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「画風の模索、対象へのあたたかな眼差し」「情念の表出、方向性の転換へ」「円熟と深化」の3章構成でその画業を展覧する、これまでにない大規模な回顧展は、女流画家、上村松園の孤高の歩みを伝えるものと言って良いだろう。当時画壇で女流画家の存在自体希有なものであり、他の画家を圧倒する力量を10代にして見せつけた松園は、嫉妬と羨望の対象であったに違いない。
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その時、主催者が展示を取りやめる旨を打診したところ、松園は「これもまた現実。そのまま展示を続けて下さい」と答えたと言うから、彼女の内に秘めた闘志を示すエピソードと言えるだろうか?同様に、未婚の母となった世間体をものともしない生き様や、年下男性との失恋後に描き、転機の作とされる《焔》(謡曲「葵上(アオイノウエ)に取材、右画像、部分)の、解れ髪を食む口元に無念さを滲ませた女の情念顕わな作風に、写真の楚々とした(或いは、凜とした)佇まいからは想像もつかない、松園の意外なまでの激情を感じずにはいられない。
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白肌にほんのり差された紅が女性美を端的に表現していて素晴らしい。それは顔に限らず、手や足の指先であったりする。それも白肌の透明感あっての美である。左上画像の《風》(今回、私が最も心惹かれた作品)も、風になびく着物の裾から覗いた足の先がほんのりと赤く色づいて、何とも言えぬ色香を漂わせている。そして画面の大部分を占める着物の清澄な青が、風になびく衣の軽やかさと女性の優美さを強調しているように私には見えた。
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複数の画家の作品と並べて展示すれば一目瞭然なのが、例えば簾(すだれ)の葦の描写である。その1本1本があたかも定規で引いたような正確な直線で描かれている。冒頭写真のような前傾姿勢で、よくあれだけの美しい線を引けるものだと感心する。その陰に、一体どれほどの日々の鍛錬が隠されているのだろう。こと画業において妥協を許さない松園の姿勢が垣間見える、比類なき精緻な線描である。
そして、松園後期に当たる64才の時の作、《草紙洗小町》(右画像、部分)では、その線描は洗練を極め、省略の美へと昇華しているようにも見える。極力、衣の皺を排し、文様も意匠的に描かれた大作は、松園美学のひとつの到達点を示す作品とは言えないか?描く対象の最も美しい瞬間を捕らえる、松園の眼力あっての線の省略だとは思うが、絶筆となった《初夏の夕》にも、そのミニマムな線描の洗練美が見て取れた。
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木と紙でできた家に住み、自然と一体感を持って暮らして来た日本人は、「衣」にも季節感を巧みに、そして繊細に取り入れて、独特の美意識を作り上げた感がある。時に大胆な色柄の組み合わせもあるが、それも「技あり」とも言うべきセンスで感心する。また、襟の開きや帯の結び等、着崩し方にも、現代とは違う当時の普段着としての着物の在り方が伺えて興味深い。しかも、ひとつひとつの細やかな描写は、松園の女性ならではの観察と拘りが感じられ、男性画家の描写とは一線を画している。そうした文化・風俗の伝え手としての魅力をも、松園作品は持っていると言えるだろうか。
以上、私なりの感想をしたためてみた。私の拙い文章で松園作品の魅力をどれだけ伝えられたか自信はないが、もし興味を持たれたのであれば、是非ご自分の目で、松園作品の素晴らしさを確認していただきたいと思う。日本画の脆弱性もあって、会期は通常よりも短めで、東京では10月17日(日)まで。その後、京都展へと続く。(下画像は《鼓の音》)
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