私は25回程度の海外旅行で、団体ツアーと、飛行機とホテルだけを予約してのフリープランツアーの割合は、ちゃんと数えたことはないが、後者が少し多い程度だと思う。15年前のニューヨークのホテルは、偶然小ぶりのキッチンが付いたアパートメントホテルだったので、街のデリで惣菜を買ってレンジで温めなおしたり、自分で簡単な料理を作ったりした覚えがある。ペンシルバニア駅の正面にある、エンパイアステートビルにも歩いて行ける都心に立地のホテルだったので、観光にはとても便利だった。
私は短期間で周遊したい場合、団体ツアーを利用することが多いが、(とにかく今後もできるだけ数多く行きたいので)この頃は予算優先で格安ツアーを選ぶことが多いので、宿泊ホテルはとんでもない辺鄙な立地であることが多い。一方で、大都市滞在型のフリープランの場合は、予算の許す限り、立地の良いホテルを選ぶことにしている。
2年前の結婚25周年で訪れたパリでは、ANAの旅作のフリープランで、クロード・モネも描いたサン・ラザール駅のすぐ目の前にあるプチホテルに滞在した。地下鉄の駅もすぐ目の前にあり、徒歩圏に有名デパートのプランタンやギャラリー・ラファイエット、そしてオペラ座もある、立地としては申し分ないホテルであった。ルーヴル美術館へも、ホテルから歩いて行った。
ホテルの部屋からの眺め。正面に見えるのがサン・ラザール駅。

ホテル2階にあるレストランからの眺め。朝食はいつもここで食べた。こじんまりとしたスペースだったが、利用者の回転が速いので特に待つこともなく、すぐに席につけた。運良く窓際の席につけると、パリの人々の朝の出勤風景が見られて興味深かった。
朝食はパンとフレッシュジュースと温かい飲み物に、ハム・チーズ・ヨーグルトもあるビュッフェ・スタイルで、朝からシッカリ腹ごしらえできるボリュームだった。ヨーグルトは沢山の種類があり、滞在中(6泊)、日替わりで飽きずに食べられた。
朝食会場にいる他の宿泊客を見た限りでは、個人旅行者が殆どと言った印象(まあ、プチホテルだからね)。さまざまな国の言葉が飛び交い、海外旅行気分は満点と言ったところ。自分達を知らない人に囲まれての朝食は解放感もあって、個人旅行ならではの楽しみとも言える。
ホテルの部屋の様子。都心のホテルにしては、なかなかゆったりとしたスペースで、ホテルの部屋の中でも最も良い部屋だったようだ。国内外を問わずANAで手配すると、(値段もそれなりにするけれど)ホテルでも最上位の部屋をあてがわれることが多いような気がする。いつもホテルには大満足である。私の枕元には、この時の旅のお供に連れて行ったマシューの姿が…

滞在中に若者を中心としたデモもあり、辺りに大音響のロック音楽が鳴り響いた。いかにもフランスらしい風景で面白かった。

旅の思い出の深さと言う意味で、至れり尽くせりの団体ツアーより個人旅行の方が優るのは、言うまでもなく個人旅行は自ら旅程を組み、自由に動き回るからだろう(我が家では手配から旅程の組み立てまで私の担当)。当然ながら、ハプニング&ちょっとしたトラブルも一度や二度ならず
。夫とも旅行中、よく喧嘩したなあ…
まあ、TRAVELの語源はTROUBLE、なんて説もあるぐらいだし…ちょっとしたトラブルなんて楽しむぐらいでなくっちゃ
前回の記事の続きと言うことで、これまでの旅でのトラブルやトンデモな経験を、以下に列挙してみる。やっぱり、こうした思い出は強烈で、かなり昔のことでも記憶に残っている。考えようによっては、これこそが旅の醍醐味と言えるのかもしれない。
①27年前の新婚旅行で
ひとり旅行代金60万円位のパックツアーだったが、西周りでヨーロッパへ行った。片道約20時間の長旅だっただろうか。エアラインはアリタリア航空。今思うと、貨幣価値の違いを考えても、昔の海外旅行は高価だった。今なら同程度の内容なら、40万円台で行けるのではないか?
さて、成田から香港で給油して、インドのデリーで乗務員の交代があり、乗客も一旦飛行機から降りて、トランジットで暫く待機させられた。私達乗客が降りると同時に、多数の清掃員が機内へと入っていった。
トランジットエリアはインド独特の香辛料の匂いがした。空港には各国独特の匂いがある。因みに日本は醤油の匂いがするそうだ。
なぜか、航空機搭乗者だけがいるはずのトランジットエリアの床に、どう見ても搭乗者とは思えない雰囲気のインド人行者のような男性が何人か横たわっていた。まるで、そこに住んでいるかのように悠々と横たわっていたのが不思議だ。
機内に戻る時、入り口付近にインド人女性の係官が立っていて、パスポートと搭乗券の提示を求められた。ここまでは普通だが、その後、ポケットの中身を見せろと言われた。たまたまその時ポケットに入っていた機内で貰ったビスケットを見せると、その係官に取り上げられた。そして勝ち誇ったように私の目の前で、そのビスケットを食べ始めた。なんじゃこりゃ
さらに驚きは続く。機内に戻ると、各席にあったはずの大量の枕とブランケットがなくなっていた。清掃員が清掃ついでに持ち去ってしまったらしい。交代したばかりのアリタリアの乗務員はそんなことに慣れっこなのか、機内のあちらこちらで「枕がない!ブランケットがない!」と声が上がっているのに、自分には関係ないとばかりに涼しい顔だ。
私が近くにいた乗務員に訴えると、他の席にあった枕とブランケットを手渡した。えっ
そんな対応で良いの?もしかして予備はないの?暫くブツブツ不満を述べていた他の乗客も、乗務員の素っ気ない態度に諦めて(たぶん言葉の壁もあったと思う)、枕無しブランケット無しで後半の時間を過ごすしかなかったようだ。
実はアリタリアの乗務員の無責任さには、後年にも直面することになる。日系エアラインの乗務員並みのサービスを彼女達に期待する方が間違いなのだ。既に周知のことだけれど、世界標準から見れば、日系エアラインの方がサービス過剰なのだ。
②26年前のタイ旅行で
結婚前、仕事を通じて親しくなったタイ人に、結婚の暁には是非、新婚旅行でタイに来てねと言われていたので、その言葉に甘えてセカンド・ハネムーンとばかりに4泊5日でタイを訪れた。
2人以上で催行するツアーだったが、GW前のオフ・シーズンだったせいか、ツアー参加者は私達夫婦のみだった。私達の為だけに、かなり古い型ながら移動手段はボルボで、運転手とガイドが付いたちょっぴり贅沢なツアーとなった。改めて考えると、現在はともかく、当時、年度初めの4月に数日間休みを取って海外旅行に出かけた主人は結構大胆と言うか怖いもの知らずな人間だったと思う。
当時はまだ子どもがいなかったこともあり、私は桜木町にある某保険会社の出張所で営業事務のパートとして働いていたのだが、この時の旅費は、そのパートの稼ぎで賄った。二人で45万円程。やはり今では考えられないような高額なツアーだったと思う。
何の予備知識もなしにタイを訪れたら、その時期はちょうどお釈迦様の誕生の時期に当たり、現地ではソンクラン(水かけ)祭りが行われていた。北部のチェンマイでは街中で地元の市民から水を浴びせかけられた。逃げると追いかけて来て、ホースを背中に差し込まれた
もうビショビショ。笑うしかなかった。
バンコックの宿泊ホテルはチャオプラヤ川沿いに立つ高層のシェラトン・オーキッドホテル。かなり広い部屋で、ベッドには天蓋付き。後にも先にも天蓋付きのベッドで寝たのはこの時だけだ。窓から望むチャオプラヤ川の悠久の眺めは壮観だった。川べりに延びた1階のデッキで取る朝食も、リゾート気分たっぷりで格別だった。
バンコックで付いたガイドは若い男性で、まだ新人らしく、私達にも少しオドオドした態度で接していた。少し驚いたのは、ホテルロビーで地元の友人と面会した時の友人とガイドの関係性だ。
友人は中国系の色白美女でタイでも上流階級の出らしく、普段から気位の高い雰囲気を持った女性だったが、浅黒い肌のガイドに対しても階級意識丸出しの態度で、徹頭徹尾彼の存在を無視していた。男性ガイドも自分の分を弁えていると言うか、一歩下がって頭を垂れたまま目も合わせない。二人の間のただならぬ雰囲気に、その場にいた私達も戸惑ってしまった。日本にも階級差は確かにあるけれど、隠然たるもので、普段の生活の中で意識することは殆どない。そこが、日本と開発途上国の違いなんだろう。
③25年前の台湾旅行で
当時は沖縄に駐在していたので、台湾は飛行機で1時間半と九州並みに近い。お手軽な海外旅行と言うことで3泊4日の日程でツアーに参加した。一人4万円弱のそのツアーはホテルもスタンダードクラス。2日間ある自由行動の内1日をオプショナルツアーで空路、大理石とタロコ渓谷の奇観で知られる花蓮に行くことにした。
ホテルのフロントにあったパンフレットの地元の旅行会社主催のツアーで行くことにしたのだが、そこで驚いたことがひとつ。地元の旅行者主催で現地オーダーのツアーなので、マイクロバスで台北市内の各ホテルで参加者をピックアップして行く。ホテルの中には台湾屈指の高級ホテルも含まれる。ツアー中、そうした高級ホテルから参加した人との会話でツアー代金の話が出てビックリ
サービス内容は全く同じなのに、彼らのツアー代金は私達の倍近い価格だったのだ。「持てる者からはふんだくる」とは地元の旅行会社の人間からすれば極めて合理的なのかもしれないが、そこまであからさまだと驚いてしまう。さすがに件の参加者に、私達のツアー代金は適当に言葉を濁して言わなかった。否、言えなかった
同じツアーには遠くアフリカ大陸に隣接するレユニオン島から参加している人もいた。当時、その存在すら知らなかった私は、見るからにインド系の男女と親しく会話しても、そのバッググラウンドがいま一つイメージできない。台湾旅行から戻った後、すぐさまレユニオン島について調べたのは言うまでもない。旅の面白さは、こういう偶然の出会いから、思いがけず視野が広がるところにもあると思う。
もう1日の自由行動では、夫婦二人でひたすら台北市内を歩いた。以後、この"ひたすら街歩き"は、我が家の海外旅行での定番となる。(もちろん身の安全には気を配りつつ)裏路地にもどんどん入って、地元の人々の生活圏にも分け入って行く。
ちょうど当時は台湾の高度経済成長期で街は活気に溢れ、多数のバイクが疾走する街中は排気ガスで煙っていたのが印象的だったなあ…でも、そこは自由行動。そんな感慨に浸っているだけでは終わらない。
どんな理由かはもう忘れてしまったが(どうせ大した理由ではない。いつもそう!)、途中で二人は大喧嘩をしてしまい、初めて訪ねた国の街で地理にも疎く言葉も通じないのに、それぞれ単独でホテルまで徒歩で戻る羽目になった。私は一度通った道は大体覚えているが(それでもやはりホテルに無事到着するまで内心ドキドキだった)、方向音痴な夫がよく戻れたものだと思う。
地図は読めるが方向音痴な夫と、地図は読めないが方向感覚に優れた?妻の組み合わせ。二人で一人前のへっぽこ夫婦の海外旅行は、お金が続く限り続けたい。
まあ、そんなこんなで、海外旅行は日常では味わえない感覚、見聞、体験、驚きに溢れているので止められない。
私は短期間で周遊したい場合、団体ツアーを利用することが多いが、(とにかく今後もできるだけ数多く行きたいので)この頃は予算優先で格安ツアーを選ぶことが多いので、宿泊ホテルはとんでもない辺鄙な立地であることが多い。一方で、大都市滞在型のフリープランの場合は、予算の許す限り、立地の良いホテルを選ぶことにしている。
2年前の結婚25周年で訪れたパリでは、ANAの旅作のフリープランで、クロード・モネも描いたサン・ラザール駅のすぐ目の前にあるプチホテルに滞在した。地下鉄の駅もすぐ目の前にあり、徒歩圏に有名デパートのプランタンやギャラリー・ラファイエット、そしてオペラ座もある、立地としては申し分ないホテルであった。ルーヴル美術館へも、ホテルから歩いて行った。
ホテルの部屋からの眺め。正面に見えるのがサン・ラザール駅。


朝食はパンとフレッシュジュースと温かい飲み物に、ハム・チーズ・ヨーグルトもあるビュッフェ・スタイルで、朝からシッカリ腹ごしらえできるボリュームだった。ヨーグルトは沢山の種類があり、滞在中(6泊)、日替わりで飽きずに食べられた。
朝食会場にいる他の宿泊客を見た限りでは、個人旅行者が殆どと言った印象(まあ、プチホテルだからね)。さまざまな国の言葉が飛び交い、海外旅行気分は満点と言ったところ。自分達を知らない人に囲まれての朝食は解放感もあって、個人旅行ならではの楽しみとも言える。
ホテルの部屋の様子。都心のホテルにしては、なかなかゆったりとしたスペースで、ホテルの部屋の中でも最も良い部屋だったようだ。国内外を問わずANAで手配すると、(値段もそれなりにするけれど)ホテルでも最上位の部屋をあてがわれることが多いような気がする。いつもホテルには大満足である。私の枕元には、この時の旅のお供に連れて行ったマシューの姿が…

滞在中に若者を中心としたデモもあり、辺りに大音響のロック音楽が鳴り響いた。いかにもフランスらしい風景で面白かった。

旅の思い出の深さと言う意味で、至れり尽くせりの団体ツアーより個人旅行の方が優るのは、言うまでもなく個人旅行は自ら旅程を組み、自由に動き回るからだろう(我が家では手配から旅程の組み立てまで私の担当)。当然ながら、ハプニング&ちょっとしたトラブルも一度や二度ならず



前回の記事の続きと言うことで、これまでの旅でのトラブルやトンデモな経験を、以下に列挙してみる。やっぱり、こうした思い出は強烈で、かなり昔のことでも記憶に残っている。考えようによっては、これこそが旅の醍醐味と言えるのかもしれない。
①27年前の新婚旅行で
ひとり旅行代金60万円位のパックツアーだったが、西周りでヨーロッパへ行った。片道約20時間の長旅だっただろうか。エアラインはアリタリア航空。今思うと、貨幣価値の違いを考えても、昔の海外旅行は高価だった。今なら同程度の内容なら、40万円台で行けるのではないか?
さて、成田から香港で給油して、インドのデリーで乗務員の交代があり、乗客も一旦飛行機から降りて、トランジットで暫く待機させられた。私達乗客が降りると同時に、多数の清掃員が機内へと入っていった。
トランジットエリアはインド独特の香辛料の匂いがした。空港には各国独特の匂いがある。因みに日本は醤油の匂いがするそうだ。
なぜか、航空機搭乗者だけがいるはずのトランジットエリアの床に、どう見ても搭乗者とは思えない雰囲気のインド人行者のような男性が何人か横たわっていた。まるで、そこに住んでいるかのように悠々と横たわっていたのが不思議だ。
機内に戻る時、入り口付近にインド人女性の係官が立っていて、パスポートと搭乗券の提示を求められた。ここまでは普通だが、その後、ポケットの中身を見せろと言われた。たまたまその時ポケットに入っていた機内で貰ったビスケットを見せると、その係官に取り上げられた。そして勝ち誇ったように私の目の前で、そのビスケットを食べ始めた。なんじゃこりゃ

さらに驚きは続く。機内に戻ると、各席にあったはずの大量の枕とブランケットがなくなっていた。清掃員が清掃ついでに持ち去ってしまったらしい。交代したばかりのアリタリアの乗務員はそんなことに慣れっこなのか、機内のあちらこちらで「枕がない!ブランケットがない!」と声が上がっているのに、自分には関係ないとばかりに涼しい顔だ。
私が近くにいた乗務員に訴えると、他の席にあった枕とブランケットを手渡した。えっ

実はアリタリアの乗務員の無責任さには、後年にも直面することになる。日系エアラインの乗務員並みのサービスを彼女達に期待する方が間違いなのだ。既に周知のことだけれど、世界標準から見れば、日系エアラインの方がサービス過剰なのだ。
②26年前のタイ旅行で
結婚前、仕事を通じて親しくなったタイ人に、結婚の暁には是非、新婚旅行でタイに来てねと言われていたので、その言葉に甘えてセカンド・ハネムーンとばかりに4泊5日でタイを訪れた。
2人以上で催行するツアーだったが、GW前のオフ・シーズンだったせいか、ツアー参加者は私達夫婦のみだった。私達の為だけに、かなり古い型ながら移動手段はボルボで、運転手とガイドが付いたちょっぴり贅沢なツアーとなった。改めて考えると、現在はともかく、当時、年度初めの4月に数日間休みを取って海外旅行に出かけた主人は結構大胆と言うか怖いもの知らずな人間だったと思う。
当時はまだ子どもがいなかったこともあり、私は桜木町にある某保険会社の出張所で営業事務のパートとして働いていたのだが、この時の旅費は、そのパートの稼ぎで賄った。二人で45万円程。やはり今では考えられないような高額なツアーだったと思う。
何の予備知識もなしにタイを訪れたら、その時期はちょうどお釈迦様の誕生の時期に当たり、現地ではソンクラン(水かけ)祭りが行われていた。北部のチェンマイでは街中で地元の市民から水を浴びせかけられた。逃げると追いかけて来て、ホースを背中に差し込まれた

バンコックの宿泊ホテルはチャオプラヤ川沿いに立つ高層のシェラトン・オーキッドホテル。かなり広い部屋で、ベッドには天蓋付き。後にも先にも天蓋付きのベッドで寝たのはこの時だけだ。窓から望むチャオプラヤ川の悠久の眺めは壮観だった。川べりに延びた1階のデッキで取る朝食も、リゾート気分たっぷりで格別だった。
バンコックで付いたガイドは若い男性で、まだ新人らしく、私達にも少しオドオドした態度で接していた。少し驚いたのは、ホテルロビーで地元の友人と面会した時の友人とガイドの関係性だ。
友人は中国系の色白美女でタイでも上流階級の出らしく、普段から気位の高い雰囲気を持った女性だったが、浅黒い肌のガイドに対しても階級意識丸出しの態度で、徹頭徹尾彼の存在を無視していた。男性ガイドも自分の分を弁えていると言うか、一歩下がって頭を垂れたまま目も合わせない。二人の間のただならぬ雰囲気に、その場にいた私達も戸惑ってしまった。日本にも階級差は確かにあるけれど、隠然たるもので、普段の生活の中で意識することは殆どない。そこが、日本と開発途上国の違いなんだろう。
③25年前の台湾旅行で
当時は沖縄に駐在していたので、台湾は飛行機で1時間半と九州並みに近い。お手軽な海外旅行と言うことで3泊4日の日程でツアーに参加した。一人4万円弱のそのツアーはホテルもスタンダードクラス。2日間ある自由行動の内1日をオプショナルツアーで空路、大理石とタロコ渓谷の奇観で知られる花蓮に行くことにした。
ホテルのフロントにあったパンフレットの地元の旅行会社主催のツアーで行くことにしたのだが、そこで驚いたことがひとつ。地元の旅行者主催で現地オーダーのツアーなので、マイクロバスで台北市内の各ホテルで参加者をピックアップして行く。ホテルの中には台湾屈指の高級ホテルも含まれる。ツアー中、そうした高級ホテルから参加した人との会話でツアー代金の話が出てビックリ


同じツアーには遠くアフリカ大陸に隣接するレユニオン島から参加している人もいた。当時、その存在すら知らなかった私は、見るからにインド系の男女と親しく会話しても、そのバッググラウンドがいま一つイメージできない。台湾旅行から戻った後、すぐさまレユニオン島について調べたのは言うまでもない。旅の面白さは、こういう偶然の出会いから、思いがけず視野が広がるところにもあると思う。
もう1日の自由行動では、夫婦二人でひたすら台北市内を歩いた。以後、この"ひたすら街歩き"は、我が家の海外旅行での定番となる。(もちろん身の安全には気を配りつつ)裏路地にもどんどん入って、地元の人々の生活圏にも分け入って行く。
ちょうど当時は台湾の高度経済成長期で街は活気に溢れ、多数のバイクが疾走する街中は排気ガスで煙っていたのが印象的だったなあ…でも、そこは自由行動。そんな感慨に浸っているだけでは終わらない。
どんな理由かはもう忘れてしまったが(どうせ大した理由ではない。いつもそう!)、途中で二人は大喧嘩をしてしまい、初めて訪ねた国の街で地理にも疎く言葉も通じないのに、それぞれ単独でホテルまで徒歩で戻る羽目になった。私は一度通った道は大体覚えているが(それでもやはりホテルに無事到着するまで内心ドキドキだった)、方向音痴な夫がよく戻れたものだと思う。
地図は読めるが方向音痴な夫と、地図は読めないが方向感覚に優れた?妻の組み合わせ。二人で一人前のへっぽこ夫婦の海外旅行は、お金が続く限り続けたい。
まあ、そんなこんなで、海外旅行は日常では味わえない感覚、見聞、体験、驚きに溢れているので止められない。