はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

(43)グッド・シェパード

2007年11月09日 | 映画(2007-08年公開)


良き羊飼いの末路

 3時間近い長尺の作品だったが見応えがあったので時間の長さは気にならなかった。エドワード・ウィルソンという架空の人物を主人公に、映画の素材としては散々使い尽くされた感のあるCIA(大抵、悪者役)の草創期からキューバ危機に至るまでの経緯が緊迫感溢れる演出で描かれ、米国現代史の裏側を覗き見る面白さを感じたと同時に、組織に翻弄される人間の人生の苦さが胸を突いて印象的だった。

 米CIAは、第2次世界大戦時に諜報活動を行った米軍のOSS(Office of Strategic Services、戦略事務局)を前身として戦後発足された諜報機関だ。資料によれば、草創期の主たるメンバーはイェール大学に存在する秘密結社スカル&ボーンズ(Skull&Bones、頭蓋骨と骨、以下S&B)の会員から選抜されたエリート学生であったらしい。S&Bとは、米国の名家(と言ったら、やっぱり1620年にメイフラワー号に乗って米国に渡って来た初期の移民の子孫を指すのだろうか?)の出身者のみが入会を許され、将来は米国政財界のトップを目指すエリート集団のようである。ブッシュ大統領は祖父の代からこのS&Bのメンバーであり、大統領選でブッシュ大統領と戦った民主党のジョン・ケリー候補も同メンバーであったと言う(しかし「ブッシュ大統領もメンバー」となると、失礼ながら(..;)「能力」より「血筋」なのかなと思う。エリートをエリートたらしてめているのは、結局”身内”の助け合いなのでしょうか?)

 結局人間は自由な新世界を求めても、そこで新たな階層社会を築くものなのか。S&Bメンバーの祖先であるピューリタン(清教徒)も、英国国教会(教義的にはカトリックに近い)の縛りから逃れるべく米国に渡って来たはずが、新天地で自分達を頂点とする階級社会を作り上げたのである。こういうところに、人間の逃れられない業のようなものを感じるなあ。

 かつては詩を愛し、諳(ソラ)んじた情緒豊かな若者だったエドワードが、組織の中枢に身を置けば置くほど、人間としての心を失って行く。命令とあれば、新婚で身重の妻を置いて海外の戦地へ。生まれた我が子を数年もその手に抱くこともない。常に緊張を強いられる勤務状況下では、家族の孤独と不安を顧みる余裕すら持てない。

 主人公エドワードがCIAの過酷な任務に身を投じた原点には、父の不名誉な死があったのかもしれないが、その父の、我が子エドワードに託した真の思いに、彼はもっと早く気付くべきではなかったのか?彼のその時々の選択(軽率な行動とも言えるだろうか?それが愚かであるがゆえに人間的でもある)は、皮肉なまでに彼の人生の歯車を狂わせて行く。もう後戻りできないまでに、非情な組織のメンタリティに染まりきった彼は、自分が組織の人間である前に、夫として、父親として、そして人間として何をすることが最善なのかの判断さえつかなくなってしまう。

 (公式サイトでは「国民の」とあったが)「国家」の良き羊飼いたらんとして彼が人生で失ったものはあまりにも大きい。その人生は家族をも巻き込んだ自己犠牲の人生であり、私には到底理解し得ないものだが、キリスト教的価値観の文脈の下では肯定され得る生き方のひとつなのだろうか?

 ロバート・デ・ニーロ監督は当初、エドワード役にレオナルド・ディカプリオを想定していたようだが、レオのスケジュールの都合がつかず、マット・デイモンということになったらしい。レオならどんな風に演じたのだろう。個人的には知性派マットの抑制した演技は人物像にリアリティを感じさせ良かったと思う。彼のヨレヨレのコートの後ろ姿が、(”神”にも匹敵する権力を手中に収めたにも関わらず)悲愴な雰囲気を湛えた残像として、今も脳裏に焼き付いている。

 ◆『グッド・シェパード』公式サイト

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