はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

『椿山課長の七日間』

2006年12月03日 | 映画(2005-06年公開)

いつもと変わりない1日のはずだった…

つい最近、九州の義妹のお母さんが他界した。

「明後日そっち(実家)に行くね」
と電話で話した2日後にお母さんは倒れ、
そのまま意識が戻ることなく帰らぬ人となったそうだ。

この頃は友人の両親の訃報を耳にすることも多く、
その度に自分の親のことを思うものだから、
義妹の話にも胸が詰まった。
徐々に衰えて行くのなら、まだ心の準備ができる。
しかし事故や急病による突然死はあまりにも思いがけないことで、
その死を冷静に受け入れる間もなく、
亡くなった人をあの世に送り出す「儀式」に忙殺される。

しばらくは心も頭も混乱状態の中、日々を過ごすことになる。
そして一通りの儀式を終え日常の生活に戻った時、
改めて寂しさや切なさが胸に迫って来るものなのだろう。

あの世に行く前に伝えたいことがある… 

死んだ側にとっても突然死は現世に別れを言う間もなく訪れた死で、
言い残したこと、思い残したことが少なからずあるはず。

本作『椿山課長の七日間』も仕事中に突然死してしまった
椿山課長を巡る話である。

椿山課長(西田敏行)は天国と地獄の中間地点で、
白装束の天使と思しき人物に3日間の猶予を与えられ、
なぜか美女(伊東美咲)の姿を借りて、現世に舞い戻る。
「身元をけっして明かしてはならない」という掟を胸に秘めて。

同時期に現世に戻れたのは小学生のユウイチとヤクザの武田。
それぞれに事情を抱え、現世で見届けたいこと、伝えたいことがあった。
その3人の物語は意外なところで交差する…

死んで初めて気付く思いもある…

本作は「死」を扱いながら、そこに暗さはなく、恐怖もない。
笑いとペーソスに溢れ、人の情に触れて心が温かくなる作品だ。
「死後」を描いて、現世の生き方を省みるよう促されている
ようにも思える。


17世紀オランダでは、ドクロを中心に、砂時計、蝋燭、お金等、
「いつかはなくなってしまうもの=儚い存在」をひとつの
カンヴァスに描き込んだ静物画「ヴァニタス画」が大流行した。

これは、当時栄華を極めていたオランダの市民に対して、
(当時のオランダでは質実剛健を旨とするプロテスタントの
一派カルヴァン派が大勢を占めていた宗教的背景があった)

物欲や所有物への必要以上の執着を戒め、
翻って自身の生き方を充実させよとのメッセージが込められた
いわゆる「教訓画」だったのだ。

【作例】エドワールト・コリール《ヴァニタス―書物と髑髏のある静物》


本作も、堅苦しいメッセージは込められてないにしても、
主人公と現世に残された人々とのやりとりを通して、
夫婦や親子の情愛、縁あって関わった人々との交情等
改めて感じ入るものがあり、自分がひとりの人間として
どう生きるべきか考えずにはいられなかった。

当初、伊東美咲が中年男の内面を表現すると聞いて、
大丈夫なのかなと心配だったのだが、
演技の上手下手以前に彼女の清潔感が好ましく、
最後までその魅力に引っ張られた。

脇を固める役者も演技力に定評のあるベテランから子役まで、
私好みの顔ぶれで安心して見ることができた。
余貴美子、市毛良枝、國村隼、桂小金治らの演技、存在感は
特に印象深かった。
誰もが人知れぬ思いを背負って生きている

映画館では泣くまいと常々思っているが、
本作では場内が明るくなるのが恨めしいほどに涙が出た。
終盤に近付くにつれ胸にグッと来る台詞が多かったのだ。

これは希代のストーリーテラー浅田次郎の術中にハマッてしまった
ということに他ならないのだろうが、まっいいかniko

流した涙は心が浄化されるような心地良い涙だったから。
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