昭和という時代の男は、会社でも家庭でも責任を背負って生きていて、それがまた自分のやる気につながっていた。
昔はどんな夫、父親であれ、とりあえず家長は立派であると、家の中では持ち上げられてた。
おかずが一品多いとか、テレビのチャンネル権を持っているとか、優遇されていたものだ。
お父さんが働いてくれているからこそ、みんな生活できるのだから感謝せよと、母親も子供たちに言い渡していた。
しかし今の父親は家庭内の優遇装置は剥奪されて立場が弱い。
おかずが一品多いどころか、仕事でクタクタになって家に帰っても食事すら無かったりする。
妻からは「あんたが遅いのが悪い」と説教される。
テレビのチャンネル権などなく、妻子のいいなりになるしかない。
毎月、銀行にお金を補充する人みたいな扱いになってしまった。
それでもたまに帰宅して食事を見て「おかず、これだけなのか」
と言ったりすると、体調不良なのに毎日食事を作る苦労がわかってんのか。
食事を作ってもらって文句を言うな。
などなど言いたいことは山ほどあるが、それを全部ひっくるめて「じゃあ食べなくていいよ」
と皿を片づけようとすると、妻に従って黙って食べ始める。
他人の目には見えない家庭内の出来事は、明らかに男の自己犠牲の人生なのだ。
昔のように星飛雄馬のお父さん、「巨人の星」の星一徹のようなちゃぶ台ひっくり返しは、明らかに過去のものになった。
平成と言う時代もいよいよカウントダウン。
新元号に変わる未来のお父さんの姿は、アタクシには想像すらできないのであった。
「団塊の世代」「護送船団方式」などの名づけの親、民間人でありながら経済企画庁長官などを務めた堺屋太一氏が亡くなった。
官民双方の立場で多彩な才能を発揮されていた。
作家としてもその才能はいかんなく発揮した
数多くのデータに基づく社会や経済に関する大胆な予測を、近未来小説という分かりやすいスタイルで展開。
その著作は半分も読んでないと思う
なかでも歴史小説はNHKの大河ドラマの原作にもなった秀吉
あやゃまあ、他の作家の本が混じってしまいました。
我が家の本棚は整理整頓とは程遠く、バラバラズタズタ状態であります。
失礼しました。