浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

車両甲板

2020-06-04 | 働く車

隠岐汽船しらしまの車両甲板          

上は客室、下はエンジンルーム          

本土と隠岐の島を結ぶフェリーでした。

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盲腸

2020-06-04 | 日々是好日

子供のころ、いちばん怖かった病気は盲腸炎だった。

いつも元気がいい子が何日も学校を休むと先生は「○○さんは盲腸の手術をしたのでしばらく学校を休みます」

といった。

お腹を切られるということは子供にとって、生きるか死ぬかの大問題だった。

手術を受けた子が退院してくると、みんな寄ってたかって「跡を見せて」と頼んだ。

しかしそれは頼みやすい性格の子だけで、そうでない子の場合は体育の時間、着替えるときにこっそり盗み見たものだった。

「見た」「うん、見た、見た」「すごかったね、きっと痛かっただろうなぁ」

自分たちはかたまって、こそこそと盲腸の傷跡について話し合った。

次はいつ、誰が腹を切られるかわからない。

もしかしたら次は自分かもしれない。

みんな恐怖におののいていたのである

ちょっとでもお腹が痛くなると、「盲腸じゃないか」と、とっても不安になった。

当時の盲腸炎はハラキリ(武士の切腹)に匹敵するくらい、残酷な出来事であったのである。

そんな不安を煽るかのように、ひとり、またひとりと盲腸炎にかかる子が出ると、そのたびに暗い気持ちになった。

「手術したあとは、笑っちゃいけないんだって」といううわさ話もあった。

夢の中で、手術が終わりベットで横になってテレビを見て笑ったら、傷口がバカッと開いて臓物がゾロゾロ出てしまう。

何度この夢を見てうなされたことか。

当時の子供をパニックに陥れたのは、間違いなく盲腸だったのである。

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