はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

虎の威を借る狐

2019年05月09日 | 今日の言の葉
 自動車(最近は自転車も)の運転者はいわば「虎(=車)の威(力)を借る狐(=非力な人間)」なのだ。

 そこを勘違いしている人間が多いから、悲惨な自動車による人身事故は無くならない。

 もちろん全員とは言わないが、普段から横暴な人間はもちろんのこと、温厚と見られる人間も、自動車に乗ると自動車の威力を得て、どうしても尊大になる傾向がある。自動車から見れば圧倒的弱者である歩行者に対して高飛車になる。

 そのことを如実に示しているのが、信号のない横断歩道の前に歩行者が立っていても、そのまま走り去る自動車が殆どだと言う事実。運転免許取得の為に通った教習所では、「信号のない横断歩道の前に人が立っていたら、必ず自動車は止まるように」と指導を受けているはずにも関わらずだ。

 そのことをすっかり忘れたか、最初から教わっていないかのように、歩行者を一瞥してその存在を確認しているにも関わらず、そのまま自動車のスピードも落とさずに通り過ぎる運転手の多いことbomb2(日本では地方都市でさえ、それが当たり前のせいか、以前、ポルトガルの地方都市を訪れた際、横断歩道でなくても全ての車が快く止まって、道路を渡らせてくれたのには驚き、感激した。)

 私は昔ながらの住宅街に住んでいて、近所の一方通行のバス通りを青信号で横断する時に、後方から左折しようと走って来た自動車に、何度か轢かれかけたことがある。

 その時の運転者は一様にスマホを見ながらの片手運転で、横断歩道を渡る歩行者の私のことなど気にもかけていない様子で、かなりのスピードで走り去って行った。

 以来、青信号でその道を渡る時には必ず後方を確認して、自動車が走り去ってから渡るようにしている。

 とにかく「車を見たら走る凶器と思え」である。横断歩道も青信号も安心出来ない。

 大きな交差点での信号待ちでは、どんなに急いでいても角には立たない。最前列にも立たない。それでも事故に巻き込まれる可能性は避けられないのが実情だ。

 可能ならば、交通量の多い交差点に面した横断歩道の前には、車の進入を阻む頑丈なポールを等間隔に設置して貰いたいものだ。これは、横断歩道に並行して自転車専用レーンが設置されているにも関わらず、歩行者の間を縫うように横断歩道を駆け抜ける自転車を排除する為にも有効かもしれない。

 斯様に最近、歩行者が巻き込まれる交通事故の多発を受けて、道路の安全対策をどうするかの議論が出ているが、こうした事故の最大の原因は運転者の危機感のなさなのだ。その尊大さなのだ。

 自動車メーカーによる自動車の二重三重の安全装置や自動運転システムの開発以前に、運転者の意識が変わらなければ、悲惨な重大事故は今後も無くならないだろう。

 運転者は運転する限り、いついかなる時にも自分が加害者になり得ると言う危機感を持たなければならない。被害者やその家族、そして加害者やその家族にとっても、一瞬の事故による犠牲はあまりにも大きい。事故が起きてからでは遅いのだ。

 運転者は自身が「虎の威を借りた狐」に過ぎないと言う自覚を持って、自動車の凶器性を十分に認識し、自身の運転技術を過信せず、歩行者の安全を第一に考え、心に余裕を持って運転することが重要なのだ。

 だから普段からスケジュールに余裕を持って行動すべきだし、運転時には譲り合う気持ちが大切だし、常に周囲の状況を把握しながら運転に集中することが重要だ。

 けっして運転に慣れてはいけないのだ。

 
 4歳の妹を交通事故で失った日のことを、50年経った今も忘れられない私の切実な訴えです。
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