線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

小諸~出て見よ♪

2012年01月31日 20時46分37秒 | 温泉
今日の午後は出張で小諸市まで行った。上田からは20km程なのだが、普段あまり行く機会もないので、何とも遠いイメージがあった。新車には人生初の「カーナビ」をつけたので、ご機嫌でナビに導かれて出かけてきた。

小諸といえば、
♪小諸出て見よ 浅間の山に 今朝も煙が 三筋立つ

と《小諸馬子唄》を思い出す。

そして…帰りには、いつも通り(笑)、風呂グッズをもっておいたので、帰路で温泉に入ってきた。
今日は初めての場所「あぐりの湯こもろ」だ。場所は小諸市でも南の方で、千曲川をはさんで浅間山を真ん前に見渡せる絶景のロケーションだ。


いや~小諸は寒かった。この温泉の場所は高い場所のせいか、小諸がもともと寒いのか、着いたときは-1℃くらい。

この施設はとても大きくてビックリした。

中には食事処や売店もあって、充実の施設だ。

浴室もとても広く、浴槽ものびのびだ。露天風呂もあって、やはり浅間山がよく見える。本当~に眺望のいい温泉であった。

とても寒い日で体も冷えていたが、すっかり温まった!やはり温泉はご機嫌だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイ温泉!?(笑)

2012年01月29日 21時44分25秒 | 温泉
今日は日曜日なのだが、ちょっと仕事が間に合わず、休日にも関わらず職場へ行った。
するとその帰りは、お風呂グッズをもっていくので、当然温泉だ(笑)

職場近くには、いつもながらの上田温泉祥園別館<寿久庵>だ。


今日は4:00p.m.頃に行った。客は自分以外はいなかった!まさに独占状態のマイ温泉(笑)


ただ…今日は何だか、異常にお湯が熱かった。自分の体が冷えているのかな?とも思ったが、それにしても熱かった。

ご機嫌で、帰宅。また明日から、本格的に仕事だね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道祖神祭り

2012年01月28日 17時39分39秒 | おまつり
信州では野沢の火祭りとして知られる道祖神祭りが有名だ。
しかし、ウチの近所でも可愛らしい道祖神祭りが、この時期行われている。

今日、ちょっと出歩くと、あちこちでこのような行灯と旗が立てられていた。

【上田市八木沢】

本来子どもの行事で、行灯の文字が何とも可愛らしい。他地区では、子どもがお札を刷って配ったり、甘酒などを振る舞ったりするのを見た記憶がある。

この地区の行事そのものは見ることはできなかったが、どんな行事をするのかな?
こうした民俗行事を大切に伝えていってほしいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦しい週間だ…

2012年01月27日 00時23分52秒 | 日々雑感
今週はいろいろ大変な週だった。





日記も書けなかったな。





明日は大丈夫かな?










 







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平清盛と陵王

2012年01月22日 16時56分00秒 | おまつり
今年のNHK大河は「平清盛」だ。松山ケンイチさんの主演で始まった。どこぞの知事が「画面が汚い」とか言っていたが、まあ放っておいて(笑)、1年間楽しく見ようかな!?と思っている。

さて、民謡好きにとって、平清盛といえば、《音戸の舟唄》(広島県民謡)をまず思い出す。
♪ヤーレーノ ここは音戸の瀬戸 清盛塚のヨ
 岩に渦潮 ドンとヤーレノー ぶち当たるヨ


「音戸の瀬戸」とは、小さな島々が点在する瀬戸内海で、船の往来のために切り開かれた場所。この工事のために、清盛が沈みゆく夕日を、扇で招き返そうとしたという話が知られている。

この話を聞くと思い出すのが、新潟県糸魚川市能生白山神社舞楽の最後の演目、陵王だ。

能生白山神社舞楽は稚児を中心とした地舞楽であるが、この陵王は、最後のクライマックスを飾る重い舞である。

この舞のなかで、長い演舞の前半の最終部で、「日を抱く手」という部分がある。舞台の真ん中に立ち、両手を徐々に挙げていく。右手に中啓をもち、両手を頭上にかざし、手を招くような所作をする。




これが、日本海に沈んでいく太陽を招く手であると、地元では言われている。
現在、中央の舞楽の「蘭陵王」にはこの手は遺されていないのだそうだ。しかし、伝承にはあるようで、地舞楽の世界にこうした所作が遺されているのは興味深い。

ところで、能生白山神社の舞台はどこを向いているか?方位磁石で測ってみると、ほぼ真西を向いている。境内では、舞台の前は「秋葉社」があるのだが、かつての神仏混淆のころは「薬師堂」であった。しかし!その延長線上を見ると、能生の名所の1つ「弁天岩」があり、そこには厳島神社が祀られている。

陵王は一体、どこを見て日を招いているのだろう?少なくとも西を向いているのは間違いないし、地元でもこの伝承はよく知られている。コレが、厳島神社を向いているとすれば、平清盛の話と結びつく。

何でもエピソードを結びつけるのはどうかとは思うし、実際、能生白山神社は、かつては現在とは若干ちがうところに位置していたことが分かっているので、この意識はないのだろう。この陵王と平清盛のエピソードと結びつけるのは無理がある。

しかし…厳島神社での「蘭陵王」の画像はよく見かけるし、この時代にあって舞楽の嗜みはあったわけで、そんなことをイメージすると、何ともロマンがある。少なくとも、民俗芸能で、鎌倉時代よりも前までイメージが遡れるというのは、舞楽と神楽くらいではないだろうか。

いろいろなイメージをふくらませると、楽しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする