線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

和倉温泉に行く

2007年05月27日 22時27分10秒 | 温泉
今日は急遽、石川・和倉温泉に行った。
たまたま休みがとれたので、どっか温泉へ行きたーい!というとっさの思いつきで、何と口能登・七尾は和倉まで出かけてしまった。

今日は、まず糸魚川まで行く。天気は晴れていたものの、さわやかというか肌寒いくらい。そしてここから北陸道へ。そして小杉I.C.まで行って下りて、まず昼食。富山までくれば「回転寿司」!

そして射水市~高岡市~氷見市と移動。氷見では、有名な!?上日寺の大イチョウを見に行ってみた。これはいかにも古木といった感じ。大きかった。また秋の黄色になったときに来たいものだ。

そして海岸沿いの道を北上、七尾へ向かう。そしていよいよ和倉温泉へ。ここは海中から湧いているとのこと、塩辛くて高温の湯だ。和倉温泉は七尾湾に面している。部屋からも海が望め、ご機嫌であった。
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暑かったり寒かったり…

2007年05月26日 07時16分38秒 | 日々雑感
今日はいい天気だ。最高気温27度とか予想されていた。
昨日は1日雨だった。そんなに気温が低かったわけでもないが、やはり雨に当たるとちょっと寒さも感じなくはない。

今日は晴れ、明日からも雨マークはなく、天気はよさそうだ。
あ~どっか行きたいな。

しかーし!今日の土曜日、仕事だ。
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眠いなあ~

2007年05月22日 22時03分38秒 | 日々雑感
今日は眠い。…いやいつも眠いのだが(笑)。
それにしても眠いので…今日はもう寝ることにする。 はい。
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津軽民謡

2007年05月21日 23時56分57秒 | 民謡
津軽民謡がいいなーと思って、一生懸命聴いていたのは、中学生くらいの頃(んん…何年前だろ?)。そして、いっとき聴きたいとも思わない時期もあった。そして、たまに無性に聞きたくなる時期が巡ってくる、不思議な魅力が津軽民謡にはある。
初めて聴いたのは、ある番組で出演されていた浅利みき女師の《津軽あいや節》だ。その頃は、歌詞は聴き取れなくて、ア~♪とかナ~♪とか、伸ばす音しか分からず、何を歌ってるのかな?という程度の認識。でも三味線がかっこよく、歌以外の部分だけに太鼓が入るというスタイルに気づいて、《じょんがら節》や《よされ節》等と聴き進める内に、いろいろな歌い方(新節、中節、旧節等)や、また歌い手によってもちがいがある個性的な民謡だと感じるようになって、楽しさが増した。

ところで、津軽民謡の第一人者・山本謙司師のCDを久しぶりに聴いた。

この中に《ナオハイ節》という唄がある。別名《坊様踊り》ともいい、いわゆる盆踊り唄なのであるが、これは唄と囃子が交互に掛け合うように歌われる。このCDには、山本師は囃子で、唄のほうは何と浅利女師。何とも、いい時代の盆踊り?といった雰囲気で結構好きなテイクだ。
この《ナオハイ節》は変わった唄である。「寺のナオハイ ハオハイ和尚様」…といった「歌詞」の部分は、♭を含む都節音階に感じ、「ヤーヨネ落ちたがるヤーッサイ」といった「囃子」の部分はフラットが取れ、半音を含まない明るい感じになる。

ちなみに、わたくしが小学生のころ聴いていた、NHK・FMの「日本の民謡」という番組をはじめて聴いたとき録ったときのゲストが浅利みきさんで、そのときの最初の曲が《ナオハイ節》だった。もう…本当に何年前だ~!!  
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村上義清!

2007年05月20日 08時36分50秒 | 歴史
NHK大河ドラマ「風林火山」を一生懸命見ている。今回、村上義清が登場した。無敵の武田軍だが、信玄(晴信)の人生で2回の黒星をつけたのが、この村上義清だ。現在の埴科郡坂城町の生まれであるといい、葛尾城を拠点としていた。

この大河での村上義清は永島敏行サン。今回の登場も、なかなか猛々しく、しかも温情にあつい!といった義清像を感じさせた。

これから、板垣信方や甘利虎泰らを失う「上田原の戦い」、信玄のまさに完敗であった「砥石崩れ」を迎えるが、どう演じられるか楽しみだ。

【村上家家紋】

坂城町には村上義清関連の史跡が結構あって、興味深い。一応墓所(供養塔?)もある。
ただ、川中島以降、上杉方につくので、信越国境の根知城主となり、越後で最期をとげるのだそうだ。わたくしも以前、糸魚川・根知の安福寺へ行って、村上義清の墓と言われる場所へ行ってみた。しかし…信玄を2度負かした義清公にしては、寂しい感じの墓だな…という印象だった。もっとも、義清の墓とされているところはここだけではないが…。

「風林火山」…舞台はやはり信濃だなー!
コメント (8)
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