はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

チッタ たった 100年

2022年11月27日 | 映画(今年公開の映画を中心に)
川崎チネチッタは今年2022年で(前身の美須興業等を含め)創業100年を迎え、創業者から数えて4代目の美須アレッサンドロ氏が現在社長を務めています。

今回たまたま見つけたのですが、本館地下1階に創業100年史を辿る史料館があり、その足跡を目の当たりにすることが出来ました。

創業者の美須鑛(ミス コウ)氏。栃木県の出身だそうで、群馬県出身の崎陽軒創業者と言い、神奈川を代表する企業の創業者が地元神奈川ではなく北関東出身者だいうことが興味深いです。

始まりは東京の日暮里なんだとか。そこから都内各地に映画館をオープンします。

1937年に川崎市に進出。以後、現在地を拠点にさまざまなエンターテイメント事業を展開します。

美須氏は女性の自立にも目を向け、洋裁学校などを設立したそうです。それ以外にもさまざまな慈善事業を手がける篤志家であったようです。後にその功績で勲章を授与されています。

太平洋戦争中に川崎大空襲で全てを失うも、不屈の精神で戦後すぐさま会社を再興させます。

1950年代半ばの映画館のチケットもぎり担当の女性。実は夫の母も九州の映画館で同時期にもぎりの仕事をしていたらしく、映写技師だった父と職場結婚をしています。夫は写真の女性と亡き母の姿を重ね、しばし母を偲んだようです。

一時は映画館だけでなく、ボーリング場やプール等のスポーツ施設も経営します。それは現在の屋内フットサルコートやテニスコート設置へと繋がっています。

高度経済成長期、界隈は関東有数の映画街として賑わいます。

現在のチネチッタ。昔の雑然とした川崎の雰囲気を未だ残す東口の一角に、イタリアの街並みを再現しています。まさに突如として現れる異空間。今や映画やドラマのロケ地としても有名です。

俳優の緒形拳氏も、ご健在の頃はお住まいの鶴見から、映画を見によく当地へ足を運ばれたのだとか。

100周年記念事業の一環で、プロや一般公募のウォールアートが施設の各所に掲示されています。

チャペルを備えたブライダル事業も展開。



館内には映画館の名前の由来となったイタリアの映画スタジオ「チネチッタ」が手がけた映画の代表作「甘い生活」の写真も。

今や動画配信サービスや大手シネコンチェーンが幅をきかせる中、川崎チネチッタのような独立系シネコンは厳しい経営環境下にあるかと思いますが、是非、その灯を絶やさないで欲しいです。

インド・韓国・フランス・イタリアや単館系のマイナーな作品を積極的に上映、夫婦50割引を継続、併設のライブハウス「クラブ・チッタ」の音響スタッフの協力で「Live Zound」と言う新たな音響システムを導入、上映作品に関連したさまざまなオブジェを展示、パリオペラ座の椅子を手がけたメーカーに発注した座席の椅子、個性的なコンセッションの品揃え、そして専任の清掃スタッフを配置して常にトイレを清潔に保つ等々、一貫して映画ファン、映画館ファンを大切にする川崎チネチッタの経営姿勢が私は大好きです。

因みに施設の建築設計は、あの六本木ヒルズを手掛けた米国の会社です。

頑張れ CITTA
100周年おめでとう㊗️






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