はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

コロナ禍で改めて知ること、学びもある

2022年06月24日 | はなこ的考察―良いこと探し

今日、気持ちが明るくなるようなニュース記事(朝日デジタル)を目にした。

埼玉県新座市の公立中学校3年生の生徒達が、修学旅行で宿泊した京都のホテルで、食事の後にお膳の代わりの敷き紙や箸袋に、ホテルの従業員宛てにお礼のメッセージを残していたと言うのだ。その数、50はあったと言う。

「三日間、おいしいご飯をありがとうございました」

「一生の思い出です」

コロナ禍で一昨年、昨年と修学旅行の中止が相次ぎ、一般客も含め宿泊客が例年の7割減だったと言うホテルやその従業員にとって、生徒達の粋な計らいは大きな励ましになったようだ。

しかも誰か大人に促されてではなく、生徒達が自主的に行ったことだと言うのだから、なおさら親目線で胸が熱くなる。

いい子達だねえ。何かと制約が多く辛かったであろうコロナ禍で、よくぞここまで真っ直ぐ育ったねえ…否、コロナ禍だからこそ、修学旅行が出来るまでに日常を取り戻せた喜びを平時以上に爆発させて、外に向けて率直(素直)に発露できたのではないかとも思う。

しかし、このような行動は一朝一夕で出来るものではない。場合によっては逆のベクトルに向かうこともある。同じ年頃の新潟の中学生による、先日の美術館作品の損壊のように。

今回は幼い頃からの日々の親御さんの愛情を込めた教えや日頃の教師の地道な指導の賜物だと思う。

特に「感謝の気持ち」は、周囲の大人の薫陶の賜物だろう。日頃から子どもの手本となるべき大人自身が周りへの感謝を忘れず、それを言葉にする習慣を身につけており、その大人の姿を見て子ども達が育っている光景が、今回の一件からは容易に想像できる。

人に感謝すると言う心持ち(姿勢)も、自然に心に湧き出ると言うものではなく、人は教育によってそれを学ぶのだろう。人を慮る気持ちも然り。これらは、人間を人間たらしめる「想像力と知性が必要な行為」でもある。

仮に今回の件が一人ないし数人の生徒の提案だったとしても、それを50人を超える生徒が賛同し、実行する良好な友人関係を生徒間で築けていることが素晴らしい。きっと普段から雰囲気の良い学校なんだろうな。

人はどんな環境からでも学び、成長することが出来る。それは特に未成年の場合、周囲の大人に依るところが大きい。今回の件は、図らずもそのことを示唆している。大人には「コロナ禍で子どもが可哀そう」と嘆いてばかりもいられない「子どもを教え導く責任」があるのだ。

仮に周囲の大人がどうにも頼りにならない場合は、お世辞にも手本に成り得ない大人を反面教師にして「こんな大人にはなるまい」と子どもが精神的に自立して頑張るか、親以外の誰かをメンターにして、その人を見習うようにすれば良いのかもしれない。

新型コロナごときに、人生を左右されてはいけないのである。特に子ども達の人生はまだ始まったばかりで、これからの方がずっと長いのだから。(了)

✳︎見出しの写真は、福岡・南蔵院の涅槃大仏です。銅製では世界最大。

 


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