み切った事について、著者は「その辺りを考えて行くと、哲学的問題にまでなります」と書いている。歴史学は「哲学的問題」の手前の実証でとどまるべきかも知れないが、日本人の精神再建に必要なのは、歴史哲学ではあるまいか。
歴史哲学的には、この「それでも」が急所となる。人間の精神にとって「にもかかわらず」と言う意志が極めて大切であり、誇りの源泉ともなる。その精神が生きているか、死んでいるか、あるいはエネルギーを保持しているか、脱力してしまっているかの分かれ目は、この「にもかかわらず」である。
昭和16年12/8に「勝ち目のない戦争」である事は十分分かっていた「にもかかわらず」日本は開戦したのである。戦わなければ、戦わずして敗戦後の日本と同じ状態にさせられていた。
その方が、戦禍がなかっただけ良かったと思う人間も、今日多いかも知れない。そこまで日本人は安全と利害だけに関心を持ち、誇りと歴史に対する敬意と言うものを失ったのであろうか。
この「にもかかわらず」に、日本の近代の苦難精神史が凝縮されているのであり、林 房雄は、大東亜戦争を「大東亜百年戦争」の帰結と位置づけ、江藤 淳は、西洋に対する反逆として、西南戦争の西郷軍と通底するものを感じ取った。
この様な、歴史哲学的視点をもって回想しなければならない。
開戦の日に、戦後東京大学総長となった南原 繁は「人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ」と詠んで嘆いたが、私は逆に分明史的、精神史的に捉えた時の日本の近代の「にもかかわらず」の悲劇と誇りをこの「超えて」いる所に見る。
70年程前、日本の国民は戦って見事に敗れたが、今日の日本列島の住民は、戦わずして、ただダラダラと敗れて行っているのではないか。
随分長くなりましたが、新保さんのご見解には共感を覚えますね。
特に「歴史哲学」の視点が大切と言う所と、最後の「戦わずして敗れて行っているのでは」とのご指摘には本当に考えさせられるものがあると強く思います。
この、大東亜戦争こと太平洋戦争の日米開戦の一事にしても、「一方的な侵略だった」などと言う狭小な視点より脱し、もっと大きな「巨視の心」と「公正な視点」にて深く見る姿勢が大切なのでしょう。
想えば、この二つの心を形にした夢の乗物こそが、パノラマカーであった、と今思っている所であります。*(日本)*