14時頃、白川郷へ到着。白川郷の正式名称は「世界文化遺産 国指定 重要伝統的建造物群保存地区 荻町合掌造り集落 白川郷」と言うのですね。実際に当地を訪れる前は「山間の静かな集落」と言うイメージでしたが、今回は特に観光シーズンということもあって、「ここは祭り会場か?」と思えるほどの賑わいで、見事なまでにイメージは覆されました。世界遺産登録(1995年)から13年が経過し、当地はかなり観光地化されていて、観光客相手の飲食店や土産物屋を営む合掌造りの家が数多くありました。
集落へは庄川に架かる吊り橋であい橋を渡って行きます。庄川は元々川幅はかなり広いようですが、夏場で水量が少ないのか、干上がった河原が広がっていました。かつては川や山に守られた集落だったのでしょうね。
庄川に架かる「であい橋」。前方奥に集落が…
「であい橋」から庄川を望む
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白川郷では50分の見学時間が与えられました。集落内を一通り散策した後、せっかくなので、家屋内部が一般公開されている中でも、集落内で最大と言われる長瀬家を見学しました。入場料は大人300円。外からはわかりづらいですが、総床面積は約600坪にものぼり、5階建構造らしい。1階は主な生活の場、2階は使用人の寝床等、3~5階は養蚕等の作業場であったようです。私たちは1階から4階を見学しましたが、現在3、4階には多数の農耕具等が納められており、さながら博物館の民具展示室のようでした。
気になったのは天井高がまともに人が立てないほど低く作られた使用人の部屋(本当に寝るだけの部屋!)。雇い主に頭が上がらないようにとの考えから、こうした造りになっているようですが、人の主従関係の冷酷さがあからさまで、あまり良い気持ちはしませんでした。もちろん、このような主従関係は今や過去の話。おそらく現時点では、日本ほど雇い主と使用人の身分差が小さい国はないのでしょうか?しかし世界の大多数の国では、今もなお旧態依然とした身分差が存在しているのです。
1階の囲炉裏端 3階部分
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茅葺きの裏。"ねそ"と呼ばれる灌木で支える
3階の窓から外の景色を望む
【合掌造りとは】
茅葺きの屋根が掌(てのひら)を合わせたような急勾配の山形をした建築を言います。白川郷では屋根の両端が本を開いて立てたような形の『切り妻合掌造り』と呼ばれる様式で、当地の重く多い積雪に耐え風土に適した構造です。建築材の接合には木製のくさびや、ねそ(マンサク)などが用いられ、金属の釘やかすがいは使われていません。ねそで締めた屋根の骨格は風雪に強く、年月とともに強度を増すという、風土に生きた先人の知恵が込められています。
長瀬家の合掌造りは白川郷最大級の5階建て合掌造り家屋。長瀬家五代目当主民之助が建造し、明治23年完成した。約11mの一本柱(合掌柱)が、屋根の勾配の上から下までを貫き、大きな屋根を作る。柱材には樹齢150年以上の天然檜を用い、そのほか樹齢300年を超える桂、栃、欅等が随所に使われている。3年がかりの大工事で、総工費は当時の金額で800円、そのほか米800俵、酒十一石八斗を費やしたと伝えられる。
平成13年、村人や全国からのボランティア500人以上により、長瀬家80年ぶりの屋根の葺き替えが行われた。平均的家屋の約2倍、片面12,000束の萱を使った大規模な屋根葺きの様子はNHKで放映され、大きな話題を呼んだ。(以上、長瀬家リーフレットより)
この後、同じく世界遺産の五箇山へ移動。白川郷よりはかなり規模が小さな集落で、合掌造り家屋は10棟足らず。しかし、それが幸いしてか観光客も疎らで、静かな佇まいを残しています。バスガイドさんの話によれば、近年はプロのカメラマンも、好んでこちらの方を、合掌造りの里として被写体に選んでいるのだとか。しかしながら集落への近道にエレベーター1基と地下道まで作られたと言うことは、ここも世界遺産登録で確実に観光地化が進んでいると言うことでしょう。
長閑な佇まい
幸運なことに屋根葺き作業中の家屋に遭遇!
集落へは庄川に架かる吊り橋であい橋を渡って行きます。庄川は元々川幅はかなり広いようですが、夏場で水量が少ないのか、干上がった河原が広がっていました。かつては川や山に守られた集落だったのでしょうね。
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白川郷では50分の見学時間が与えられました。集落内を一通り散策した後、せっかくなので、家屋内部が一般公開されている中でも、集落内で最大と言われる長瀬家を見学しました。入場料は大人300円。外からはわかりづらいですが、総床面積は約600坪にものぼり、5階建構造らしい。1階は主な生活の場、2階は使用人の寝床等、3~5階は養蚕等の作業場であったようです。私たちは1階から4階を見学しましたが、現在3、4階には多数の農耕具等が納められており、さながら博物館の民具展示室のようでした。
気になったのは天井高がまともに人が立てないほど低く作られた使用人の部屋(本当に寝るだけの部屋!)。雇い主に頭が上がらないようにとの考えから、こうした造りになっているようですが、人の主従関係の冷酷さがあからさまで、あまり良い気持ちはしませんでした。もちろん、このような主従関係は今や過去の話。おそらく現時点では、日本ほど雇い主と使用人の身分差が小さい国はないのでしょうか?しかし世界の大多数の国では、今もなお旧態依然とした身分差が存在しているのです。
1階の囲炉裏端 3階部分
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【合掌造りとは】
茅葺きの屋根が掌(てのひら)を合わせたような急勾配の山形をした建築を言います。白川郷では屋根の両端が本を開いて立てたような形の『切り妻合掌造り』と呼ばれる様式で、当地の重く多い積雪に耐え風土に適した構造です。建築材の接合には木製のくさびや、ねそ(マンサク)などが用いられ、金属の釘やかすがいは使われていません。ねそで締めた屋根の骨格は風雪に強く、年月とともに強度を増すという、風土に生きた先人の知恵が込められています。
長瀬家の合掌造りは白川郷最大級の5階建て合掌造り家屋。長瀬家五代目当主民之助が建造し、明治23年完成した。約11mの一本柱(合掌柱)が、屋根の勾配の上から下までを貫き、大きな屋根を作る。柱材には樹齢150年以上の天然檜を用い、そのほか樹齢300年を超える桂、栃、欅等が随所に使われている。3年がかりの大工事で、総工費は当時の金額で800円、そのほか米800俵、酒十一石八斗を費やしたと伝えられる。
平成13年、村人や全国からのボランティア500人以上により、長瀬家80年ぶりの屋根の葺き替えが行われた。平均的家屋の約2倍、片面12,000束の萱を使った大規模な屋根葺きの様子はNHKで放映され、大きな話題を呼んだ。(以上、長瀬家リーフレットより)
この後、同じく世界遺産の五箇山へ移動。白川郷よりはかなり規模が小さな集落で、合掌造り家屋は10棟足らず。しかし、それが幸いしてか観光客も疎らで、静かな佇まいを残しています。バスガイドさんの話によれば、近年はプロのカメラマンも、好んでこちらの方を、合掌造りの里として被写体に選んでいるのだとか。しかしながら集落への近道にエレベーター1基と地下道まで作られたと言うことは、ここも世界遺産登録で確実に観光地化が進んでいると言うことでしょう。
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