いよいよ盛夏らしい 厳しい暑さとなってきた。開会の迫った東京五輪及び障碍五輪は、予想されたとはいえ やはり参加選手や関係各位の一部に流行続く新型感染症陽性反応がみられ、試合が行われるかは直前まで分からない種目も出そうだ。開会式にしても 主要経済団体関係各位に欠席の動きが見られ、そのあり方が問い直されるかも知れぬ状況ともなりそう。
更に悪い事に、開会式などで用いられる楽曲を担うミュージシャンの一人が 過日のいじめ問題関与などのかどで、担当を辞する事態とも相なった。ただでさえ芳しくない今回五輪の印象が、国際的にも更に低下しかねないという事だ。以下 今日の日本経済新聞コラム「春秋」を引用して、少しみて参りたい。
「この 1年数カ月、世の中にあふれかえった漢字といえば『禍』だろう。コロナ(感染症)禍の『禍』である。辞書を引くと『わざわい。思わぬおとし穴。思いがけなく受けるふしあわせ』とある。(漢字源)。そう、この思いがけぬ不幸のさなかで、いよいよオリンピックが始まる。
▼災厄をなんとか乗り切ってもらいたいと願うのだが、土壇場にきて新たな『禍』が襲いかかった。五輪・パラリンピックの楽曲制作を担当するミュージシャンの小山田圭吾さんが、かつての雑誌のインタビューで 学生時代のいじめ加害を吹聴していた問題である。非行をただす声は大きく広がり、ついに降板に追い込まれた。
▼その発言は『いじめの告白』といった生易しいものではない。障害を持つ同級生らに凄惨な暴行を加えた経験を、大人になってから面白おかしく語っているのだ。大会の『禍』を増幅する陰惨な『過』。過ちを認めず、むしろ自慢してみせたことに、より深い過ちが浮かぶ。行為も言葉もずっと昔の話・・・ではあるにせよ。
▼本人は謝罪した。開幕まで時間がない。(五輪)組織委員会はこう釈明していたが、かえって傷口を広げたようだ。そもそも起用自体にワキの甘さが見えるし、ことが起きてからの態度の鈍さも情けない。非難は SNSなどに満ち、海外でも報じられた。そんな議論の『渦』から目をそむけて呼び込んだ、自滅の『禍』ではないか」(引用ここまで)
もう新聞、TVを初め あらゆるメディアに出回っている話題だろうが、加藤勝信・内閣官房長官による記者会見での表明にもあった様に、いじめの履歴ある者が五輪及び障碍五輪関連に関与する事は 勿論認められるものではなかろう。その履歴がありながら伏せていたと思われる当該人物の側もさる事ながら、そうした履歴の可能性を吟味検証する事もせず、当代の人気とかだけで安易に起用した五輪組織委の漫然姿勢も やはり糾されるべきだろう。
履歴が明るみに出たから謝罪などとは、極言すれば「猿でもできる」。それが実行されたとしても、平和や人権、人種や出自などを超えた公正が強く求められる五輪及び障碍五輪の事共からは、当然遠ざけられるべき。「開幕まで時間がない」とはあくまで組織委の言い訳だろう。前述の問題が露見すれば、直ちに断固とした姿勢で処分を行い、時間がなくても開会式に必ず間に合わせるのが 組織委の責任だろう。それができない組織委なと、存在してはならないのである。全く、新型感染症流行を含め「有事の思考」が全くできない「平時脳」だけの集まりだと取られても仕方がないのではないか。
「有事の思考」がないとなれば、特に首都圏にて明らかに感染拡大の動きが目立つ 新型感染症の五輪関係者間の拡大も阻止できないのではないか。国際五輪委 IOCより、我国側組織委 JOCのそれが決定的に欠如している様に見えて仕方がない。「ボンヤリした平時脳だけの思考」。ここを変えないと、前述感染症が五輪関係レベルで流行っても、機動的になす術なしという事にもなりかねないのではないか。
もう一つ、困った「平時脳」絡みと思われる問題に接したので、少し取り上げたい。昨日の時事通信ネット記事から。
「政府『元号踏みつけ』案撤回=新公文書館の展示」
新国立公文書館の展示や運営を話し合う有識者会議の初会合が 7/19、オンラインで開かれた。最初の元号「大化」から現在の「令和」まで館内の階段に刻印する政府の原案に対して 自民党議員から「元号を踏みつけるように感じる」との批判が相次いだことを踏まえ、この部分を撤回した案が改めて示された。
新公文書館は 2028=(令和 10)年度開館の予定。有識者会議は 2023=(同 5)年度「展示、運営の基本構想」を取りまとめる方針で、井上信治・公文書館管理担当相は「ハード面の検討に一区切りが付いたので、ソフト面の検討が急がれる」と話した。(引用ここまで)
「元号を踏みつけるさまに感じる」とした自民議員各位の批判は当然だが、それ以前にその様に映る政府原案が出てくる事自体に ある種の危険を感じる者だ。前述の東京五輪楽曲問題と同様に、ボンヤリした「平時脳」だけでこうした大切な事共が思考され、構想がまとめられて行く実態は 決して看過できないのではないか。現状よりもう少し強化された、一定レベルの有事まで想定した思考や検討をする姿勢に変えていかないと、又同じ事が繰り返されると危惧する者だが。今回画像も以前ので恐縮。静岡・浜名湖畔辺りを新大阪方面へ下る、東海道・山陽新幹線列車の様子を。