隠岐汽船しらしまの車両甲板
上は客室、下はエンジンルーム
本土と隠岐の島を結ぶフェリーでした。
子供のころ、いちばん怖かった病気は盲腸炎だった。
いつも元気がいい子が何日も学校を休むと先生は「○○さんは盲腸の手術をしたのでしばらく学校を休みます」
といった。
お腹を切られるということは子供にとって、生きるか死ぬかの大問題だった。
手術を受けた子が退院してくると、みんな寄ってたかって「跡を見せて」と頼んだ。
しかしそれは頼みやすい性格の子だけで、そうでない子の場合は体育の時間、着替えるときにこっそり盗み見たものだった。
「見た」「うん、見た、見た」「すごかったね、きっと痛かっただろうなぁ」
自分たちはかたまって、こそこそと盲腸の傷跡について話し合った。
次はいつ、誰が腹を切られるかわからない。
もしかしたら次は自分かもしれない。
みんな恐怖におののいていたのである
ちょっとでもお腹が痛くなると、「盲腸じゃないか」と、とっても不安になった。
当時の盲腸炎はハラキリ(武士の切腹)に匹敵するくらい、残酷な出来事であったのである。
そんな不安を煽るかのように、ひとり、またひとりと盲腸炎にかかる子が出ると、そのたびに暗い気持ちになった。
「手術したあとは、笑っちゃいけないんだって」といううわさ話もあった。
夢の中で、手術が終わりベットで横になってテレビを見て笑ったら、傷口がバカッと開いて臓物がゾロゾロ出てしまう。
何度この夢を見てうなされたことか。
当時の子供をパニックに陥れたのは、間違いなく盲腸だったのである。