♪ 静かな静かな里の秋…
日中はまだ日差しが強いが、朝晩は冷えてきて秋本番。
小さな秋を探してプチトレッキング。
出雲北山から望む出雲平野と宍道湖
アケビと栗、ススキの秋三役
秋晴れの秋分の日でした。
♪ 静かな静かな里の秋…
日中はまだ日差しが強いが、朝晩は冷えてきて秋本番。
小さな秋を探してプチトレッキング。
出雲北山から望む出雲平野と宍道湖
アケビと栗、ススキの秋三役
秋晴れの秋分の日でした。
コロナ禍の影響で、マラソン大会がことごとく中止になったので、もう2年はレースに参加していない。
もしかしたらもう走ることはないかもしれない、などと思う。
走らなくてもまだ歩くことはできそうなので、散歩に力を入れようか。
などと思ったりしている。
散歩は足腰を鍛える、筋力をつけるなどの準備はいらない。
特殊な技術もいらない。
強いて言えば、右足と左足をいっぺんにではなく、交互に繰り出していくというのがコツ、といえばいえるかもしれない。
散歩は一年中楽しめるものであるが、厳冬の冬、目も開けられないような横なぐりの猛吹雪の中の散歩は楽しくない。
一歩間違うと「八甲田山死の行軍」となって行き倒れになる恐れもある。
真夏の散歩も汗だくになる。
散歩は春先か秋がベストだ。
目的もなくブラブラ歩くのは楽しい。
コスモスと秋の空
クルマでは通過してしまうので気づかないことも、散歩ならいろんなものが目にとまるものです。
今宵は十五夜。
セーラームーンにお仕置きをしてもらいたいと思いまして、東の空を見ています。
雲がないので運がいい。
見事なまでのお月さま
画がなくてすいません。
写す技量がないのです。
家族して、月を見て、うっとり感動するって運がいい。
なんて思うのでした。
会社などである程度出世して退職した人(サラリーマンの場合)ほど使い物にならないとよく聞く。
自分に自信があるので、人に指図したがり下働きからは逃げるからだ。
部下に「ああしろこうしろ」と指図していただけなので、自分では何もできない。
というかやろうとしない。
地域ボランティアに入っても差配したがって嫌われる。
何か集まりに出ると喋りたがり、自己紹介が長い。
内容は自慢話で何の役にも立たない。
議事内容についてゆけないと「最後にひとつ」と手を上げ、「今日の意見を大切にしましょう」などと意味のないことを言う。
自分の存在を見せたくて仕方がないのだ。
ある程度の地位にいた自負を誰も認めてくれないので、自分からちらつかせるが、聞いた側は「ああそうですか(だから何ですか)」だ。
少しでも興味を示すと語ること語ること。
飽きて他の話をはじめると「人の話は最後まで聞け」と怒り出す。
したがって人が寄りついてこなくなり、さらに孤独は深まる。
これは哀れだ。
典型的なダメ人間だ。
ドキッとする
明日は我が身だ。
こんな風にだけはなりたくない。
真価は定年後に発揮される。
当地区では75歳から敬老を祝う。
昔は70歳からであったが高齢者が増えたのと、まだ70歳では老人と呼ばれるのを憚る人が増えたことなどで75歳からになったようだ。
人生100年時代とは言うが、75歳まで生きることはなかなか難しいと思う。
自分に当てはめてみれば、75歳にして無事敬老の日を迎えられるか、はたして疑問である。
寄る年波には無理をせず、流れに沿って生きたいと思うのである。
白い彼岸花を見つけた
赤い彼岸花と稲刈り前の稲穂、緑と白い彼岸花。
吹く風も秋色ですね
いわゆる菓子パンといわれるものは、食パンなんかに比べれば真面目さが足りないが、主食方面ではなく、間食方面では人気者である。
洋食化、ケーキ化と多様化する傾向の中にあって、チョコパン、クリームパン、メロンパン、アンパン、ジャムパンは未だ健在である。
その昔、チョコパンとクリームパンは、その他の菓子パンとは別という観があった。
アンパンやジャムパンより、チョコ、クリームのほうがずっと偉かったのである。
だから扱いも丁重だった
貝殻状のチョコパンの場合は、まず入り口のところのセロハンのフタを外し、これに付着したチョコを舐めとるのがオープニングセレモニーであった。
そして必ず尻尾のほうから食べる。
美味しいところは後から味わう、というのが子供たちの暗黙の了解事項であった。