Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

名鉄パノラマカー回顧Ⅵ

2009-08-24 00:59:56 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!2009=平成21年8月ももう終盤、盛んに鳴いた蝉が生を終え、あちこちにその亡骸が見られる時季となった。昨日は二十四節季の一「処暑」だったそうで、蝉の鳴き声も次第に元気がなくなって来ている様に感じる。

さて今年8月と言えば今月の表題、名古屋鉄道パノラマカーの全面退役が今月末に予定されている。既に公式には全ての運転を終え、残るは8/30(日)の最終運行、ラスト・ランを残すだけの様だ。

残念だし考えたくはないが、どの様な功労者にも、どんな名誉に浴した者達にも、終末の時は等しく訪れる。パノラマカーについても、その退潮に触れない訳には参らないだろう。

それに先立ち、パノラマカーの安全装備の補足を1つ。正面下部の副前灯両脇の油圧緩衝装置はつとに有名で、良く良く考えればこの装備、大昔の鉄道車両が良く用いていた旧型のねじ連結器の緩衝装置にヒントを得たものだった様だ。デビュー当時は極めて斬新だったパノラマカーも、必要な所はちゃんと伝統に学んでいたと言う事だ。もう一つ、全盛期の同車に不可欠だったのが、上方の主前灯の間に装備された「フロント・アイ」と呼ばれるレンズを用いた視界補助装置。死角の多い上部運転台の視界を補う為、初デビュー数年後の増備車より標準装備となり、それ以前の全先頭車にも追加されている。この事を見ても、同車の安全への配慮は特段のものだった事が分かる。

昭和末期、1984年より87年にかけ、当時の新特急車「パノラマDX」への部品譲渡と言う発展的解消の意味での最初の廃車を遂げたパノラマカーであったが、昭和より平成へと改元され暫くすると、いよいよ経年による本当の引退廃車が開始される。

1998=平成10年の初夏、名古屋鉄道経営陣により、向こう約10年でパノラマカーを完全退役させる方針が確認され、それに基づき同年より2000=同12年頃にかけ、約20車が最初の廃車となる。つまり、21世紀を迎える前に消えた仲間がいたと言う事だ。名古屋鉄道のみならず、JR各社や他の私鉄にても、ある程度経年を重ねた車両は、人気車種を中心に寿命の延伸を図って更新修繕が実施される事が多いが、その工事に漏れたグループが戦列を去った事となる。

この時期になると、パノラマカーの座席指定特急の運用はほぼ終わり、急行以下の列車には、加減速と省電力性能に優れた片側3扉の通勤向け車両が大量に登場する。時代の変化は速く、最早元特急車、パノラマカーの功労を以てしても、名古屋鉄道線の利用実態は、名鉄名古屋、金山と言った大駅にての乗降性を初め、カバーし切れなくなって行ったのである。その事が、同車の退役を促す結果となったのは想像に難くない。それを更に加速した一つが、2000=平成12年9月の東海豪雨による鉄道施設の水害被災であろう。次号にては、その事にも触れながら今世紀に入って急加速した本格引退への軌跡を追ってみたく思う。

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処暑~想い出の夏の風

2009-08-24 00:14:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

前回の拙記事までで、ひとまず知友各位への伝言の形を終わり、今回より今月末までは、いつも通りの文言にて進めたく思います。
知友各位よりは、ご多忙の中全員の方より返信のコメントを下さり、誠に有難うございます。内容的にも、それぞれの真摯な姿勢が表れており、私も大いに学ぶ所多く、大変恐れ入りました。この場を借りて、厚くお礼申し上げます。

所で昨日は、二十四節季の一「処暑」であったとか。晩夏の時期、さしもの暑さも収まって来る時期と言う事でしょう。と申して、スポーツの世界はまだまだ熱い。今日決勝の夏の全国高校野球、当地愛知代表が、何と思い出の地磐越を擁する新潟代表とのガチ対決!最早どちらが勝っても良い。兎に角今は、悔いのない濃い内容の試合となる様心がけて欲しい所。それと世界陸上大会女子マラソンにても、銀メダル獲得の快挙がありました。

昨日の朝ですが、集合住宅である拙居所のベランダにて、一匹の蝉がその生を終えました。夜が明ける頃、いつもと異なる羽音に気づき、外を見ますと件の蝉が横たわり、羽をばたつかせていました。それは正に、逝く夏を表している様でした。

陽が高くなってから、近所の馴染みの喫茶店へ朝食に赴いたのですが、途中の専用駐車場の拙愛車の駐車位置にも、少し前に息絶えた蝉の亡骸がありました。移動を試みると、簡単にバラバラと崩れてしまい「なる程、こうして土へと還って行くのだな」などと思った次第。

今年2009=平成21年8月も後1週間となりましたが、知友の方々との良き交流のお陰もあり、今度も良き夏になったと思います。
今春、自転車絡みの事故負傷した母も、時間を要しはしたものの、療養の成果もあって少しずつ回復しつつある様です。無理は禁物ですが、両親とも高齢となりつつある事を考えれば、いつまでも共に健やかに過ごせるかは疑問符の残る所。今の良き状況に限りがあるならば、残りの年月を、少しでも悔いのなき様家族としてできる限りの事はしておきたい、などと愚考しているこの頃ではありますね。

報道や政府見解にてもお分りの通り、新型インフルエンザが更なる流行の兆しを見せています。
うがい、手洗いと言った基本予防策の徹底は勿論の事、栄養と共に睡眠を初めとする休養を少しでも多く摂り、身体に少しでも変調あれば、速やかに医療機関の診断を仰ぐなど適切に行動しなければと思っている所。更に、拙両親の様な高齢各位やご懐妊中の女性、そして既往の病気のある方は、命に関わる重症となる危険が付きまとうのも事実。そちらの注意も新たにしたい所です。

勤務先も学校も、秋は何かと忙しくなる時期。インフルエンザの危機を何とか乗り越え、健康安全な、濃い内容の秋、そして冬にしたいとの想いは、多くの方々がお持ちではと強く思いますね。*(風鈴)*
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夜空~想い出の夏の風

2009-08-20 23:52:00 | インポート
ミーSAN今晩は。先日は、北海道奥尻島の画像ご報告、誠に有難うございます。
ここは、お話にもあった様に1993=平成5年夏の北海道南西沖地震の折、巨大津波に見舞われて多くの人的犠牲を伴う壊滅的打撃を被った様子が、改めて理解できた次第。改めて犠牲各位のご冥福をお祈りすると共に、今のこの島の復興を、心よりお祝いしたく思います。

想えば、この津波の1年半後の1995=同7年初、今度は関西にての阪神・淡路大震災が生じたのでありました。思い出の地、神戸を直撃したこの震災。不気味な揺れは、当日早朝当地名古屋でも感じられ、横揺れが相当に長く「もしかすると、我国のどこかが大地震に見舞われているかも」とは思いながら、図々しくも再び一眠りする始末でした。

当日7amのTV報道にて、見慣れた神戸の街が火焔に包まれ崩落して行くのを目の当たりにした時は「何かの間違いでは」とつい思ってしまいました。倒壊した高層建物に高速道、ねじ曲がった線路上にて転覆した列車・・・しかしどれも、現実の映像でした。
数千と言う半端ではない犠牲・・・これが、震災に襲われた大都市の姿である事を否応なく認識させられたものでありました。こちらも、改めて哀悼の意を表したく思います。神戸も、奥尻島に負けず、良く復興を遂げていますね。

この夏は、お互いの地がしばしば揺れに見舞われました。当地は、近い将来の東海大地震の発生が懸念されています。先日の静岡・駿河湾にての地震が、この可能性を引き寄せてしまった事については、気象庁も完全には否定していません。
「明日は我が身」やはり、この自覚を新たにする必要がありそうです。
過日、貴女より震度6の揺れの凄まじさを伺った記憶があり、東海大地震が現実となった暁には、この位の揺れを覚悟しなければ、と思っている所です。余り楽しいネタではありませんので、地震の話題はこの辺で。

次に、今夏私は拙母負傷の療養などもあって、余り遠出ができなかったのはご存じかと思います。そんな折でもあり、読書好きな父の影響もあってか、これまでより本を読む時間が取れたのはまあ良かったのかな、とも思います。今夏、一番読みごたえがあったのが全国紙S新聞大阪社会部が編集した「死の教科書」でした。本書は、2005=平成17年春、兵庫県下のJR線にて生じた、100名を超える犠牲を生じた大列車事故の取材をきっかけに、家族や愛する人が突然失われる不条理を追う事により、色んな生と死の意味を様々な角度より取り上げた、濃い内容でした。その記事とも関係する事の様な気が致し、ここに、先月貴女がお詠みになった詩を、恐れながら引用させて頂きます。

「本当の自由 本当の幸せ」

今のわたしは 行きたいところに自由に行ける

食べたいものは 何でも食べられる、、、

こんなに自由に見えて 幸せな生活でも 本当の自由なんて何処にもない

私が一番欲しいのは 一番行きたいところは あなたのところ、、、

この下りを拝読して、私は本当に考えさせられたものでした。
「幸せの根源」とも言える、お言葉の事のできない方々が余りにも多い。
毎年、この時期になると私が避けて通れない「戦争と平和」の問題で、多くの家族や親族友人が引き裂かれ、終生再会叶わない例だってあるのです。あるいは前述の様な事件事故で、大切な方の命が奪われ、やはり共に生きる希望が断たれる例も。
殺傷こそしていないものの、あの朝鮮民主主義人民共和国による日本人拉致の事件もそうです。
その様な凄惨な事共に触れるにつけ、曲りなりにも家族親族知友がつつがなく行っている私なぞは、心より感謝しなければ、などと頭では思っている所です。

又々話が重くなってしまいました。ご免遊ばせ。先日の拙記事にても触れましたが、今月末の8/30(日)には第45回衆議院総選挙が執り行われます。今度と言う今度こそは、祖国日本のこれからを左右する重要な意思決定の日である様に思われます。
ここはお互い、強い信念を以て、厳しい一票を投じたいものであります。
「本当の自由 本当の幸せ」に少しでも近づく為にも・・・。*(三日月)*
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名鉄パノラマカー回顧Ⅴ

2009-08-19 23:47:52 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!2009=平成21年8月ももう後半、今月の拙ブログにて触れている、今月限りでの勇退が決まった名古屋鉄道の名物車、パノラマカーの記念運行も公式には後2回を残すのみとなった。その内当地名古屋市内まで足を延ばす行路は後僅か1回。今度の日曜が最終便となる予定だ。惜別の人出も多くなりそう。そうは申しても、かくなる上は、例え拙居所の近所だけでも何とか1枚でも多く記録画像を残したい、と思っている所だが。

さて、大阪万博が開かれた1970=昭和45年頃から実子パノラマ・スーパーの出現する昭和の終わり頃までの約20年間が、パノラマカーの全盛期と言う事になるのだろうか。この年になると、まず兄弟分7500型が全て出揃い、後まで増備される本家7000型もモデル末期へと進む。1973=同48年には、パノラマ一族の殿軍とも言える非展望正面の特急車、ニセ・パノラマカー7700型も登場、正面貫通路扉を持つ地味な半流線型ながら、パノラマカー同様の走行性能を有し、足周りは東海道新幹線流の改良型へと進化。これが翌年から翌々年にかけ現れた、パノラマカー最終車へも、そしてその後の各新型車へも継承される事となる。パノラマカーの最終車は1975=昭和50年に落成するが、この12車は全て朝夕ラッシュにも対応した増結用中間車で、乗降扉は片側2ヶ所ながら両開式で、少しでも乗降を容易にする為の配慮が見られた。逆に申せば、一般の列車よりは、片側2ドア車は将来消える事を暗示していたと言う事だ。

1982=昭和57年よりは、競合する旧国鉄東海道線との対抗上と、先日触れた某野党県会議員団の提言をも容れて、白帯を掲げた改良内装を持つ、特急仕様車もデビュー。パノラマカーの歴史は頂点を迎える。1984=同59年には、より高質な居住性とサービスを追求した新特急車「パノラマDX」が出現。当初貸切専用として活動した。この車両は名義上パノラマカーよりの改造とされ、これの部品供給の為、この年初めてパノラマカー中間車の一部に廃車を見る。実質的には引退ではなく発展的解消であったのだが。このパノラマDXの意匠が後年登場のパノラマカーの実子と言われる「パノラマ・スーパー」へと繋がるのだが、パノラマ兄弟7500型とパノラマDX8800型のデジタル画像を残さなかったのは、返す返すも不覚な事である。(以下次号)

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進路~想い出の夏の風

2009-08-18 22:40:00 | インポート
うさSAN今晩は。お盆休み中は、墓参大変お疲れ様でした。ご高齢の父上には、大変お辛い行程の様ですね。どうかご無理のない様にお願い致します。
これから9月にかけ、暑さから来るパテが出易い時期ですね。梅雨が長く、暑さが少なかったとは言え、油断は禁物でしょう。夏場にもかかわらず、新型インフルエンザも依然流行っているだけに、お互い健康面は、普段以上に留意する必要がありますね。

さて、毎年夏の拙日記は、どうしても避けて通る事のできない「戦争と平和」についての事共が主題となる訳ですが、今夏は芸能界の薬物汚染が表面化した事も特筆されます。
今月初め、首都圏にて露見したそれは「まさか、あの方が・・・」てな感じで、容疑が初めて明らかになった時には、正直我が目と耳を疑ったものでありました。この女性容疑者は、夫君も薬物容疑で先に逮捕されており、家族間、家庭内にても薬物汚染が深刻化している事を示しているのでは、とも思います。

それにしても、薬物に頼る行為自体、人間の心の弱さを見る思いがするのも事実です。現代社会は都市、郡部の関係なくストレスが多い。一時でも良いから、それから逃れたいとの気持ちも分からないではない。
しかしながら、薬物使用は一回とか、一時だけでは済まされない事が多い。習慣になり易く、価格も相当に高い。昂じれば精神面が不安定になり、周囲への危害をも及ぼしかねない。健康、経済の両面で大きなダメージとなり易い現実もあるのです。

こうした違法な薬物は、やはりアジアの途上国、一部は朝鮮民主主義人民共和国より来ると言う情報もあります。ご存じの通り、同国は無法国家の実態があり、違法薬物を買う事は、こうした好ましくない国々を利する事になる。この事が分かっておれば、安易に薬物に手が出せなくなるのでは、と考えるのは甘いでしょうか。薬物を寄せ付けぬ様、自我を強くすべきであるのは勿論ですが。

薬物問題に関し、政府当局も薬物の危険性につき、それなりの啓蒙を行っているのは認めますが、まだ脇が甘い様な感じもするんですよ。
「薬物は、この様な国々から入っている。だからそんな物を用いるのは、祖国日本を危うくする」と言う主張を込めても良い、と私は思うのです。
野党勢力も怠慢です。安保と憲法の問題にはすぐ目鯨を立てるくせに、「北」の日本人拉致や核兵器開発、それに違法薬物の流通などについてはダンマリです。不誠実にも程がある。これぞ誠の「無責任」でしょう。

うさSAN、ご存じの様に、今日衆議院総選挙の告示がなされ、立候補の各位が報道されました。中には気鋭の若い候補や、祖国日本のこれからをくれぐれもお願いしたい、と思う方もある一方「お前なんか出るな!」と罵声を浴びせたくなる不心得な向きもあります。
候補者も政党も、色んな角度より見た巨視的で、公正な視点より支持する所を選びたいもの。餓鬼だった私にそんな事を教えてくれたのは、今夏勇退の迫った愛知の名物電車「パノラマカー」でした。*(新幹線)*
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