カップ麺が売れているという。
ステイホームなので、腹が減ってラーメンでも食いに行こうと思っても外出できない。
そこでカップ麺に手が出るということらしい。
実際にスーパーに行ってみると、カップ麺のコーナーはガラガラだったりする。
カップ麺は確かに手軽である。
フタを開けてお湯さえ注げばあとは何もしなくていい。
カップ麺のそばで3分間立っていればいい。
ただ言えるのは、3分間カップ麺の前で立っている男の姿はインスタ映えしないということである。
「いいね」はもらいにくい姿である。
どちらかというと侘しい。
勇壮な姿とは言いにくい。
だいたいこのとき何をしているのか。
料理をしている…わけではないし、が、料理をしていないわけでもない。
それに近いことをしているわけだが…ただ立っているだけ。
どちらかというと調理に近いが、調理というものは何かを刻んだり、味を見たりするわけだが…とにかく何もしてない。
カップ麺は何故かわからないが貧乏くささがつきまとう。
そもそもカップ麺にお湯を注ぐところから貧乏くささがつきまとう。
カップ麺のフタをビリッと開けてちょこっとスキマを作り、そのスキマにお湯を注ぐわけだが、スキマというのが貧乏くさい。
少なくとも裕福には感じられない。
お湯を注ぎ終わったら急いでフタを閉めるわけだが、フタがめくれ上がるのでそのへんにある包丁かなんかをフタの上にナナメに置く。
急いで、というところがいじましいし、包丁というのがせこい。
ナナメに、というところもこせこせしている。
カップ麺は「お湯を注いで3分」が売りであるが、実際はその前にお湯を沸かさなければならない。
ヤカンに水を入れて、そのヤカンをガス台にのせて火をつけ3分待たなければならない。
沸騰するまで3分、ガス台の前に佇んでいなければならない。
カップ麺は3分で出来上がるというが、実際は6分かかっている。
カップ麺が誕生してからすでに50年近く経っている。
50年間、人々はこのわずらわしさにジッと耐えてきたのである。
日本には「おーいお茶」の時代があったが「おーいカップ麺」の時代はなかった。
この先もたぶんないと思うのであった。
ステイホームでいいこともある。
全国津々浦々のカップ麺を食べることができる。
北の青森から
新潟のカップ麺
北方は煮干し系のラーメンが多い
在宅で日本全国のカップ麺がいただける時代になったんですね。
これに登別温泉や別府温泉なんかの入浴剤があれば、自宅にて全国温泉巡りやラーメン食べ歩きなどの旅行気分が味わえる。
旅に出るのはまだチト早いような雰囲気なので、しばらくは入浴剤とカップ麺のセットで楽しみたいと思うのであります。