はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

何がきっかけで子供は伸びるかわからない

2008年09月21日 | はなこ的考察―良いこと探し
私は(親の無関心も原因だと思いますが)言葉が遅く、小学校に入学するまで自分の名前すら書けませんでした。低学年の頃は年に言葉を二言、三言発するのがやっとで、小3で2度目の転校の時など、転校する当日までクラスメイトに転校のことを話せなかったほどでした。

その弱点を補うかように、絵を描くのは得意でした。私が自分に自信を持つきっかけとなったのは、描いた絵がコンクールに何度も入賞するなどして、徐々に周囲から私の存在を認めて貰えるようになったからかもしれません。当時、自分では絵が上手いという自覚はなく、校内外のコンクールに入賞したり、校内の文集の表紙を私の絵が飾ったりしたので、「あなたは絵が上手ね」と褒められたのを覚えています。やはり子供ですから(子供ならずとも)褒められれば嬉しい(今から考えれば絶対的な才能があると言うより、子供らしい自由な筆運びや色遣いが評価されたようです)。

人間、自信を持つと強い。転校したことも幸いしました。転校前の私を知る人はいないのですから。発語はなくとも本はよく読んでいましたから、言葉は内に貯めていたのですね。ちょうどその頃、初めて自分の国語辞典も手にして、その辞典がボロボロになるまでひきまくりました。新聞を隅から隅まで読み始めたのもその頃。友人と競い合うようにして図書館の本を貪り読みました。日に2冊読んでしまうこともありました。気に入ったシリーズや作家の作品を通して読んでみたり、棚一段の本を読破したり、ある分野の本を片っ端から読み漁ったり。

そうこうしているうちに、小4の頃には国語が得意科目になっていました。ジュール・ベルヌの『十五少年漂流記』に触発されて、処女小説『4人兄弟漂流記』を創作(笑)。小5の秋には私の作文が全国誌に掲載され、県の選抜文集にも学校代表で掲載されました。全国誌の作文を読んでくれた秋田県の女の子から手紙が届き、以来、彼女との文通は20代半ばまで続きました。

思い出したことがもうひとつ。私は基本的に左利きで、字も左手でペンを持って書くのですが、書道は左から右への運筆が基本なので左手では書きづらいと思い、最初から右手で筆を持ちました。当然、違和感があります。ところが、その違和感が功を奏して、運筆が大らかで良いと評価され、コンクールに入賞したりしたのです。小6の時には各学校の筆自慢が集って書を競う大会の学校代表にも選ばれました。何が幸いするか分からないものです(笑)。

中学、高校では国語の成績が学年でトップクラスになりました。高校の創立記念誌に在校生代表でエッセイも書きました。小学校入学時には自分の名前さえ書けなかったこの私がです。また、高3の時には特別それに向けて勉強したわけでもないのに公務員模試の成績が学内トップを記録し、国家公務員試験にも合格しました(結局公務員にはなりませんでしたが)。その後十数年のブランクの後、社会人入学した大学を首席で卒業できたのも、全ての学問の土台となる国語力の賜だと思っています。そして子供の頃、まともに声も出せなかった自分が、今では多い時には20人以上の人を前にしてギャラリートークを行っています。人生って分からないものです(そもそも美術館でのボランティア活動は、私に伸びるきっかけを与えてくれた「絵」への恩返しでもあります)。

もちろん、世の中を見渡せば上には上がいるものですが、私個人の体験として、当初誰からも顧みられなかった自分が、よくぞここまで来られたものだと思います。何がきっかけで、子供は伸びるかわからない。子供自身の伸びる力を、大人は信じてあげるべきなのかもしれません。


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