はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

『ソウル・サーファー』(2011,米国)

2012年06月22日 | 映画(今年公開の映画を中心に)


 実在の女性プロ・サーファー、ベサニー・ハミルトンの不屈の半生を直球勝負で描いた本作。

 試写会の評判がすこぶる高く、気にはなっていたが、サーフィンに全然興味のない私は、見るのを躊躇っていた。しかし、テレビでベサニー本人のインタビュー映像を見た時、俄然彼女という人間に興味が湧いた。苛酷な試練を受けながら、なぜ、そこまで明るく前向きでいられるのか?彼女はいかにして、自身に与えられた試練を克服したのか?それが知りたくて、レディースデイを利用して、本作を見て来た。


 四方を海に囲まれたハワイで、家族の温かい愛情の下伸び伸びと育ち、10代前半で天才サーファーとして頭角を顕したベサニー。サーフィンのジュニア大会で優勝し、よりハイレベルな地区大会出場を控えた13才のある日、彼女は無惨にもサメに肩先から10cm程度を残して左腕を食いちぎられてしまう。

 天才少女の悲劇に、ここぞとばかりに群がるマスコミ。人の不幸に群がるマスコミの習性は何処も同じようだ。しかし、家族や親友とその家族、彼女を幼い頃から知る地元の人々や信仰の仲間、そしてサーフィンを愛する人々は、彼女のことを心から思い、陰に日向に支援する。

 何より驚いたのは、彼女のサーフィンへの強い思いだ。先のインタビューによれば、事故からわずか1カ月で、彼女はサーフィンを再開したと言う。「だって、サーフィンのない人生なんて考えられないもの。」~サーフィンへの一途な思いが、事故の現場となった海に再び戻ることへの不安と恐怖に優ったと言うのである。

 サーフィンでは、波に乗るためにボード上で左右の腕と体勢でバランスを取るだけでなく、乗る波目指してサーフポイントまで両腕で力強くパドリングしなければならない。だから左腕の欠損は、サーファーにとって大きなハンデとなる。それでも、サーフィンをこよなく愛し、サーフィン抜きの人生など考えられない彼女は、サーフポイントまでのパドリングに悪戦苦闘し、波に乗るどころかボードに立ち上がることすらできず、何度も波にのまれながらも、果敢にサーフィンに挑み続けた。

 そして、大方の予想を覆し、予定通り地区大会に出場を果たすのだ。以後、彼女がひとりのサーファーとして完全復活を果たすまでを映画は描くのだが、とにかくその不屈の闘志には恐れ入る。

 その闘志に火をつけた、クールなライバルの存在も忘れてはいけないだろう。ベサニーに常に闘志剥きだしのライバルが、事故後も変わりなくライバルで在り続けたことで、ベサニーは自尊心を失わずに済んだと言っても良いのだ。

 そして、彼女が試練を克服する上で、周囲の励ましと共に大きな支えとなったのは信仰であった。本作は、この辺りをストレートに描いていて、キリストの教えがしばしば登場する。日常生活で宗教との関わりが深いとは言えない一般の日本人には、違和感を覚えるところだろうか?

 それにしても…「神は信じる者に、なぜ、敢えて試練を与え給うか?」

 キリストの教えを受け入れられない人間には、現世で救いどころか、試練を与える神の御業(みわざ)は理解し難いものだろう。

 しかし、逆に信仰が人生の一部になっていない人間は、苦境に立たされた時、何を頼りにすれば良いのだろう?日本が欧米やイスラム圏に比べて自殺率が高いのは、信仰の有無(自死を禁忌する戒律による縛り?それからすると、中東で繰り返される自爆テロは教義に反する行為のはずだが…)も関係しているのかもしれない。

 ともあれ、終始一貫、若くして強靱な精神力で苦難を克服するベサニーの姿に、圧倒され続けた。その強さは信仰に裏打ちされたものなのかもしれないが、それに優るとも劣らない彼女の全身から溢れんばかりのサーフィンへの愛情や、ひとりの人間として困難に立ち向かう直向きさにもまた、見る者は心打たれるのだと思う。

 ベサニー役を演じたアナソフィア・ロブは愛らしい容貌で、大柄でスッキリとした顔立ちのベサニー本人とは似ていないのだが、その力強い目の輝きがベサニーの意思の強さを物語って良かった。
 
 彼女をスクリーンで見るのは、これで5作目。最初が『チャーリーとチョコレート工場』。以後、『テラビシアにかける橋』『ジャンパー』『ウィッチマウンテン』と見て来たが、その存在感と演技力はスター性十分。本作を見る限り、子役から大人の女優として順調に脱皮しつつあるようで嬉しい。

 親友のアラナ役で、名優ジャック・ニコルソンの愛娘、ローレン・ニコルソンが共演。母親役がヘレン・ハント、父親役がデニス・クエイドと、芸達者なベテラン俳優が脇を固めて、両親の細やかで深い愛情を見事に表現していた。劇中では彼らが本当の親子に見えた。こういう実録物では、キャスティングが成否を決める重要なポイントのひとつなんだとつくづく思った。

 最後に、ベサニーの片腕を失った状態はCGで編集していると思うのだが、違和感が全くなく、アナソフィアが本当に片腕を失ったかのように見えた。その技術の進歩には本当に驚くばかりだ。下の写真は、ベサニー・ハミルトン本人。自信に溢れた笑顔が素敵だ。




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