
感じたのは音楽の引力とアイルランドという国の底力
ダブリン一の繁華街グラフトン・ストリート。休日ともなればそこは多くの人で賑わう。その街角で、穴のあいた古びたギターを手に自作の歌を歌う、とあるストリート・ミュージシャンがいた。その彼がある日、ひとりの女性に出会う。彼女は花売り娘。東欧チェコからの移民である。その2人を結びつけたのは「音楽」。そう、この映画は「音楽」の存在なしに成立し得ない作品なのだ。全編を貫く楽曲の数々が素晴らしい。音楽を軸に展開する多彩な人々の関わりも痛快で、「音楽」の持つ計り知れない力を存分に見せつけてくれる。
主演のストリート・ミュージシャンを演じるのは、アイルランドの人気バンドザ・フレイムスの創設者であり、ボーカルのグレン・ハンサード。とにかく彼の声が魅力的。その魅惑のハスキーボイスで、時に力強く、時に哀切を込めて歌いあげる。そして、花売りや清掃の仕事をかけもちしながらつましく暮す(実はピアノの名手である)移民女性を演じるのは、チェコで活躍するシンガーソングライター、マルケタ・イルグロバ。グレンとマルケタの2人は旧知の仲で、かつて「ザ・フレイムス」のベイシストを務めた本作の監督ジョン・カーニーの音楽映画作りに、グレンがマルケタを誘う形で実現したキャスティングらしい。本作はまさに音楽の魅力を知り尽くしたキャスト・スタッフによって作られた映画なのだ。これで面白くならないわけがない!
アイルランドと言えば、今やU2、エンヤ、ケルティック・ウーマンを輩出し、堂々と世界の音楽シーンの一角を占める音楽文化大国である。本作ではその原点がさりげなく描かれていて興味深い。主人公行きつけの居酒屋で、酒宴もたけなわとなった頃(テーブルのボトルに注目!)、老若男女がごく自然に歌い出す。高らかに、大らかに。そして最後には大合唱。うん?こんなシーン、どこかで見たことがあるような?そうだ!NHK朝ドラ『ちゅらさん』や映画『ナビィの恋』(←劇中、アイルランド人楽士が登場し、島民と共に音楽を演奏している!)で描かれていた、ウチナ~ンチュの酒席の様子にそっくりである!「ケルト音楽」と「島唄」は、その精神性に共通のものを見出せるのではないか?おそらく国を問わず、洋の東西を問わず庶民は集い、酒席を囲んでは歌い踊って、日々の暮らしの憂さを晴らし、互いを励まし、支え合って来たのだろう。「音楽」は常に彼らと共にあったのである。
特に大国(=覇権国家)に隣接する小国や地域は、常に侵略支配の脅威に晒されているが故に、”自国のアイデンティティ”を様々な形で守り通して来た歴史的背景を共通して持っている。その産物としての”豊かで多様な文化”と言えるのだろうか。
そう言えばグルジア人の絆を描いた映画『やさしい嘘』をきっかけに知ったグルジアという国の様相も興味深い。グルジアは、文化的にはアジアとヨーロッパが交差する地として民族音楽や民族舞踊が盛んらしい。狭い国土ながら、踊りも歌も地域色が極めて強い点が特徴的で、衣装、合唱方法、踊りの仕草が各地域で異なり、全体で独特なグルジア文化を築いているという。
常に侵略の脅威に晒されると言うことは即ち「人が動く」と言うことであり、「人が動く」ことによって「文化が交差」する。異なった文化が交差する地域は、巧みにさまざまな文化を取り入れ、混合し、独自の文化を築きあげる逞しさとしなやかさを持っていると言えるのではないだろうか?アイルランドは、そうした特徴を強く持った国と言えるだろう。
忘れてはならないのは、本作が「移民」の問題も描いていることである。かつては移民を「送り出す側」だったアイルランドが、今や東欧諸国からの移民を「受け入れる側」になっている(米国では最も後発のヨーロッパからの移民と言うことで、かつてアイルランド系移民は白人社会の中でも最下層に位置づけられていた。レオ主演の『ディパーテッド』はアイルランド系とイタリア系の対立を描いているが、その背景には移民間の微妙な格差意識が影響していたのだろうか?←あくまでも個人的な憶測)。EU経済圏の拡大は、人の往来を活発化させた。貧しい地域から豊かな地域への、人の移動は止まらない。そこで起きる文化的摩擦、社会の階層化、そして犯罪(つい最近イタリアでは、ルーマニア移民がイタリア人女性を殺害したとして、ルーマニア人排斥の動きさえ出ている)。本作では、そうしたヨーロッパにおける移民の現状も垣間見られるのだ。
上映館が今のところ渋谷のシネ・アミューズと川崎のチネチッタのみ、というのがもったいない。特にミュージシャンを目指す人が見たら、きっと励まされることだろう。埋もれた才能が発掘される瞬間に立ち会えるのだから。
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以下はネタバレにつき反転表示で…
ところで、本作では最後まで主人公2人の名前が出て来ない。エンドロールにも"GUY"、"GIRL"と表記されているだけ。出会って互いに名乗り合うこともなかった(?)男女の、音楽を通じての魂の触れ合いを描いた物語、とでも言えるだろうか?(名前を設定しないことで、物語を普遍化している、との指摘もあった。なるほど!)長い人生の束の間(Once)の関係であっても、2人の間には彼我の多くの相違点を超えて、互いを尊重しあう誠実な関係が成立していたと思う。そのことが清々しい余韻を残している。