早いもので今年2005=平成17年8月も下旬となりました。まだまだ残暑は厳しいですが、朝晩は少ししのぎ易くなったかな、と言う所です。
今、南の海上には台風第11号が本土を窺っています。最接近は明日後半の模様。大過なきを祈りますが、一部の地域で問題化している深刻な渇水を少しでも緩和してくれればとも思いますね。
さて今月の特集日記も、そろそろまとめへと向かおうかと思います。
過日も申した様に、先の大戦は1枚のカードの表と裏であったと私は思っています。
今まで触れられなかったまずは負の面に目を向けますと、
①1937=昭和12年に発生した旧陸軍航空隊による中国、重慶の空爆が挙げられるでしょう。犠牲者多数もさる事ながら、当時の空戦法規に抵触していた疑いがあり、今後我国がいかなる道を進もうと、こうした事の再発なき様、反省を加える必要があるでしょう。
②一部のメディアで活発に報じられている所謂「従軍慰安婦」の問題。この件につき私は、旧軍全体に及ぶ、女性の人格を大きく損ねる様な組織的な慰安活動があったのかどうかは判断を差控えたく思います。
公平な形での証拠が見出されていないからでありますが、一部には「火のない所に煙は立たない」のも事実で、そうした遺憾な動きがあった可能性も否定できません。
特に軍関係がそうした活動の為の場所提供などの便宜を図ったのは確かとされ、或いはその事が大きな誤解を生じてしまっているのかも知れません。
③1937=昭和12年に発生した旧軍が現地人の多くを殺害したとされる「南京事件」について。
この件についても犠牲者数につき、数万とも数十万とも言われ、諸説ある様ですが、
大量虐殺の様な事態には至らなかった様です。又、こうした行動は旧軍を悩ませたゲリラ掃討の結果、誤って現地人を殺傷してしまった面もある様です。
当時の権力者、蒋介石総統による「大量虐殺の事実なし」との証言によるもので、その解明には更なる歳月を必要とするのではないでしょうか。
次に明るい面を少し。
①皆様もあるいはご存知の様に、大戦中のヨーロッパはリトアニア国の領事代理として活躍した杉原千畝(ちうね)さんのご活躍が挙げられます。
ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党)の民族浄化政策の犠牲となって国を負われた多くのユダヤ系住民の切実な求めに応じ、敢えて本国の通達に反し渡航ビザを発給、数千名の助命を果たしたと言われています。通達に抵触した点はあるものの、これも1つの勇気ある行動として敬愛したく思います。
②台湾における日本人警察官の貢献。
以前、新聞記事にて目にした事ですが、
戦前の台湾では日本人警察官が地域の治安と発展に寄与していました。
地元住民より尊敬と信頼も集め、生活面の技術指導も積極的に行っていた由。
記事に出ていた警察官の方は大戦末期、地元民各位に対し「合衆国軍の捕虜になっても、生きるんだ」との言葉を残し、ご自身は自刃したとの事です。
現地人各位への遺憾な蛮行もあれば、現地の社会資本整備を推し進めた評価し得る面も存在します。やはり私にとっての戦争は、1枚のカードの「表と裏」なのであります。*(日本)*
今、南の海上には台風第11号が本土を窺っています。最接近は明日後半の模様。大過なきを祈りますが、一部の地域で問題化している深刻な渇水を少しでも緩和してくれればとも思いますね。
さて今月の特集日記も、そろそろまとめへと向かおうかと思います。
過日も申した様に、先の大戦は1枚のカードの表と裏であったと私は思っています。
今まで触れられなかったまずは負の面に目を向けますと、
①1937=昭和12年に発生した旧陸軍航空隊による中国、重慶の空爆が挙げられるでしょう。犠牲者多数もさる事ながら、当時の空戦法規に抵触していた疑いがあり、今後我国がいかなる道を進もうと、こうした事の再発なき様、反省を加える必要があるでしょう。
②一部のメディアで活発に報じられている所謂「従軍慰安婦」の問題。この件につき私は、旧軍全体に及ぶ、女性の人格を大きく損ねる様な組織的な慰安活動があったのかどうかは判断を差控えたく思います。
公平な形での証拠が見出されていないからでありますが、一部には「火のない所に煙は立たない」のも事実で、そうした遺憾な動きがあった可能性も否定できません。
特に軍関係がそうした活動の為の場所提供などの便宜を図ったのは確かとされ、或いはその事が大きな誤解を生じてしまっているのかも知れません。
③1937=昭和12年に発生した旧軍が現地人の多くを殺害したとされる「南京事件」について。
この件についても犠牲者数につき、数万とも数十万とも言われ、諸説ある様ですが、
大量虐殺の様な事態には至らなかった様です。又、こうした行動は旧軍を悩ませたゲリラ掃討の結果、誤って現地人を殺傷してしまった面もある様です。
当時の権力者、蒋介石総統による「大量虐殺の事実なし」との証言によるもので、その解明には更なる歳月を必要とするのではないでしょうか。
次に明るい面を少し。
①皆様もあるいはご存知の様に、大戦中のヨーロッパはリトアニア国の領事代理として活躍した杉原千畝(ちうね)さんのご活躍が挙げられます。
ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党)の民族浄化政策の犠牲となって国を負われた多くのユダヤ系住民の切実な求めに応じ、敢えて本国の通達に反し渡航ビザを発給、数千名の助命を果たしたと言われています。通達に抵触した点はあるものの、これも1つの勇気ある行動として敬愛したく思います。
②台湾における日本人警察官の貢献。
以前、新聞記事にて目にした事ですが、
戦前の台湾では日本人警察官が地域の治安と発展に寄与していました。
地元住民より尊敬と信頼も集め、生活面の技術指導も積極的に行っていた由。
記事に出ていた警察官の方は大戦末期、地元民各位に対し「合衆国軍の捕虜になっても、生きるんだ」との言葉を残し、ご自身は自刃したとの事です。
現地人各位への遺憾な蛮行もあれば、現地の社会資本整備を推し進めた評価し得る面も存在します。やはり私にとっての戦争は、1枚のカードの「表と裏」なのであります。*(日本)*