浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

ハンバーガー

2020-06-13 | 日々是好日

人間の口の寸法は、人さまざまだがせいぜい5センチ。

平均すれば4センチ。

この4センチの穴から食べ物を取り入れる。

ということは5センチ以上の物は口に入らないことになる。

だからあらゆる食べ物は、最終的に4センチ以下のサイズに切ったりして口に入れることになる。

シュウマイしかり、肉団子しかり、握り寿司しかり。

ところがハンバーガー。

これは最初から口のサイズを無視している。

厚さ6センチ、7センチのハンバーガーはいくらでもある。

口の大きさに余るハンバーガーを無理やり口の中に突っ込もうとするとき問題が起きる。

それまでかろうじて秩序を保って積み重ねてあった具がずれる。

バーガーキングのデラックスオニオンリングワッパー          

テイクアウトなのでいささかつぶれ気味ですが厚さ7センチ、直径は12センチとビッグサイズ。

手に持ったとき、ずっしり重い。

このまま口の中に押し込もうとすれば、鼻の奥のところまでパンがくるから息が苦しい。

ハンバーガーは商品である。

商品というものは消費者から苦情があれば、ただちに改良されるものなのだが、ハンバーガーに限って苦情はこない。

容認されているのだ。

容認どころか、その食べづらさを楽しんでいる様子もうかがえる。

ということになって、それならもっと厚くしてやろうということになり、8センチ、10センチというのさえある。

ハンバーガーは、わざと大きくした「わざともの」であり、食べ方は「かぶりつく」である。

人間はかぶりつくという行為に郷愁みたいなものを感じるのではないか。

大きな食べ物を目の前にすると理性を失うところもある。

人類の歴史は、そのほとんどが飢餓の歴史であったという。

大昔の人間は毎日毎日腹が減って腹が減って、探しても探しても食べ物が見つけられず、ようやく食べ物を発見したときのDNAが残っているらしい。

そのときの食べ物は小さいより大きいほうが喜びは大きいに決まっている。

そしてそのときの食べ方は、食べづらいとか、持ちづらいとか、口に余るとか、そういうことは問題にならなかったと思う。

その本性がハンバーガーのときに現れるのだ。

人間はあまりに美味しいと思ったときは唸ってもよいのではないか。

たとえばテレビのグルメ番組で、下手に美味しさを表現するより、低く唸ってみせるというのはどうか。

何と言いつつ唸るか、それはこれからの課題である。

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ひじの梅干し化

2020-06-13 | 定年波止場

中年のおばさんが腕まくりなどをすると、ひじが丸出しになることがある。

歳をとってくると仕方がないことではあるのだが、ひじはかさついて皺だらけ。

ああなると嫌だなぁ、と思いながら自分のを調べてみると…

悲しいことに何年か後には、醜いひじになる運命の半梅干し状態のものが、そこにあったのである。

「えらいこっちゃ」、とあわててタオルでこすったりしたが何の効果もない。

「ひじの梅干し化」は絶対に避けたいので、藁にもすがる思いであれこれ試してみた。

「レモンでひじをこする」「軽石で軽くこする」

など一応やってみたが、効果があるのかどうかわからない。

こういうものは毎日毎日少しずつやって効果があるもので、すぐに効果が出ない場所である。

しかしせっかちな性分なので、すぐ効果がないと嫌になってすぐやめたくなってしまう。

将来に向けての、あてのない努力は嫌なのだ。

タオルでこすっても、レモンでこすっても、軽石でやってみても、ひじの梅干しはなかなか柔らかくなってくれなかった。

動物園にいる像の皮膚のように、妙に頑固なものである。

歳をとったら顔だけでなく、ひじまで梅干しになる。

「梅干しばばあ」とはよくいったものだが(アタクシの場合、梅干しじじい)、あきらかにその一歩を踏み出しているのであった。

小梅が採れました          

梅干しではなく、酢漬けにします。

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