自分の義務教育時代を思い出すと、頭のいい子よりも、運動神経がいい男のほうが人気があったような気がする。
もちろん頭が良くて運動もできる男もいたけれど、学年に一人か二人いればいいほうで、とても稀な存在だった。
頭のいい子はテストのとき本領を発揮し、そうでない子は運動会で自分の存在をアピールする。
普通の子は、特別に脚光を浴びることもなく、淡々と学校生活を送っていた。
運動ができる子は、多くの場合成績はいまひとつだったが、頭が悪いとバカにするわけではなく、運動会では花形だった。
クラス替えのときに同じクラスになると「今年のクラス対抗リレーは勝てる」
と同級生が喜ぶほどだった。
成績が良くないので、普段は猫背気味で目立たなかったが、運動会で体操服に着替えると、背筋が伸びて普段よりも身体が大きく見えた。
いつもは女子から何の声もかからないのに「がんばって」「あなたが頼りだから」
などと言われ、リレーのアンカーという大役を命ぜられ、前を走っていた子たちをごぼう抜きにし、劣勢だった我がクラスを見事優勝に導いた。
その日の彼はヒーローだった。
女子からかっこいい、すごいと褒めちぎられ、とても嬉しそうにしていたが、シアワセは長く続かなかった。
運動会が終わって普段の授業が始まると、また猫背の日々を送るのだった。
一方、成績が良くても運動が苦手な子には過酷な一日だった。
いつもは姿勢がいいのに、どことなく落ち着かない。
授業中は先生に指されると、はきはきと答えているのに、運動会の日はいまひとつ口数が少ない。
クラス対抗リレーの走ってる姿を見ると、ちゃんと手足を動かしているのに、何人にも追い抜かれ「おっせーなー」
と同級生の男に文句を言われ、女子からは口をきいてもらえず邪険にされる。
当時のアタクシには、彼らの心中を思いやる優しさなど持っていなかったが、彼らには針のむしろだったに違いない。
運動が苦手な子は、三年生の体育祭が終わったとたん「ああ、これで暗黒の日は最後だ…」
とほっとしただろう。
鈍足は大学や会社に運動会がないとわかると、ほっとするけれど、俊足自慢はとにかく走る機会があると参加したがる。
長距離走であれば日本全国様々なマラソン大会があるので、それに参加できるけど、一般人が参加できる短距離走の大会は多くない。
とにかく足に自信があるので脚光を浴びたい、目立ちたい、「栄光の日よ、もう一度」なのである。
ところがそういう人に限って、社会人になったときの運動会は、栄光どころか恥さらしの日になるようだ。
日々意志をもって運動したり、トレーニングを続けている人は別にして、十数年サラリーマン生活を送っていると、運動能力の衰えに気が付かない。
しかし気持ちは若い時のままなので、その精神と肉体のギャップは大きい。
若いころの記憶そのままに、中年になってもいけると勘違いしている。
そんなことには当人は気づいていない。
スタートの合図のピストルが鳴ったとたん、気持ちに足がついていかず、飛び出したとたんにこけたり、カーブを曲がれきれずにすっころんだり、足がもつれてバッタリと倒れたりする。
「ひとついいところを見せてやろう」という思惑とは全く正反対の方向に事が運んでしまうのだ。
俊足はもてる要素だが、鈍足はどうやったって急に俊足にはならないのだから、運が巡ってくるのを待つしかない。
大人になったら、俊足も鈍足も己をわきまえなくてはいけないのだ。
4月はグルメリレー、5月はえびす・だいこく100Kの抽選に当たったので走らねばならぬ。
いずれも駅伝タイプのレースなので、仲間に迷惑かけたらいかんので練習を再開。
まず走る前にヘルスメーターに乗って体重測定、思わず自分の目を疑った。
な、な、なんと理想的体重をはるかにオーバー。
10キロは軽くオーバーだ。
かなりショックだが仕方がない。
走りこんで身体を絞るしかない。
気を取り直して超久しぶりに出雲縁結び空港往復ラン。
コンデジ片手のいい加減練習である。
冬枯れの出雲
いやはや身体が鉛のように重い。
傍から見ると、歩いていると思われるかもですが、本人は走ってるつもり。
まぁ最初から無理できないので、ボチボチ走ったり歩いたり。
春の気配を感じながら
ここで折り返し
石を投げたら届きそうなところに飛行機
良い子は石を投げないようにしましょう。
風はなかったがやっぱし寒い
これからやせようなどとは思わないが、体力、筋力は欲しい。
なので少しづつではあるがトレーニング、まずは歩くことから始めたいと思うのであります。
Runのあとは、家に帰って熱い風呂に入るのが、ささやかなヨロコビであります。