現在、長野市に合併となった旧中条村。おやきなどで知られる、いわゆる西山地方である。
行ってみたかったのは《十万石盆踊り》などで知られる伊折地区。そして唄に出てくる大姥山と呼ばれた虫倉山などを見ておきたかったからだ。
中条といえば、道の駅だけは行ったことがあった。
そして虫倉山はどれかな?と土地の方に聞くと、山頂がポコッと出ているお山だとのこと。
「伊折はどこですか?」と聞くと、やはり虫倉山中腹とのこと。「棚田の写真ですか?」と逆に聞かれたのだが、当該地域の棚田は有名だったことを後で知った。
さてナビに従って進んでみる。
よく聞く「やきもち家」も中条だったのか…と再認識。温泉もあったかな?
それにしてもかなりの山中だ。
こんな感じ。
そして虫倉山が目の前に迫ってくる!
ここには大姥伝説がある。いわゆる山姥だが、その銅像があった。
何だか高貴なお姫様みたい。
さて、当地の《伊折甚句》に広福寺という寺名が出てくる。信濃三十三観音31番札所の広福寺のことで、伊折地区にある。そこを目指してみる。
ここだ!
観音堂1つがあるだけだが、その場所がかなりの傾斜地だ。
境内には、古そうな石仏とともに「伊折学校発祥の地」という碑があった。
その後、御山里小学校となった。ちなみに今まで読めなかったのだが、御山里は「みやまさ」と読む。
それにしても周辺はこんな感じ。
運転するも、ヒヤッとするところがあった…(笑)
虫倉山には子育ての神様として虫倉神社が広く信仰を集めていたという。
虫倉山はかつて松代藩の領地で、虫倉神社は特に松代藩真田家の尊崇が厚く、第8代藩主幸貫は、定紋の幕、祭礼幟、鳥居を寄進したという。
なるほど、こういうつながりがあったから、山中の伊折の地に《十万石盆踊り唄》や《伊折甚句》のような小粋な唄が残ったのだな。《十万石盆踊り唄》の古い録音には三味線も入っているし、松代藩の文化を残したのか…と改めて感じられた。