小学生や幼稚園児などの子供達複数が巻き込まれる深刻な交通事故多発と共に、大変芳しからぬ遺憾な事態が 表にならぬ仮面だけの親達の暴力による児童虐待問題だろう。千葉県下での女子小学生虐待死事件がその典型。暴虐極まる父親と称する鬼畜男の振舞いを抑えられなかったとして 幇助罪に問われた母親の公判が始まった様だが、事件の全貌を明らかにすべく 全てを語る事を望みたいものだ、その上で、父親と称する鬼畜男の罪業を厳しく糾す様願いたい。
こうした虐待には 更に遺憾な事に性暴力を伴う場合もある様だ。そうした事件に対し、この度対照的な判決が出た。当地愛知の名古屋地裁岡崎支部では、未成年の娘に対する性暴力事件につき 被害者の不同意を認めながらも抵抗不能とはいえない状態だったとして、あろう事か父親の被告に無罪判決が出され、検察控訴は当然だし 国民市民レベルで異議表明が相次いでいる。直後の 青森県下の同様の事件については、青森地裁八戸支部が 同様に未成年の娘に対する性暴力に及んだ父親に対し、準強姦罪で懲役 6年の実刑判決が出され、被告弁護側の不控訴方針もあって このまま確定の見通しだ。どちらの判断がより正義を反映しているかは明らか。司法として誠に粗雑な愚かしい判断がされた事は、当地愛知の恥である。
繰り返すが、交通事故も虐待問題も、もう行政が適切なレベルで必要な介入をすべき段階に来ていると心得る。「子供達を守れない社会は滅ぶ」のだ。深刻な交通事故を放置していては 未来の自動車の乗り手を大きく減らし、それが車社会と道路交通の衰亡をもたらす。かねて批判の多い 揮発油税や自動車重量税が異常に高額なのは、財務省がこうした事象を見透かしていて 狡い理論武装で道路財源確保を図っているせいと、日本自動車連盟 JAFを含む各方面から繰り返し指摘されている。しかし それにしても若い人口が減ってしまっては、この様な小手先の細工もいずれ行き詰まるだろう。
既に北海道などの郡部では、国道々路橋の架け替え更新や道路陥没修復の叶わぬ箇所が出始めていると言うではないか。自動車メーカーの動向も楽観できない。今年に入っての トヨタ自動車のお家芸ともいえる ハイブリッド自動車技術の特許無償公開は、このままでは日本車の技術面までいずれ暗雲がかかる事を予見していないとは言えないのではないか。悪くすれば 半世紀も後には高速道路の相当区間が廃墟と化し、自動車産業の多くも左前・・という様な事態となりかねない。続発する交通事故の再発防止努力と全国民市民が本気で向き合わなければ、明日の車社会は確実に息絶える事だろう。
交通事故と児童虐待の問題を通見して感じるのは、事故の問題については「慎重な運転者が」虐待問題では「愛情あるはずの親達が」間違いや暴力などの問題を起こすはずがないと決めつける、安直な「性善説」が跋扈し過ぎている事だ。児童虐待と対峙する最前線ともいえる 児童相談所のあり様さえそうである。国会でも問題となり、野党側からも「児相と警察を連携させた対応が必要では?」との声があった。拙者としては、警察或いは刑事分野に強い弁護士勢力との連携も進め、特に父親と称する鬼畜男の暴虐を許さぬ断固とした姿勢で臨む必要があるだろう。一部は母親にもそうした向きがあるのかも知れないが。もう今は、こうした怪物的勢力は 児相だけで対応できるものではないと思う。簡単に脅しに屈するあり様を見ても、警察や司法の後ろ盾は是非必要だ。
その上で、国民市民レベルでも「交通法規を守ってさえおれば、命は安全」とか「親子の間で暴力などない」とする 浅薄な性善説を真に受けた様な判断に陥らぬ様、我々国民市民も 思考を新たにしたいものだ。交差点などの防護施設を少しでも充実させる一方、やはり道路横断の折などは 注意を疎かにしている運転者があるかも知れぬとの用心深さを徐々に身に着け、一定の危険があっても避けられる自助努力を養う姿勢も必要だろう。
児童虐待問題は、家庭内の密室的場所でも起こり得る為 周囲の見守りが難しい所だが、これまでの悲劇をデータ化し 抑止と再発を防ぐべく どんな取り組みができるかを絶えず見極めて頂きたい。そしてこれは、見守る我々の協力と援護も必要だろう。そうした強い姿勢を示す事が、一定の歯止めになると共に 犠牲になった方々への供養にもなり得ると心得る。今回画像は、先年の春先 当地名古屋西郊の近畿日本鉄道線を大阪方面から上って来た 名阪間特急「アーバンライナー・ネクスト」の様子を。