はなこのアンテナ@無知の知

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「信教の自由」とは言っても…

2012年06月25日 | 気になったニュース
先日、17年間の逃亡の果てに相次いで逮捕された2人の容疑者は、地下鉄での未曾有のテロ事件を始め、幾つもの殺人事件に関与した某信仰宗教の信者であった。

事件後、教祖やその幹部らが逮捕されたことにより、その教団自体は消滅したが、そこから派生した2つの宗教団体は今も存続し、近年は17年前の事件を知らない若者の入信が激増していると言う。

今朝、6時台に聴いているラジオ番組でも、その巧妙な勧誘手口を紹介していた。

恐ろしいことに、大学でサークル活動を隠れ蓑に、次々と若者を勧誘しているらしい。当初は大学に入学して間もない新入生らをバーベキューに誘う等して楽しい交流の場を演出し、ある程度親しくなったところで、「最近巷で流行のヨガに興味ない?いい先生を紹介してあげるよ」と教団の指導者の下に言葉巧みに誘導すると言うのだ。サークル名もおよそ宗教とはかけ離れたカタカナの軽いノリで、外からは、ただの学生交流団体にしか見えないらしい。

その話に、息子が大学入学間もない頃の話を思い出した。

同じ学部に高校時代の同級生も殆どおらず、部活も入ったばかりで学内に特に親しい人がいなかった息子は、学食ではひとりで黙々と昼ご飯を食べることが多かった。すると、そういう孤食の学生を狙う宗教勧誘者がひきもきらなかったと言うのだ。もちろん彼らは最初からあからさまに宗教の話を持ち出すようなことはしない。まだ、大学の雰囲気に慣れていない学生の心細さや人恋しさにつけこんで、「友達作りの場を提供する」というような甘言で釣るのだ。

学食は基本的に部外者にも開かれているので、誰でも利用できる。しかも同年代となれば、その場にうまく溶け込んで怪しまれることもないのだろう(ただ善く善く観察すると、少し年長、かつ、年齢の割に垢抜けない雰囲気で、周囲からは浮いているらしい)。「下手な鉄砲も数打てば当たる戦法」で、勧誘はある程度の成果を上げるのではないだろうか?ひとつの大学でたとえ数人でも、首都圏だけでも数百ある大学で勧誘に成功すれば、総数はかなりの数に上るだろう。

しかし、大学側もこの勧誘実態をある程度把握しているらしく、大学のHPや掲示板等で、注意を呼びかけてはいる。憲法で信教の自由が保障されているので、闇雲にそれらを学校現場から排除できないのかもしれないが、個人的には、もっと踏み込んだ形で警鐘を鳴らして欲しいと思う(もちろん、学生自身も一時の孤独や孤立に負けない精神的な強さを、大学に入学するまでに身につけて欲しい。まあ、そういう人間に育て上げるのは、親の役目なんだろうけれど)

息子の場合、その垢抜けない風貌から声をかけ易いのか、入学から3カ月間、頻繁に勧誘者から声をかけられたと言う。しかし、ミッション系の中高一貫校で6年に及ぶ宗教教育に辟易していた彼は、(進学実績を謳うだけの学校より、建学の精神に確固たるものを持った学校への進学が望ましいと考えていた親心を知ってか知らないでか)所謂"宗教アレルギー"であった。勧誘に対して、ある種弱い面もあるのだが、こと布教行為に関しては不快感が先立つらしく、あの手この手の勧誘に一切乗らなかったらしい。暫くすると、息子は部活や同じ学科で友人ができて、大学生活にもすっかり慣れ、そういう誘いとは無縁になった。その意味では、大学で部活にも入らず、アルバイトもせず、昔からの友人との交流も殆どなく、ただ大学と自宅を往復するだけの(一見すると勉強一本槍で頑張る真面目な?)学生は要注意だろう。

思い返せば、私の学生時代にも"哲学"だとか"真理"だとか、もっともらしい名前を冠した人文系の研究会があり、その実態は新興宗教団体の大学における新たな信者獲得~布教活動だったように思う。

私は"個人がより良い人生を生きる為の道標"としての宗教そのものを否定するつもりは毛頭ないし、宗教が悩み苦しむ人々の心の拠り所となり、その魂を救っている意義は認めるが、一方で、宗教が時の権力と結びついて人々の生き方を束縛し、著しく個人の権利を侵害したり、社会と敵対して、その秩序を危うくする存在になることを何よりも恐れている。

作家の志茂田景樹氏も、6/22付週刊NEWSポストセブン誌のインタビューで、特に新興の宗教の危うさを、以下のように述べている。

――著書『新折伏鬼の野望』のあとがきに、●ウム裁判の決着により、●ウムの再生が始まったと書いていますが、その真意は?

志茂田氏:新興宗教というのは、どうしても活動が先鋭的になるんですね。社会性がなくなって、強引に勧誘場所に連れていって折伏したり。要するに宗教ってのは“信じる信じない”の問題になってくるんで、理性と離れたところから出発してるんですよね。“信じるためにはこういうことしなきゃいけない”というようなものがどこの宗教でもあるので、そういった活動に猛烈なエネルギーを注ぐようになるんですね。

 本来、新興宗教っていうのは貧しいなかで生まれやすいんですよ。貧しさと病気を柱に、この宗教を信じれば豊かになり、病気も治りますよっていう布教の仕方をしていく宗教も多い。●ウム●理教の場合は日本が豊かな時代に生まれましたが、ちょうど心の悩みを抱える人が増えていった時代背景もあって、物質的な貧しさは関係なく信者を増やしていった。心惹かれていった若者たちが多いと思うんですね。

 混乱期ではない豊かな社会のなかでは、新興宗教というのは非常に特異な教団に見えるわけですよ。周囲から活動を狭められているぶん、内部の“燃焼”が激しくなるので、その反動で、非常に極端なカルトへと向かっていってしまいやすい。●ウム●理教は、その結果、地下鉄●リン事件という反社会的な行動を起こしてしまった。

 ●ウムは司直の手で“壊滅”させられましたけど、●レフや●の輪のように派生した教団は残っています。過去にも、大本という教団が弾圧されましたが、派生した教団はいまでも根強く残っているんです。●ウムは壊滅させられても、そこから派生した教団はもっと利口になり、やや社会性を持ちながら、でも意外と強い布教のエネルギーをエンジンのように発揮しながら伸びていくはず。そして、教団が続いて行く限りは急成長する時期が来るんですね。それをぼくは“●ウムの再生”じゃないのかと表現したわけです。
(注:下線byはなこ)

chain志茂田景樹氏へのインタビュー記事「志茂田景樹が予言…」


新学年が始まって間もないこの時期は特に、親元を遠く離れて学生生活を送る我が子の近況を(もちろん、自宅通学生の場合も怠りなく!)、親はある程度把握する必要があるのではないだろうか?実際、怪しげな宗教に嵌らないまでも、精神的に参る学生は少なくないようだから。
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