Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

令和でGO!その7

2019-05-17 21:33:04 | 社会・経済

小学生や幼稚園児などの子供達複数が巻き込まれる深刻な交通事故多発と共に、大変芳しからぬ遺憾な事態が 表にならぬ仮面だけの親達の暴力による児童虐待問題だろう。千葉県下での女子小学生虐待死事件がその典型。暴虐極まる父親と称する鬼畜男の振舞いを抑えられなかったとして 幇助罪に問われた母親の公判が始まった様だが、事件の全貌を明らかにすべく 全てを語る事を望みたいものだ、その上で、父親と称する鬼畜男の罪業を厳しく糾す様願いたい。

こうした虐待には 更に遺憾な事に性暴力を伴う場合もある様だ。そうした事件に対し、この度対照的な判決が出た。当地愛知の名古屋地裁岡崎支部では、未成年の娘に対する性暴力事件につき 被害者の不同意を認めながらも抵抗不能とはいえない状態だったとして、あろう事か父親の被告に無罪判決が出され、検察控訴は当然だし 国民市民レベルで異議表明が相次いでいる。直後の 青森県下の同様の事件については、青森地裁八戸支部が 同様に未成年の娘に対する性暴力に及んだ父親に対し、準強姦罪で懲役 6年の実刑判決が出され、被告弁護側の不控訴方針もあって このまま確定の見通しだ。どちらの判断がより正義を反映しているかは明らか。司法として誠に粗雑な愚かしい判断がされた事は、当地愛知の恥である。

繰り返すが、交通事故も虐待問題も、もう行政が適切なレベルで必要な介入をすべき段階に来ていると心得る。「子供達を守れない社会は滅ぶ」のだ。深刻な交通事故を放置していては 未来の自動車の乗り手を大きく減らし、それが車社会と道路交通の衰亡をもたらす。かねて批判の多い 揮発油税や自動車重量税が異常に高額なのは、財務省がこうした事象を見透かしていて 狡い理論武装で道路財源確保を図っているせいと、日本自動車連盟 JAFを含む各方面から繰り返し指摘されている。しかし それにしても若い人口が減ってしまっては、この様な小手先の細工もいずれ行き詰まるだろう。

既に北海道などの郡部では、国道々路橋の架け替え更新や道路陥没修復の叶わぬ箇所が出始めていると言うではないか。自動車メーカーの動向も楽観できない。今年に入っての トヨタ自動車のお家芸ともいえる ハイブリッド自動車技術の特許無償公開は、このままでは日本車の技術面までいずれ暗雲がかかる事を予見していないとは言えないのではないか。悪くすれば 半世紀も後には高速道路の相当区間が廃墟と化し、自動車産業の多くも左前・・という様な事態となりかねない。続発する交通事故の再発防止努力と全国民市民が本気で向き合わなければ、明日の車社会は確実に息絶える事だろう。

交通事故と児童虐待の問題を通見して感じるのは、事故の問題については「慎重な運転者が」虐待問題では「愛情あるはずの親達が」間違いや暴力などの問題を起こすはずがないと決めつける、安直な「性善説」が跋扈し過ぎている事だ。児童虐待と対峙する最前線ともいえる 児童相談所のあり様さえそうである。国会でも問題となり、野党側からも「児相と警察を連携させた対応が必要では?」との声があった。拙者としては、警察或いは刑事分野に強い弁護士勢力との連携も進め、特に父親と称する鬼畜男の暴虐を許さぬ断固とした姿勢で臨む必要があるだろう。一部は母親にもそうした向きがあるのかも知れないが。もう今は、こうした怪物的勢力は 児相だけで対応できるものではないと思う。簡単に脅しに屈するあり様を見ても、警察や司法の後ろ盾は是非必要だ。

その上で、国民市民レベルでも「交通法規を守ってさえおれば、命は安全」とか「親子の間で暴力などない」とする 浅薄な性善説を真に受けた様な判断に陥らぬ様、我々国民市民も 思考を新たにしたいものだ。交差点などの防護施設を少しでも充実させる一方、やはり道路横断の折などは 注意を疎かにしている運転者があるかも知れぬとの用心深さを徐々に身に着け、一定の危険があっても避けられる自助努力を養う姿勢も必要だろう。

児童虐待問題は、家庭内の密室的場所でも起こり得る為 周囲の見守りが難しい所だが、これまでの悲劇をデータ化し 抑止と再発を防ぐべく どんな取り組みができるかを絶えず見極めて頂きたい。そしてこれは、見守る我々の協力と援護も必要だろう。そうした強い姿勢を示す事が、一定の歯止めになると共に 犠牲になった方々への供養にもなり得ると心得る。今回画像は、先年の春先 当地名古屋西郊の近畿日本鉄道線を大阪方面から上って来た 名阪間特急「アーバンライナー・ネクスト」の様子を。

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令和でGO!その6

2019-05-14 21:29:51 | 国際・政治

作曲家 湯川れい子さんが SNSにて日本国憲法第 9条を「大切な宝」と表された事につき「アホと違うか?」の意の非難が多く寄せられている様だ。粗雑な表現さえ改めればれっきとした反対意見。それなら堂々と対峙すれば良いが、明らかに空想的とはいえ 湯川さんの人格まで貶める様な表現は如何なものか。

例えば有田芳生・立憲民主党参議みたいな自称反ヘイト活動家辺りから「ヘイト表現!」などと騒ぎ立てられ 些か面倒な事になるのがオチではないか。因みに同参議、以下の事案向けの 他からの非難メッセージを蒸し返す様な愚行に及んでいるらしい話も聞いた。

湯川発言と対局を成す様な事態が本日生じた。当該は、丸山穂高・日本維新の会衆議である。5/10~13間に行われ、参加の北方領土「ビザなし渡航」の途中 5/11土曜、国後島の施設「友好の家」にて元島民各位との会合で「戦争で島を取り戻す事に賛成?反対?」「戦争に及ばなければどう仕様もなくないか?」などの発言でトラブルになっていた様だ。因みに同衆議、この時はかなりの酒気帯び状態だったらしい。

総理官邸側からの連絡で事態を知った日本維新の会は、丸山衆議の発言を重くみて 本日の持ち回り常任役員会で 現大阪市長でもある松井一郎代表の強い意向もあって 提出の離党届を受理せず除名処分を決めた由。確かに穏やかな表現ではない。少なくとも 現行憲法下の平和志向を標榜している以上「戦争」の文言を持ち出すのは 思っていても言う事為す事ではなかったろう。特に、酒に酔った勢いだった所を 丸山衆議には厳しい反省を求めたい。

それを踏まえた上で「戦争で取り戻す」の言葉が 手段としては厳に不適切だったにせよ、元島民各位に向けた「賛否を問うただけ」だったのも事実である。これに際し「戦争の文言は拙いにつき使わず、奪回防衛実効支配にて取り戻すと表すべきだった」との指摘も聞いた。ある高名な医療関係の方のご見解だが、丸山衆議には言葉を尽くして欲しかった。又 慎重万全を期すべき事案なら、決して酒の入った状態で踏み込んではならなかったのではないか。

話を戻す。戦争で奪われた領土を、同じ手段で奪い返す事は 世界史の中でままある事だ。我国は憲法の制約で不可能だが、質問内容としては ありふれていたものだ。明らかに不当に奪われた 北方領土の事を当てはめてみて参りたい。2010=平成22年5月、露の「対独戦勝記念日」に、メドベージェフ大統領(当時)が記者会見の席上で発した「第二次大戦で片がついているのに、未だに領土返還ほ求める様な敗戦国がある。戦争で出た結果は戦争でしか変わらない」という言葉だ。

この同大統領発言、今回の丸山衆議発言を問題視する NHKや TVA、朝日新聞などの主要メディアは触れず終いだった由。例外は産経新聞ただ一社、しかも小さい記事だったとか。一方で 丸山衆議の前述発言は大問題視して取り上げる。既成メディアの姿勢は やはり偏っている様にみられても仕方がないのではないか。今後同衆議の進退問題にまで発展するのはやむを得まい。丸山衆議は SNSでは謝罪した由だが、それでは枝野立憲民主党代表の反省表明と同レベル。本気で議員職に留まるつもりなら、更に踏み込んだ謝罪と説明を要するのは言うまでもなかろう。又 次の衆院選では必ず国民の信を仰ぐべきだ。些か組織防衛の感あるとはいえ、日本維新の会が取った処置を 拙者は冷静に受け止めたく思う。

湯川さん、そして丸山衆議への非難も 結局根は同じ様な気がする所だ。反対意見は現憲法も保障の通りの自由だし、立場の異なる応酬の場面もそれはあろう。但し 対象の人格までも損ねる出方はアウトである。批判も反対も、そこの所への留意ができなければ 初めから発言しないという選択もあるはずだ。勿論これは、拙者が発言に及ぶ時の注意点でもあるのだが。今回画像は、雨の JR中央線・多治見駅を通り過ぎる 長野方面向け燃料列車の様子を。

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令和でGO!その5

2019-05-11 21:11:44 | 国際・政治

お蔭様で、当地愛知は 日中やや暑くも五月晴れの日々が続く。まだ真夏程の高温ではなく、戸外の諸事に取り組むには好い時季と言えるだろう。勿論安全第一。先日までの、東京・池袋や滋賀・大津の両交通死亡事故の様な惨劇を再発させてはならない。それを踏まえながら 少しでも諸事が捗れば・・とも思う所です。

さてその両事故に関してだが、東京・池袋事故の当事者 高齢の元男性官僚の自宅が家宅捜索された様だ。逮捕こそされなかったも、これは当然の処置。「元官僚の上級国民」の様な言われ方までされる様では、被害者視点からの事故対応に不公正があるのでは?と見られても仕方あるまい。そうした印象を払拭する意味でも、警察や司法関係各位は 強い姿勢での対処をお願いしたい。事故犠牲各位への、改めての弔意は勿論だし、そうした強い姿勢での取り組みが 犠牲となった方々への大きな供養となるのだ。

滋賀・大津の事故では、本来被害者であるはずの 犠牲児童各位の通った保育園関係の方々が記者会見の席で 取材陣から吊るし上げの様な質疑に遭い、園長の号泣まで招く事態へと進んだ。保育園関係各位の児童たちの指導監督には全く落度がなく、非難さるべきは右折注意義務を怠った女性容疑者と 道路防護施設を不十分なレベルのまま放置した大津市だろう。それらを知りながら 読者・視聴者ウケを狙ったパフォーマンス(実はアホーマンス)に走った報道各社の堕落ぶりは これ又国民的多数の非難の標的になって良い。それこそ「サンド・バッグになる覚悟を持て!」と申したい。

これに関連しての事でもあるが、今春 東京都内にて皇居を初め 飛行禁止エリアで小型無人飛行物体ドローンが複数回飛ばされたのはご存知だろう。首都圏には 機密を要する三自衛隊や同盟関係にある在日米合衆国軍関連施設も多くある。与党側から こうした所の飛行規制を強める法改正案が出たのは当然だ。

予定調和ともいえるが、こうした法改正の動きに対し、新聞協会が「国民の 知る権利を阻害する」などとして再考を求める意見書を 菅内閣官房長官宛て提出したんだと。下手をすれば 我国の独立と根本的な安全まで脅かしかねない事共にまで取材の自由を保障せよとは、本当に「お前らアホか?」と罵らざるを得ないではないか。

国会議員にも、頭のおかしな輩がいる様だ。一人は「変な夏女」福島瑞穂・社民党参議。新聞協会の意向を汲んでかどうかは知らぬが、やはり法改正の動きに不快感を漏らした様で「参院内閣委で議論の ドローン規制改悪法案は、大きな役割を削ごうとするもの。在日米軍基地のフェンスを越え 沖縄・高江や辺野古の様子が画像撮りできた。それをできない様にするのはおかしい」とする。まあ、法改正を一方的に改悪とする 福島参議の思考こそおかしいのだが。

「変な夏女」はもう一人、蓮舫立憲民主党参議も「同じ穴の貉(むじな)」だろう。党としての対案を用意した由だが、これが何とも抜け穴ばかりのザルレベル。これ又「屁でもこいてるのか?」と罵りたくなる代物だ。それによると、国民の知る権利と報道の自由を顧慮し 報道目的の場合は 自衛隊や在日米軍関連施設上空の飛行を認める内容なんだと。全く「ふざけるな!」の一言だ。報道関係を装った、スパイ目的の飛行だって不可能ではないし、どうやって検挙するかの方法を詰める所も不十分の様だ。対案の体を成してないと申しても良いだろう。最早取り合う価値もなさそうだ。

「第四の権力」なる大きな影響力を謙虚に担う自覚もなく、徒な部数増や視聴率拡大に狂奔する既成メディア勢力の体たらくは 全く二流以下の週刊誌などと同レベルかそれ以下だ。更に困るのは、この「腐った勢力」が相当数の国会議員を輩出している事。その政治的影響力も、民意とは無関係に増大しているのだ。前述の蓮舫参議もそうだが、既成メディアから出た野党両院議員にロクな人物はいない印象だ。

単に「TVで馴染みの顔だから」などといって安易に投票すると、後でとんでもない事態を招きかねないのではないか。来月には参院選が控える。もう今までの既成メディアに毒された価値基準は捨て、少しでも 国民市民各自の信念と主体的意思で代表者を選べる様、知性面の底上げを 地道に図る必要があるのだろう。今回画像は 当地南郊 刈谷・大府両市境付近を行く 東海道・山陽新幹線試験列車「ドクター・イエロー」の様子を。以下に、関連記事をリンク致します。(私的憂国の書様) http://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-3456.html

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令和でGO!その4

2019-05-09 15:26:26 | 国際・政治

先日も触れたが、先の連休中は 全国で相当規模の交通事故が相次いだのだが、昨日 滋賀・大津にて更なる悲劇が生じた。琵琶湖南東の湖畔を行く県道で乗用車どうし打ちが発生、悪い事に その内一台が交差点で信号待ち中だった園外活動中の幼稚園児と保母の方々に突入、少なくとも園児 2人の犠牲と、10人超の重軽傷者を伴う大惨事になった由。当初 双方の女性運転者が現行犯逮捕されるも、青信号により直進中だった方がひとまず釈放され、右折側の女性容疑者が引き続き取り調べ中の模様。まず、希望の未来を奪われた 犠牲園児各位への弔意と、負傷各位へのお見舞いを申したい。

それにしても 事故当事者たる運転者の厳重な問責は当然なるも、車道と歩道を隔てる防護が縁石だけだったという設備面の問題は如何なものか。事故現場は我国屈指の風光を誇る琵琶湖畔。近辺に 人生経験値の極めて少ない子供達の通う保育施設が控えるとあっては、カード・レールを初め安全柵の設備は 例え横断歩道辺りの設置が難しいとの事情があっても設けられるべきだったのではないか。

拙想像も入る事をお断りした上で申せば、一つには 琵琶湖周辺の景観配慮から非設置だったという線もありはしないかと考える。事実なら「何よりも、子供達の安全が大事」との決意と判断が軽くなっていなかったか?この事故に関しては、そうした所まで踏み込んで検証がされないと 再発の防止は難しい様に思えるのだが。その上で、我々が国民市民レベルで自覚すべきは「子供達を守れない社会は滅ぶ」という厳しい未来だろう。事件事故で幼い命が落とされるのは「未来の健全な納税者達」の命を奪う事に他ならないからだ。こうした事故の抑止策が強く打ち出されなければ 車社会や道路交通は当然衰亡の道を辿るし、何よりも国家社会そのものの明るさと活力が、確実に傾いて行く事になるからだ。これは、令和期早々から重い課題を突き付けられたと申して良いのではないか。

前置きが長くなったが 本題です。長らく棚晒し状態だった衆院憲法審査会に、ようやく少しの動きがあった。今日午前 国民投票に関する民放TVCMのあり方につき、民放連こと日本民間放送連盟からの意見聴取が行われた由。今国会初の実質的議論が行われた訳だが、改憲へ向けての状況は 決して楽観視できないのも事実の様だ。以下 某ネット記事を引用して みて参りたい。

「民放連、CM規制は政党が自主対応を=衆院憲法審、今国会初の議論」

衆院憲法審査会は 5/9木曜午前、憲法改正国民投票に伴う TVCM規制の在り方について 与野党全 10会派出席の下、民放連から意見聴取した。永原 伸・民放連専務理事は 法規制に否定的な立場を改めて示し、政党による自主的な対応を求めた。憲法審での実質的な議論は今国会初めて。

永原理事は、放送法の範囲内で自主規制を行うとして「法令による規制を加えるのは好ましくない」と強調。「政党が 自らの取り決めで広告出稿量を調整すれば、国民の 表現の自由を脅かす心配はなくなる」と語った。民放連の担当部長は 改憲の賛否を巡る広告のバランスについて、個々の番組で秒単位の調整を図ることは困難で 放送全体として公平性を確保する方針を示した。

これに関し、枝野立憲民主党代表は「量的なバランスを取る自主規制がなされる前提で受け止めていた。現行の国民投票法は欠陥法だ」と反発。奥野国民民主党衆議も「バランスを取るべきというのが 放送法に基づく自主規制の中身の一つだ」と指摘した。平沢自民党衆議は「放送事業者ともよく連絡を図り、より良い自主規制の在り方を目指していきたい」と語った。

国民投票法は、投票日前の 14日間を除き 政党などが賛否を勧誘する CMを原則自由に放送できると規定。主要野党は 資金力のある与党、特に自由民主党に有利になることを懸念し 規制強化を主張している。(引用ここまで)

次いで、前述規制の根拠たる 放送法のあらましにも触れたく思う。

「放送法 1950=昭和25年 法律第132号 放送を 公共の福祉に適合する様に規律し、その健全な発達を図る法律。放送の国民への普及、放送の不偏不党、放送による 表現の自由の確保、放送番組編集の自由等の基本的原則を掲げ、日本放送協会NHK及び所謂民放と呼ばれる商業放送の運営に関する規則を定める」

以上をみて参ると、やはり問題の根底は日本国憲法の護持・改正 両勢力の綱引きである印象が透けて見えるのだ。民放連の一応はバランスある健全な見解は 一定評価できるもの。立憲民主党・枝野執行部の見方は、こうした民放連の姿勢を 自勢力に好都合に捉えていた嫌いがありはしないか。正直に言い切ってしまえば「曲解」レベルだと拙者は思う。その辺りは社民・日共の各左派野党もどうせ似た様なもの。資金力の差を理由に「一方的に与党有利」などと騒ぎ立てている様だが、前述の民放連見解を素直に冷静に読めば、至って常識的な向き合いである事は容易に分かるはずだ。

だからと言って、与党側も一方的で拙速な改憲志向の CM放送に打って出て良い訳ではない。そこは日本国憲法第96条を初め 改正に関する諸規定に丁寧に照らした上での、慎重周到な進行を願いたいものだ。安部政権の姿勢が改憲に拙速気味な印象は拙者も感じており、一部メディアが折々指摘の「前のめり」の印象がない訳ではない。改憲はそれこそ「国家百年の大計」。特定政権の功利の為だけに行うものでない事は勿論だ。そうした慎重姿勢を伴ってこそ「令和の大事業」憲法改正への大きな可能性が開けるのだと信じる。勿論 安部政権の改憲へ向けた問題提起と、タブーを排してその事への道を切り開いた勇気ある所は 是非評価したいと思うものだ。少なくともその姿勢については「改憲の為の議論さえ認めようとしない」特定野党の動脈硬化でも患った様な 腐った姿勢とは天地の差であろう。今回画像は、昨年ので恐縮。岐阜・滋賀両県境を行く JR東海道線の 桜の思い出画像を。

 

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令和でGO!その3

2019-05-06 20:40:47 | 社会・経済

我国史上初ともいわれる十連休も、今日で区切りとなる。各地の交通機関も相当に混雑や渋滞をする日もあり、犠牲を生じた遺憾な交通事故なども複数あった様だ。犠牲各位への弔意と被害各位へのお見舞いは当然として、その事に留意しながら同様な悲劇の再発を少しでも抑え込める様、行政と民間が連携しての 引き続きの強い取り組みが求められる所だろう。

対外的には、一昨日の 北鮮が発した複数の飛翔体が短距離弾道ミサイルだったらしいとの続報が入って来た。これまで 我らが自衛隊も想定の、液体燃料使用のスカッド型弾道弾と異なり 車載も可能な固体燃料式の模様で、事前に発射の兆候把握が困難なロシア国開発の「イスカンデル」型弾道弾に近い飛翔体の様だ。高い迎撃性能とされるイージス艦や、迎撃装備 PAC3でも対処に不安が残る様だ。ロシア本国では 戦闘機からの発射も可能な改良型も存在するとされ、もしも北鮮に渡ったのが事実なら 我国にとり重大な脅威ともなりかねない。地上のイージス艦と呼ばれ、巨額の導入費を要する「イージス・アショア」などで本当に効果があるのか?政府与党は国民向け説明を、改めてすべきと心得る。不十分なら こうした装備導入に広い理解が得られず、更に不安が増す事となりかねないからだ。

本題です。前述の事共と直ちに関連がないことだろうが、今月から発足「令和」を初め 我国独自の暦文化「元号」について TVの重鎮 大物司会者・タモリさんが大変優れたご見解を発せられ、ネットを含む各方面で高い評価を得ている様だ。それは、先月末から「平成~令和」の二元号を跨ぎ放送された 某民放の夜間報道特番席上の事だった様だ。ご見解の趣旨は以下の通り。

「西暦というものが ずっと続く本のページ数だとすれば、元号というのは日本だけが持っている『章』といえるのではないか。その『章』があるから(時代の)切り替えができるのではないか」

この見方に共感する声は多い。「元号についての捉え方、タモリさんの話がとても分かり易い」「タモリさんの話を聞いて(元号の事が)しっくりきた」「この考え方は良い」などなど。拙者などは 40年超に亘って放送界にあり続けたタモリ見解の重みを実感し「流石!」とも思ったものだ。同氏のこのご見解には、健全に年輪を重ねた文化人の発言の様な重みさえ感じられる。此度の改元前後に亘り 幾度も紹介された、元号の歴史上の重みを十分に踏まえ理解された 伝統を尊重する姿勢がよく表されている。安易な「西暦一本化」を標榜する軽佻浮薄な思潮に決して与しない決然とした姿勢は、普段里軽妙さとは一線を画する教養人としてのタモリさんの「もう一つの顔」が見られた様で 本当に有意義だったと心得る。

そして元号といえば 皇室、皇統の事共にも目を向けなければなるまいて。今世紀に入り 皇位継承に不安がある事は何度か見聞するも、安易な女性宮家の扱いはくれぐれも禁物だろう。確かに歴史を紐解けば、女性天皇がおわした時期あるは事実。但しそれはあくまで「万世一系」保持に向けた男系の女性天皇であって、いわば次代の男性天皇即位までの中継ぎ(リリーフ)的なお立場だった由。この問題に際し 報道メディア多数が卑劣なのは、明らかに意味の異なる「女性天皇」と「女系天皇」を恰も同義の様に見せかけ、一まとめに伝えようとしている節がある事だ。

現行の皇室典範は、歴史上みられた女性天皇まで認めていないとされる。もし改正の必要あるなら、それは「男系の保持」が前提の 暫定的なご即位に限られるべきだろう。最も忌むべきは「女系天皇」の方だ。これは読んで字の如く 母方の系譜が天皇家という事で、万一にも認められれば父方の系譜はどこの誰だか分らぬという危険な事象も考えられるではないか。極言すれば、欧米やA・A圏など外国人の可能性だってあるのだ。こんな事を認めては「万世一系」などとても守れず、初動で決して認めてはならない事が 拙者の様な愚か者でも理解できるというものだ。

こうした事態を招かぬ為にも、社会学者・八木秀次さんや作家・竹田恒泰さんらがかねて主張される「旧宮家の皇籍復帰」を本気で検討し 実現への努力をすべきだろう。旧宮家複数のの皇籍離脱は終戦直後、連合国進駐軍 GHQの方針で実施されたとか。背景は政治への「皇室無力化」の由だが、同時にそれは将来へ向けた「皇統廃絶の野望」がなかった訳ではないと拙者はみている。終戦直後の GHQ上層部は左派容共勢力が強い影響力を持ち、我国にとり極めて不幸だった 旧ソ連のスターリン政権とも通じていた様だ。

A級戦犯とされる 7名の刑死者を出した東京裁判こと極東国際軍事裁判を主導したのもこの勢力だったらしい。東西冷戦進行に伴い、流石にこうした左派勢力の温存は拙いとの判断に至った時の総司令官 D・マッカーサー元帥は、少し後に勃発した朝鮮動乱に際し 有名な「赤狩り(レッド・パージ)」を敢行して同勢力の排除駆逐を図ったが、我国にとっては「時既に遅し」だった様だ。1952=昭和27年春の サンフランシスコ講和条約で独立を回復した時には、我国内には相当な共産勢力が跋扈していたとされる。そして世代交代したそれらは公認政党にまでのし上がり、公然と皇統廃絶や元号不使用を喚き騒ぐ勢力を助長しているのはご存じの通りである。

前述の、全く意味の異なる二つの事共を意図的に混同する不良姿勢は本当に困ったもの。立憲民主党を初め 特定野党の姿勢も概ね似た様なもので、我国固有の伝統文化を本気で尊重する姿勢には見られない。あくまでも自勢力の都合の為 混同して国民市民を惑わせようとする策動は、我々国民市民の側が教養によって知力を高め、本当の不良な所を看破する眼力を養うしかないのだろう。つまり読解力(リテラシー)が大事という事だろう。今回画像は、当地名古屋と皇統ゆかりの伊勢志摩を結ぶ、近畿日本鉄道名古屋線にての、上下特急列車邂逅のシーンを。三重・四日市近辺にての模様です。

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