線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

荷物を運ぶ~第一弾

2012年03月31日 23時07分05秒 | 日々雑感
いよいよ今日、松本へ荷物を運んだ。今回の引っ越しは、家具や洗濯機などがいらないので、少な目。ということで、自分の自動車で運んだ


それにしても、よりによって大雨の3月31日。週間天気予報でも分かっていたが、本当に降られてしまった




昼過ぎに寮へ到着。自分の部屋は三階だ。何度か往復する。すべて一人で運んだが、まあ、あっという間だったな。



そして、一端帰宅。そして、いよいよ明日、松本ライフをスタートとなる
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職場を去る

2012年03月30日 22時03分48秒 | 日々雑感
いよいよ「最後の日」。3月30日が金曜日なので、3月の勤務日の最後が今日、現在の職場の最終日であった

今回は上司の退職と自分の異動が重なった。今日は、在職38年の勤務を終えられた上司を見送る「セレモニー」もあった大変お世話になった上司だっただけに、自分の転勤以上にお見送りには特別な思いでもあった

自分は「定年退職」までには、まだまだ年月があるしかし、そんな時もいつかは来る。今日、退職を迎えた上司の姿を見て、どんな感慨なのだろう…と、想像もつかない複雑な心境であった。本当に心より「おつかれさまでした」という気持ちをお送りしたい

いよいよ5:00。玄関よりお見送りをした。照れ隠しのような笑みをたたえて、去って行かれた。何ともいえない、3月のお別れの光景だ



そして、今度は自分たちの番。送別会はしてもらってあったが、あらためて本当に最後になるんだな…と思うと、やはりさみしい感じ去る者が簡単にメッセージを述べて、やはり玄関から見送られた。本当にお別れだ。

さて、自分はいよいよ「転勤」。そして松本まで引っ越しをしなければならない。明日、松本へ向けて、荷物を運ぶ。
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今日は群馬へ…八ツ場ダム付近!?

2012年03月29日 21時44分33秒 | 日々雑感
今日は休みをとって、群馬へ出かけた。久しぶりの上州路。線翔家ご先祖の地、吾妻郡付近を中心にまわった。

やはり、気になったのは長野原町の八ツ場ダム。通る度に建設が進んでいるようだ。国道を行くと、普通に周辺の新しい道路になるので、今日はあえて旧道?を通ってみた。

おおっ!これ橋脚?

高いなー!

これはダムがなければどうなっちゃうんだ?といった感じの建造物だ。そして、どんどん進むと、湖底に沈む温泉・川原湯温泉も目に入ってくる。いや~ここまで、本当にお店とか食堂の建物が移転?それとも壊しちゃった?…とにかく何もない!という感じ。

そして現在の、吾妻線川原湯駅。

これも沈むのか!?

この地域はダム建設に揺れた土地。民主党政権になって、造るんだか造らないんだか…まさ人々はに翻弄されてきた。

たまにしか来ない余所者からしても、どうなってしまうんだ?と感じさせられる。それよりも、この辺りをしょっちゅう通ってきた自分には、この風景が沈んでしまうのはさみしい感じだし、かと言って、このまま橋脚などを残したらどうなるんだ?という感じでもある。

まだまだ完成にはほど遠いという状況だ。
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およそ職場も片づいたかな~?

2012年03月28日 21時41分45秒 | 日々雑感
年度末で転勤&引っ越しだ。今週は年休をとって、徹底的にお片付け。土日返上で職場へ行って、片付けたり、ゴミを捨てたり、整理したり…。

まあそれも今日で大体済んだような気がする。





さて、いよいよ週末は引っ越しだ。松本への荷物のまとめも大体見通しがついてきた。今回は何年松本にいるのかは読めない。いずれにしても、そんなに荷物を持たず、楽に引っ越したいものだ。

天気予報を見ると、引っ越し予定の3月31日(土)は、広い範囲で「雨」とか言っている。んん~大丈夫かな???

 
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うづら餅

2012年03月27日 22時09分43秒 | 食べ物
今日は千曲市八幡の武水別神社を参拝した。


創建年代は不詳。武水別大神(水神)は、孝元天皇の御代に善光寺平の五穀豊饒と千曲川の氾濫防止を祈念して祀られ、その後、京都の石清水八幡宮から誉田別命(応神天皇)、息長足比売命(神功皇后)、比大神(田心姫、湍津姫、市杵嶋姫)が勧請され配祀されたという。

当地域の古社で、戦国時代、川中島合戦のときの上杉謙信の勧請文等が残されており、古くから戦の神、そして現在では交通安全の信仰も深い。

この境内に「うづら餅」と書かれた看板の茶屋が目に入る。


ここで茶屋をはじめて200年になるという。コレが昔からファン!


しおりによると、「天保十三年に武水別神社八幡宮が消失し、嘉永三年に再建されました。当時御社の東側の千曲河原は葦藪で、うずらが群棲しておりました。その群れ遊ぶ姿を、立川和四郎富昌により、本殿の大黒柱の両側に四羽ずつ彫刻されました。
このように、神社とうずらとの関係が深きことから、初代武井音兵衛が創始したのが「うづら餅」です…(後略)」とのこと。

この餅、とてもやわらかくてなめらか。昔から変わらないのがうれしい。
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