はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

雑感

2020年06月08日 | はなこのMEMO
ふと思いついたこと、普段から思うことをつれづれなるままに…

①「一族の繁栄には最低でも三代かかるぞ」法則

 夫の父は終戦直後、混乱の中国東北部から家族で命からがら帰還した人で、家督を受け継ぐ長兄優遇の陰で満足に教育を受けることもできず、転職を繰り返して後に電気技師の職を得てもなおずっと貧困に喘いでいたらしい。

 そんな中で3人兄弟の長男であった私の夫は小学校高学年の頃から勉学に明るくなり、県下トップの公立高校を経て県外の旧帝大に進学し、当時成長著しかった分野の企業に就職した。自身の苦難の人生から、「我が子の教育こそ肝要」と考えた夫の父は、家計支出は3人の子供の教育費を最優先とし、住宅取得は諦めて県営団地暮らしを選んだのである。親の期待に応えて妹も県外の国立大に進学し小学校教師に、弟は大学に進学はしなかったものの、誰もが知る大手企業に就職した。

 夫の父の「教育重視」の考えは家訓として根付き、うちの息子も国立大院で修士号を取得し、大手メーカーのエンジニアの職を得た。義妹の3人の子供たちも全員大学や大学院に進学し、それぞれ就職、末弟の2人の息子も大学に進学、中でも県下トップの公立校で数学の成績がトップだったと言う長男は都内の有名私大で金融工学を学び、大手証券会社に就職した。我が子、甥姪揃って親達より高いレベルの教育を受け、親の会社より株価の高い会社に就職している(笑)。

 夫や夫の兄弟、その子供世代共に、受けた教育(←単に"学歴"だけでなく、それを獲得する過程での多くの学び)が"武器"となって自らの人生を切り開くことを体現して見せている。夫の父のかつての決断が、確実に子々孫々の繁栄へと繋がっている(尤も不確実性の時代だから、大手企業に就職したからと言ってけっして盤石とは言えないが…彼らは大学に至るまでの"教育"で培った"学習能力"と"忍耐力"で、いかなる困難にも立ち向かい、乗り切ろうと努力するはず)

 75年前の終戦直後は、日本と言う国があらゆる意味で"ゼロクリア"された時代で、戦前のレジームを失ったからこそ、従来の階級差を超えて人々が社会でのし上がるチャンスが多かったのかな?そして、高度経済成長の波に乗り、誰もが努力すれば、それなりの教育を受ければ、階層移動も可能な時代だった。

 ところが、今の時代はバブル崩壊以後の経済の停滞(=低調な経済成長率)と小泉・竹中体制以降の就労形態の不安定化で階層の固定化が再び始まり、既得権益者はその潤沢な資金で子弟を教育し階層の再生産が可能な一方で、ごく一部の並外れた能力の持ち主はともかく、それ以外の殆どの人は努力しても報われない傾向が強くなっていて、階層移動もままならなくなっているように見える。そういう閉塞感が、一部の若者を刹那に駆り立てているのかな?


 ただし、一族の繁栄はまだまだ途上なのだ。最低でも3代続かなければ、成功とは言えないのだ。そのために「教育」が果たす役割は大きい。そのことをまざまざと見せつけられたのが、美術館の同僚ボランティアの出自の華々しさだった。

 美術館のボランティアを経験して何より驚いたのは、同僚が属する社会階層の高さである。私のような庶民は出自の違いに、場違いな居心地の悪さを感じることがままあった。

 殆どの人が欧米に駐在、或いは留学経験を持ち、海外渡航歴も多い。ほぼ全員が一流大学卒(私の出身大学は創立年だけは古いase長い歴史があるから、特定の分野で超一流と言われる人や有名人は数多輩出しているようだ)

 配偶者だけでなく親御さんも大卒(東大卒がゴロゴロ)、院卒の、法曹人や医師、薬剤師、大企業の重役や会社経営者。

 三代遡っても(時代で言えば明治、大正の頃)大卒や院卒で、海外留学経験があり、中には米名門大に国費で留学し、その著書が留学先の図書館に所蔵されていたり、 英文学者で岩波文庫で翻訳小説を出版している親御さんも。

 自宅の一部をサロンとして開放し、若き日の谷川俊太郎もそこに出入りしていたとか、義理の祖母が徳川将軍の奥方に仕えていたと言う人も。
 
 単に知識階級と言うだけでなく、都内一等地に複数の不動産を所有する人もいる。悠々自適の身分だから美術(芸術)を楽しむ余裕があり、収入を伴わないボランティア活動にも参加するのか?

 とにかく、家族では私が初めて大学を出たと言うようなレベルでは到底太刀打ちできない、一族の知の蓄積と言うか、幅広く且つ深い教養やその身に纏う何とも言えない優雅さに圧倒されるばかりであった。

 一般的には高尚なイメージの"美術館"のボランティアに応募したおかげで、本来なら出会うことのなかったであろう階層の人々と、私のような庶民が分不相応にも出会えたと言って良いのだろう。

 これも、ある意味、「教育」の効果と言える。大学で美術史を学んでいなければ、応募するきっかけさえ掴めなかったはずだから。斯様に「教育」は、個人の"人生を切り開く手段"としてだけでなく"世界観を広げる手段"としても機能し、個人を充実した人生へと導いてくれるのだと思う。
 
 ここで、同僚のひとりが話していたことをい思い出す。

 その人が20年以上前に米国ボストンに駐在中に、ボストン美術館のボランティアに応募したところ、その人自身、有名大学卒で語学も堪能、配偶者も世界的に知られた大企業のそれなりのポストにあったにも関わらず、けんもほろろに断られたそうだ。

 これは米国の美術館の成り立ちを考えたら致し方ないことなのかもしれない。王侯貴族のコレクションから始まった欧州の美術館と違い、新興の米国では、事業家として大成した人々が、アメリカン・ドリームの体現者として、自身の成功を社会に還元する形(節税の一面もあるのだろうけれど)で、美術館や大学を創立した。

 例えば、カリフォルニア州知事にして鉄道王のリーランド・スタンフォード氏は、一人息子を病で突然失ったことを悼み、その名を永遠に残すべくスタンフォード大学を、また、孫の誘拐が近年映画にもなった石油王のポール・ゲッティ氏は入館料無料で1日中楽しめる充実したコレクションを誇るゲッティ・ミュージアムを、晩年に設立している。

 こうした私立の大学や美術館は、大学なら卒業生や企業からの、美術館なら企業や個人の富裕層からの寄付金が、少なからず運営を支えている側面がある。この為、特に美術館では運営資金集めのパーティやイベントを実施する。その際に大きな威力を発揮するのがボランティアの多彩な人脈なのだ。だから、自ずと顔の広い地元の名士が名誉職としてボランティアに携わることになる。

 しかも古都ボストンでは伝統的に白人(WASP)優位主義で、同僚が応募した際にも、有色人種でボランティアを務めていたのは、中華系の富豪夫人唯一人であったと言う。

 尤もそれから20年以上も経過しているのだから、今は事情も大分変わっているとは思うが…と思いたいが…このところの白人警官の過剰な暴力による黒人被疑者死亡に端を発した全米規模のデモを見る限り、何百年にも渡って植え付けられた、しかも今や根拠に乏しい、一部白人の他人種に対する「階級意識」や「優越感」はなかなか払拭できないのかなあ?白人は"先行者利益"にいつまで固執し続けるのだろうか?バンクシーも指摘しているように、これは「白人の問題」なんだと思う。


②「移民」とは名前を変えた「奴隷」である

 一般に「民主主義」の発祥は古代ギリシャの都市アテナイにおいてと言われているが、古代ギリシャの民主主義はあくまでもポリスの自由市民に適用されたものであって、彼らの豊かな暮らしを支える奴隷には無縁のものだった。

 圧倒的多数の「奴隷」がその自己犠牲で以て「上流」の豊かな暮らしを支える構図は、古来から現在に至るまでずっと変わらない。
 

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