はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

(2)迷子の警察音楽隊(イスラエル/フランス合作)

2008年01月15日 | 映画(2007-08年公開)


 イスラエルとは地続きのヨルダンに住んでいたので、映画の中の荒涼とした土漠の風景と乾いた空気感は私には馴染み深いものだ。車通りの少ない割には立派な造りの、土漠の中を走る幹線道路は、紅海沿岸のリゾート地アカバ(イスラエル側はエイラート)へと至るデザートハイウエイを思い起こさせる。そうした経験知から、私はおそらく彼の地を知らない観客とは違った感慨と視点で本作を見たことになるのかもしれない。
 
 物語は特にドラマチックな展開があるわけでもない。イスラエルのとある街のアラブ文化センターの開所式典に招かれたエジプト(アレキサンドリア:人口約500万人を擁するエジプト第2の都市)の警察音楽隊が、とある辺境の街に迷い込んでしまい、成り行きでそこの住人達の家で一晩を明かす、というもの。民族も宗教も言語も違う、かつては敵対していた両者がひとつ屋根の下で過ごす、その何とも言えぬ居心地の悪さと、そんな中でも拙い英語やボディランゲージや音楽によるコミュニケーションを通して互いの意外な接点を知り、歩み寄る様子などが淡々と描かれている。英語(言語)やポップス(音楽)と言った欧米文化が、緩衝材的な役割を担っているのが興味深い。また、よくよく聴いてみれば、劇中に登場するアラブの音楽は愛だの恋だのを歌ったものばかりだ。イスラム教の厚いベールで覆われたアラブ人のメンタリティも、結局私達と大差ないことに気付かされる。

 個人的には、より良い暮らしを求めて移住して来たはずのイスラエル人の、国の発展から取り残されたような辺境の街での苦境がもの悲しくて印象的だった。それを「かわいい我が子がいるじゃないか」と穏やかな視線で慰めるエジプト人。国や文化的背景は違っても、人の思いに共通するところは多い。その共通項に、互いの歩み寄りへの希望を見出したいと思うのは自然なことではないだろうか。


 イスラエルは一般の日本人には殆ど馴染みのない国である。このことが本作への映画ファンの関心を妨げているのだとしたら残念だ。イスラエル人の大半を占めるユダヤ人の祖先は彼の地にルーツを持つが、イスラエルという国自体は建国1948年と比較的新しい。イスラエル建国の経緯はかいつまんで言うと以下の通りである。

 かつてユダヤ人の多くが住んでいたヨーロッパにおいて、ユダヤ人はその知力と財力によって確固たる地位を築く者も数多くいたが、その一方でユダヤ人差別も存在していた。その背景には、彼らユダヤ人が持つ絶対的な宗教観や「選民思想」への違和感と同時に、その多彩な能力と類い希な経済力への脅威や嫉妬があったものと思われる。そうしたユダヤ人への差別意識が最も先鋭的な形で顕在化したのが、ナチスドイツによる数百万人に及ぶユダヤ人虐殺であった(←ナチスドイツが、第一次大戦の敗北で疲弊しきった国民の歓心を買う為のスケープゴートに仕立て上げたとも言えるだろうか?)。

 これを契機にヨーロッパを中心に世界各地に離散していたユダヤ人に「ユダヤ国家建設願望」が沸き起こり、程なくシオニズム運動へと発展した。”土地なき民に土地を”のスローガンのもと、この運動を後押ししたのが欧米諸国である。ヨーロッパ在住ユダヤ人の現イスラエルへの「移民」が否応なく進められると同時に、それまで彼の地で平和に暮らしていたパレスチナ人は強制的に自らの土地から追いやられ、離散の憂き目に遭った。その強引な手法は当然の帰結として周辺アラブ諸国との摩擦を生み、4度の中東戦争を引き起こすことになる。 

 まさに”銃剣とブルドーザー”で作り上げたのがユダヤ人国家イスラエルという国であるが、その実、「ユダヤ人国家」とは言い難い複雑さを抱えた国である。まず、ヘブライ語と共にアラビア語も公用語として認められている。イスラエル中央統計局発表の公式データによれば、「国民の80.1%をユダヤ人等が占め、その内ユダヤ教徒が94.6%、キリスト教徒が0.5%、”何れにも分類できない”が4.9%となっている。残りの20%近く(正確には19.7%)はアラブ人で、イスラム教徒83%、ドルーズ教徒8.3%、キリスト教徒8.5%となっている」が、映画公式サイトでの背景説明にもあるように、「イスラエル国籍を持つユダヤ人の多くは国外に出自を持つ」

 イスラエルの総人口(2006年12月現在)は約711万人。これは全世界のユダヤ人の41%に相当する。移民の多くはイスラエル建国間もない頃の1948年~51年と、ソビエト崩壊のあった1990年代(旧ソ連諸国からの移民を中心に約100万人!)に集中している。建国当時の中心はヨーロッパ出身のユダヤ人であったのが、その直後にはアジアやアフリカのアラブ諸国出身のユダヤ人が大量に押し寄せ、その文化的背景の違いから、アラブ系ユダヤ人は自らの文化を否定・差別されるという苦い経験を味わっている。しかし、70年代に入るとアラブ系ユダヤ人の間から「自分達の文化を守ろう」との声が上がり、次第に彼らの文化もイスラエル社会で認知されるに至った。その発展した形が80年代のエジプト映画の人気であり、本作の舞台となった90年代のアラブ文化センターの開所なんだろう。

 93年には、当時のクリントン米大統領とエジプトのムバラク大統領を仲介役に、エジプトでラビン・イスラエル首相とアラファトPLO議長(共に故人)が握手をした。思えば、その時がイスラエル建国以来、最もイスラエルとアラブ世界が両者間の距離を縮めた瞬間だったのだろう。その後は極右派イスラエル人によるラビン首相の暗殺、パレスチナ人自爆テロの激化、イスラエル政府による”壁”の建設と、再び両者の距離は開いてしまった。政情不安に伴う治安悪化は、建国以来成長基調にあったイスラエルの経済にも深刻な打撃を与えている。中東和平を望む一人としては、今後の動向が気になるところである。

 以上のことを踏まえて本作を見てみると、単にイスラエル・パレスチナ闘争だけでないイスラエルとアラブの微妙で複雑な関係が見えて来るのかもしれない。延々と争い続けることは悲しいことだし、シンドイことだよね。 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Forbes, List of Most Overpa... | トップ | 新橋汐留~浜離宮~隅田川ク... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。