六義園
23日(金)秋分の日、JR京浜東北線・上中里駅を起点に旧古河庭園→六義園→巣鴨へと至る街散歩に行って来ました。3年前の初夏以来の再訪です。
あいにくの曇り空でしたが、やっと涼しくなり、長い距離を歩くにはちょうど良い日和でした。
旧古河庭園の入口。
明治から大正にかけて日本で活躍した英国人建築家で、あの日本画家河鍋暁齋の直弟子でもあるジョサイア・コンドルが設計した、石造りの洋館。園内の最も高い場所に建てられています。
今年の2月に河鍋暁齋美術館を訪ねたこともあり、今回は新たな感慨を持って、この洋館を見ることができたように思います。
「英国貴族の邸宅に倣った古典様式」で作られたこの洋館は、外壁を「伊豆真鶴産の新小松岩(安山岩)」で覆い、その赤茶けた色合いが、温かみのある雰囲気を醸し出しています。さらに全面に設えられた白い窓枠が示すように開口部の多い造りは、四季折々の庭の美しさを楽しむ為でしょうか?現在は(財)大谷美術館の管理下にあるようです。
設計者ジョサイア・コンドルは鹿鳴館、ニコライ堂、三菱旧1号館、岩崎邸など、日本近代建築史に燦然と輝く作品を手がけただけでなく、工部大学校(現在の東京大学工学部建築学科)で教鞭を執り、後に日銀本店や東京駅の設計を手がけた辰野金吾を指導するなど、日本の近代建築の発展に計り知れない功績を残した人物です。そして日本画も本格的に学ぶなど、日本文化にも造詣が深く、単なる「お雇い外国人」の枠を超えた知日派だったようです。
コンドルは洋館の下手にある洋風庭園の設計も手がけています。約90種180株が栽培されているバラ園では10月15日(土)から秋のバラフェスティバル(←詳細はコチラをクリック)が開催されるようです。
今は殆ど花もなく寂しい佇まいのバラ園ですが、10月半ば頃には辺り一面バラの香りに包まれ、色とりどりのバラを見ることができそうです。さぞかし華やかな雰囲気なんでしょうね。
園内にはバラに因んだグッズ(バラの花びら入り羊羹や紅茶、香水他)を販売している売店もあり、今回、私はローズ・ルームコロンを買いました。
さらに下って行くと、心字池(「心」の字に似せて作られた池)を中心に据えた回遊式の日本庭園があります。
この庭園は京都の庭師、小川治兵衛による作庭で、水を使わずに山水の景観を表現した「枯れ滝」や、絶妙なバランスで自然石を組み合わせた「崩石積」など、これまた意匠を凝らした名園です。
また、園内の至る所で目にした石灯籠が、奈良の春日大社に因んだ(想を得た?)ものであることに、今回、初めて気がつきました。何か特別な意味でもあるのでしょうか?
園内を見渡すと、木々の葉がほのかに赤く色づいているのが目につき、そこかしこに秋の気配が感じられました。
思わず「小さい秋」をくちずさんでしまいました
だれかさんが だれかさんが だれかさんが 見つけた
小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた…
さらに以前は渡れた橋、通れた小径が、3月の震災で倒壊し、通行止めになっているのが目につきました。それは次の目的地六義園も同様でした。直接の被災地から遠く離れた関東でも、震災の爪跡は震災から6カ月経った今も、生々しく残っています。
旧古河庭園から六義園へのルート:地図の通り、本郷通りをJR山の手線駒込駅方向に向かってひたすら南下すると、六義園に到着します。
六義園に向かう道すがら、見かけたさまざまなものたち。
木肌の模様が素敵な街路樹
道端の彼岸花。
「アンパンマン」でお馴染みの出版社「フレーベル館」
写真は撮り損ねたものの、途中で見かけた昔ながらの庶民的な地元密着型マーケット。なぜか「エネルギー スーパー」と銘打っていました。もしかして「活気のある」店とでも言いたかったのかしら?実際、店頭は大勢のお客さんで賑わっていました。
さて、六義園に到着です。徳川五代将軍・綱吉公に仕えた川越藩主・柳沢吉保が、今から約300年前に築いた大名庭園。園内は都心の中にいるとは思えない空気のおいしさ。樹木から放出されるフィトンチッド成分が辺り一面に充満している感じです。
入場口付近の掲示板にあった、おそらく園を訪れる小・中学生に向けたであろう解説が印象に残りました。それは「公園」と「庭園」の違いについて言及したもの。
「公園」の発祥は、産業革命で急激に都市化の進んだ19世紀英国ロンドンで、地方から多くの人々が移り住み居住環境が悪化した為、市民の息抜きの場として設けられたのが始まりだとか。それに対して日本の「庭園」の歴史は古く、平安時代にまで遡る。長い年月をかけて洗練され、その様式美が確立されたと言える。
「公園」の歴史が意外に浅いものだったことに、今更ながら驚かされました(「公園」に代わる公共性の高い場所は古くからあったのかもしれません。例えば古代ローマのフォーラム<円形広場>や公衆浴場など)。その「公園」が広く一般市民に開かれた公共性の高いものだったのに対し、「庭園」は時の権力者が自ら楽しむ為に設けた閉じられた空間であったと言う違いが興味深いです。そこでは西洋の「庭園」についての言及はなかったのですが、権力者が自身(個人)の楽しみの為に贅を尽くした庭造りは、同時に、その権勢を象徴するものでもあったことは、容易に想像がつきます。
心なごむ風景です…
六義園はとにかく松が見事!
これ、実はトイレ。風流なり~
緑が目に沁みるように美しい…
庭園内を散策しているうちに、空も晴れて来ました
六義園を出て、時計回りに塀伝いを歩いて行くと、区画割の見事なお屋敷街に出ます。思わず見惚れるようなデザインの豪邸あり。厳重なセキュリティで固められた邸宅あり。そして、それらの敷地内に駐車中の車は軒並み高級外車か、国産高級車。その一角だけ、ハイソな雰囲気を醸し出しています。
ただ、元の居住者が何らかの事情で土地を手放したのか、突如その場に似つかわしくない古代ギリシャ・ローマ神殿の柱を思わせる豪華で堂々とした石造りの列柱が姿を現したり(聞いたこともない宗教団体の施設でした。すべてとは言いませんが宗教団体って、本当に資金が潤沢なんですね宗教団体に配慮して非課税の措置をとっている国は税収不足で困っているのに…)、かつてはそれなりの邸宅であったはずの土地を切り売りしたであろう狭小なミニ住宅群もありました。
時の流れには逆らえないとは言え、江戸時代から続いて来たであろう街並みの秩序が乱されてしまったようで、部外者ながら少し残念が気がしました。官民を問わず歴史的に美しい景観を維持・保存すると言う思想が、元々この国にない(つまり「民主主義」と同様に外来の思想なので、なかなか本質的な部分が根付かず、形骸化している)ことが問題なのかもしれません。それが証拠に、昔ながらの景観が維持されているのは、官の管理下にある六義園のような庭園や、寺社くらいなもので、民有地の変容には凄まじいものがあります。
前回もそうでしたが、最終目的地の巣鴨に着く頃には日も陰ってしまいます。人波も絶えないのでプライバシーも考慮せざるを得ず、商店街で何枚か撮影を試みましたが、マトモに撮れたのは結局、左の1枚のみ。この写真を撮った直後に空は曇天に変わり、商店街の賑わいを写真に収めることはできませんでした。
今回、街を散歩中、歩道での自転車の往来の激しさに注意せずにはいられなかったのですが、やはりここでも自転車のマナーが問題になっているのか、商店街入口にも「ひとにやさしい自転車マナー」のスローガンが掲げられていますね。
人間はひとたび道具を得ると「虎の威を借る狐」よろしく、傲慢になりがちなのをもう少し自覚すべきだと思います。「乗用車」「自転車」「ベビーカー」対「歩行者」(「ベビーカー」が挙げられているのを意外に思う人もいるかもしれませんが、混雑した通りやショッピングセンターでのベビーカーは、使い方によっては、歩行者にとって凶器になります。私もこれまで何度ぶつけられ、車輪に足を踏まれたことか。ベビーカーの先端と使用者との間に、ある程度の距離がある為、他者との距離感覚が計りづらいのが原因かもしれません)。
特に過密な都市部では「そこのけ そこのけ ”私”様のお通りじゃーい」は通用しません。四者の力関係を見れば、歩行者が絶対弱者なのですから、他の三者は歩行者の安全性を最優先して、道具を用いるべきでしょう。利便性を享受する(パワーを得る)分、自己主張は控えめがちょうど良いのかもしれません。そして相手を思いやるマナーさえ遵守すれば、互いの共存はまだ十分可能なはずです。
街散歩は私にとって楽しい娯楽のひとつですが、最近は車だけでなく自転車の脅威に晒されている印象が強く、のんびり景色を眺めながら歩くこともままならなくなったようで残念です。もちろん、地元に帰れば自分も自転車ユーザーなので、乱暴走行車を反面教師に、自らも安全走行を心がける必要があると思っています。
23日(金)秋分の日、JR京浜東北線・上中里駅を起点に旧古河庭園→六義園→巣鴨へと至る街散歩に行って来ました。3年前の初夏以来の再訪です。
あいにくの曇り空でしたが、やっと涼しくなり、長い距離を歩くにはちょうど良い日和でした。
旧古河庭園の入口。
明治から大正にかけて日本で活躍した英国人建築家で、あの日本画家河鍋暁齋の直弟子でもあるジョサイア・コンドルが設計した、石造りの洋館。園内の最も高い場所に建てられています。
今年の2月に河鍋暁齋美術館を訪ねたこともあり、今回は新たな感慨を持って、この洋館を見ることができたように思います。
「英国貴族の邸宅に倣った古典様式」で作られたこの洋館は、外壁を「伊豆真鶴産の新小松岩(安山岩)」で覆い、その赤茶けた色合いが、温かみのある雰囲気を醸し出しています。さらに全面に設えられた白い窓枠が示すように開口部の多い造りは、四季折々の庭の美しさを楽しむ為でしょうか?現在は(財)大谷美術館の管理下にあるようです。
設計者ジョサイア・コンドルは鹿鳴館、ニコライ堂、三菱旧1号館、岩崎邸など、日本近代建築史に燦然と輝く作品を手がけただけでなく、工部大学校(現在の東京大学工学部建築学科)で教鞭を執り、後に日銀本店や東京駅の設計を手がけた辰野金吾を指導するなど、日本の近代建築の発展に計り知れない功績を残した人物です。そして日本画も本格的に学ぶなど、日本文化にも造詣が深く、単なる「お雇い外国人」の枠を超えた知日派だったようです。
コンドルは洋館の下手にある洋風庭園の設計も手がけています。約90種180株が栽培されているバラ園では10月15日(土)から秋のバラフェスティバル(←詳細はコチラをクリック)が開催されるようです。
今は殆ど花もなく寂しい佇まいのバラ園ですが、10月半ば頃には辺り一面バラの香りに包まれ、色とりどりのバラを見ることができそうです。さぞかし華やかな雰囲気なんでしょうね。
園内にはバラに因んだグッズ(バラの花びら入り羊羹や紅茶、香水他)を販売している売店もあり、今回、私はローズ・ルームコロンを買いました。
さらに下って行くと、心字池(「心」の字に似せて作られた池)を中心に据えた回遊式の日本庭園があります。
この庭園は京都の庭師、小川治兵衛による作庭で、水を使わずに山水の景観を表現した「枯れ滝」や、絶妙なバランスで自然石を組み合わせた「崩石積」など、これまた意匠を凝らした名園です。
また、園内の至る所で目にした石灯籠が、奈良の春日大社に因んだ(想を得た?)ものであることに、今回、初めて気がつきました。何か特別な意味でもあるのでしょうか?
園内を見渡すと、木々の葉がほのかに赤く色づいているのが目につき、そこかしこに秋の気配が感じられました。
思わず「小さい秋」をくちずさんでしまいました
だれかさんが だれかさんが だれかさんが 見つけた
小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた…
さらに以前は渡れた橋、通れた小径が、3月の震災で倒壊し、通行止めになっているのが目につきました。それは次の目的地六義園も同様でした。直接の被災地から遠く離れた関東でも、震災の爪跡は震災から6カ月経った今も、生々しく残っています。
旧古河庭園から六義園へのルート:地図の通り、本郷通りをJR山の手線駒込駅方向に向かってひたすら南下すると、六義園に到着します。
六義園に向かう道すがら、見かけたさまざまなものたち。
木肌の模様が素敵な街路樹
道端の彼岸花。
「アンパンマン」でお馴染みの出版社「フレーベル館」
写真は撮り損ねたものの、途中で見かけた昔ながらの庶民的な地元密着型マーケット。なぜか「エネルギー スーパー」と銘打っていました。もしかして「活気のある」店とでも言いたかったのかしら?実際、店頭は大勢のお客さんで賑わっていました。
さて、六義園に到着です。徳川五代将軍・綱吉公に仕えた川越藩主・柳沢吉保が、今から約300年前に築いた大名庭園。園内は都心の中にいるとは思えない空気のおいしさ。樹木から放出されるフィトンチッド成分が辺り一面に充満している感じです。
入場口付近の掲示板にあった、おそらく園を訪れる小・中学生に向けたであろう解説が印象に残りました。それは「公園」と「庭園」の違いについて言及したもの。
「公園」の発祥は、産業革命で急激に都市化の進んだ19世紀英国ロンドンで、地方から多くの人々が移り住み居住環境が悪化した為、市民の息抜きの場として設けられたのが始まりだとか。それに対して日本の「庭園」の歴史は古く、平安時代にまで遡る。長い年月をかけて洗練され、その様式美が確立されたと言える。
「公園」の歴史が意外に浅いものだったことに、今更ながら驚かされました(「公園」に代わる公共性の高い場所は古くからあったのかもしれません。例えば古代ローマのフォーラム<円形広場>や公衆浴場など)。その「公園」が広く一般市民に開かれた公共性の高いものだったのに対し、「庭園」は時の権力者が自ら楽しむ為に設けた閉じられた空間であったと言う違いが興味深いです。そこでは西洋の「庭園」についての言及はなかったのですが、権力者が自身(個人)の楽しみの為に贅を尽くした庭造りは、同時に、その権勢を象徴するものでもあったことは、容易に想像がつきます。
心なごむ風景です…
六義園はとにかく松が見事!
これ、実はトイレ。風流なり~
緑が目に沁みるように美しい…
庭園内を散策しているうちに、空も晴れて来ました
六義園を出て、時計回りに塀伝いを歩いて行くと、区画割の見事なお屋敷街に出ます。思わず見惚れるようなデザインの豪邸あり。厳重なセキュリティで固められた邸宅あり。そして、それらの敷地内に駐車中の車は軒並み高級外車か、国産高級車。その一角だけ、ハイソな雰囲気を醸し出しています。
ただ、元の居住者が何らかの事情で土地を手放したのか、突如その場に似つかわしくない古代ギリシャ・ローマ神殿の柱を思わせる豪華で堂々とした石造りの列柱が姿を現したり(聞いたこともない宗教団体の施設でした。すべてとは言いませんが宗教団体って、本当に資金が潤沢なんですね宗教団体に配慮して非課税の措置をとっている国は税収不足で困っているのに…)、かつてはそれなりの邸宅であったはずの土地を切り売りしたであろう狭小なミニ住宅群もありました。
時の流れには逆らえないとは言え、江戸時代から続いて来たであろう街並みの秩序が乱されてしまったようで、部外者ながら少し残念が気がしました。官民を問わず歴史的に美しい景観を維持・保存すると言う思想が、元々この国にない(つまり「民主主義」と同様に外来の思想なので、なかなか本質的な部分が根付かず、形骸化している)ことが問題なのかもしれません。それが証拠に、昔ながらの景観が維持されているのは、官の管理下にある六義園のような庭園や、寺社くらいなもので、民有地の変容には凄まじいものがあります。
前回もそうでしたが、最終目的地の巣鴨に着く頃には日も陰ってしまいます。人波も絶えないのでプライバシーも考慮せざるを得ず、商店街で何枚か撮影を試みましたが、マトモに撮れたのは結局、左の1枚のみ。この写真を撮った直後に空は曇天に変わり、商店街の賑わいを写真に収めることはできませんでした。
今回、街を散歩中、歩道での自転車の往来の激しさに注意せずにはいられなかったのですが、やはりここでも自転車のマナーが問題になっているのか、商店街入口にも「ひとにやさしい自転車マナー」のスローガンが掲げられていますね。
人間はひとたび道具を得ると「虎の威を借る狐」よろしく、傲慢になりがちなのをもう少し自覚すべきだと思います。「乗用車」「自転車」「ベビーカー」対「歩行者」(「ベビーカー」が挙げられているのを意外に思う人もいるかもしれませんが、混雑した通りやショッピングセンターでのベビーカーは、使い方によっては、歩行者にとって凶器になります。私もこれまで何度ぶつけられ、車輪に足を踏まれたことか。ベビーカーの先端と使用者との間に、ある程度の距離がある為、他者との距離感覚が計りづらいのが原因かもしれません)。
特に過密な都市部では「そこのけ そこのけ ”私”様のお通りじゃーい」は通用しません。四者の力関係を見れば、歩行者が絶対弱者なのですから、他の三者は歩行者の安全性を最優先して、道具を用いるべきでしょう。利便性を享受する(パワーを得る)分、自己主張は控えめがちょうど良いのかもしれません。そして相手を思いやるマナーさえ遵守すれば、互いの共存はまだ十分可能なはずです。
街散歩は私にとって楽しい娯楽のひとつですが、最近は車だけでなく自転車の脅威に晒されている印象が強く、のんびり景色を眺めながら歩くこともままならなくなったようで残念です。もちろん、地元に帰れば自分も自転車ユーザーなので、乱暴走行車を反面教師に、自らも安全走行を心がける必要があると思っています。