年に一度、母校の同窓会定期理事会・総会の案内が届く。
もののはずみで山陰支部の理事という役についてはいるが、一度も総会に出席したこともなく、毎年ハガキで議決権を承認するカタチで終えている。
支部に全国にあり、そのメンバーを見ると懐かしい同窓生や、先輩後輩の名を見つけると元気でやってることに安堵する。
定年退職後のお役を務めているのか…などと想像している。
♪やっぱりお役がおいしいと、泣いてはドジョウを困らせた~。
と前期高齢者の仲間入りをしている者の話です。
コロナ禍のご時世、総会は開かれず資料だけ送られてきたが、その最後に令和3年故人名簿というのがあり、同窓生や2年先輩の名が載っていて驚いたりする。
卒業以来一度も会ったことが無くても「同じ釜の飯を食った」仲間だ。
悲しいお知らせに、ドキッとして我が身を振り返る。
いつどうなってもいいとは覚悟はできている。
とは言っても、さて本当にお迎えがきたら、きっとうろたえるだろうな。
そうならないように準備したいけど、どうしたらいいのだろうか。
新聞のお悔や覧を見ながら、そう思う日々を過ごすのであります。