今や日本は「平成最後の〇〇」でもちきりである。
こう平成が押し詰まってくると、何をしても「平成最後の〇〇」になる。
もっと押し詰まってくると、例えば4月29日あたりになると、もはやすることなすこと「平成最後の〇〇」だらけである。
昼にラーメンを食べると「平成最後のラーメン」という名誉ある称号を与えられることになる。
先日の節分も平成最後の節分。
節分といえば、最近は大きな神社や寺で人気タレントや力士を呼んで豆をまかせるのが大流行のようだが、各家庭の豆まきはどうなっているのか。
そういえば我が家では、ここ10年以上豆まきしてないなぁ~。
という家が多いのではないか。
10年くらい前までは、それでも節分の日の夕方には、鬼はソトー福はウチーという声が聞こえたものだったが、最近は聞いたためしがない。
豆まきという行事そのものが、あまりに時代と合わなくなってきているのは事実だ。
まいた豆を拾って食べる、というのもいまどき不衛生な話だし、拾って食べないというのも世界的な食料不足が心配されているのに不謹慎な話である。
来るべき新元号の節分はどうあるべきか。
このままのスタイルでゆくならば、遅かれ早かれ家庭内における節分の行事はいずれ絶滅するにちがいない。
春まだ遠い小寒い日の夕方、あちこちの家から聞こえていた「鬼はソトー、福はウチー」の声もまた懐かしいものがある。
そういえば、子供のころから節分の豆まきについてずっと疑問に思っていたことがある。
それは「福はウチー」という文言と、それに伴う行動である。
「鬼はソトー」のほうはわかる。
鬼に向かって出ていけー、という意思表示として豆をぶつける。
一方、福のほうはウェルカムである。
そのウェルカムの相手に向けて、鬼と同様に豆をぶつけるのはヘンではないか。
この日本の歴史的大疑問はどうやって解決できるのか。
知っている人は教えてください。