東御市本海野に残されている海野宿は、旧北国街道の宿場。伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けた場所。
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地域に出て海野宿を訪ねる研修に参加した。
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北国街道は、中山道追分宿から越後方面へ分かれ、北陸道を結ぶ重要な街道であった。善光寺への参詣客も多くあり、善光寺街道としての役割も果たした。
自分が子どもの頃は、生活感が出ていたが、保存が進められると、何とも重要な場所だという感じがよく伝わる。しかし、今でも生活の一部ではある。
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水路もあり、キレイな水が流れていた。かつてはこうした場所で洗い物をしたようだが、今では水位も下がったようだ。
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火の見も現役?
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寛保2年の大洪水、世にいう「戌の満水」により、隣りの田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移され、伝馬屋敷や旅籠などで賑わったのだという。
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明治に入ってからは、養蚕が盛んとなり、当地域でもよく見かける気抜き付きの蚕室の造りの建物も見られるようになるという。
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海野宿といえば「卯建(うだつ)」。豊かな家でないとできるものではなく、「うだつがあがらない」という言葉は有名。
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海野格子という格子は江戸時代のもので、2階の出格子に見られる。
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タイムスリップしたかのようなステキな街並みだ。
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海野宿を実際に歩くことはあまりなかった。たまには歩きたい。