はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

(19)ハプニング

2008年07月27日 | 映画(2007-08年公開)


畏れを知らぬ者たちには恐れを

沖縄に住んでいた時に何が気になったかと言えば、有刺鉄線で囲まれた米軍基地内に広がる青々とした芝生だった。油断すれば強靱な雑草が伸び放題の亜熱帯の沖縄で、あの端正な芝目を維持するのは並大抵のことではなかろう。

かつて「銃剣とブルドーザーで地元住民から土地を強制接収した」と言われたように、あの青々とした芝生は米占領軍の、ひいては米国の征服欲の象徴として見てとれた。それは単に戦争による征服を指すのではなく、自分たち以外のものすべてを、そう”自然”さえも、”征服すべき存在”として捉えている、米国の(←狩猟民族の、或いは西洋の、と置き換えても良いかも。”共生”を旨とする農耕民族とは対極だ)国家としての根本思想とも言うべきものなのかもしれない。

ゆえに、すべてが自分たちで”制御可能”とさえ考える。果たして本当にそうなのか?そもそも人間は、人間を生み育んだ自然を超えた存在なのか?いつから人間は、そんなにエラクなったんだろうねえ…?

米国映画は良くも悪くも米国の姿を反映している。そのひとつが米国万能主義だ。何か問題が勃発しても自らの手で解決しようとする。巨大宇宙船だって米軍の戦闘機で撃破してしまうのだ。

M・ナイト・シャマランは出自がインドと言うこともあってか、その点の描き方が非米国的である。映画「ハプニング」において、米国は国家として、”万能”でも”最強”でもない。(ただ正体不明の敵に恐怖し、右往左往するだけである。)米国人の眼には、そのように描かれた自国のありようが新鮮に映るのだろうか?対して、遙か昔から”畏れるべきもの”の存在をそこここに感じていた日本人にとっては、当たり前過ぎる理(ことわり)にも見え、だからこそ、この作品が発するメッセージには拍子抜けしてしまうかもしれない(ただし日本も、悪い意味で限りなく米国に近づきつつあるかな)

今回はRー12指定を受けているだけあって、視覚的・聴覚的に恐怖を誘う表現の連続なのだが、人間の(特に現代人の)不遜さからしたら、このような展開は十分あり得ると普段から思っているので、個人的にはあまり驚かなかったなあ…

もちろん、こういう映画だって”アリ”、だと思う(そう言えば、ヒッチコック監督ばりに出たがりシャマラン氏、また顔を出していたね・笑)

以下はちょっとネタバレなので反転表示で…

何にでもハッキリ白黒つけたがる人には、シャマラン流のオチは納得し難いのかもしれないが、そもそも物事はそんなに単純なものではないし、謎の”答え”なんて、そう簡単に見つかるものではないのでは?そういう意味では、米国映画の定石から敢えて外した、現実の世界に即したオチだと思った。
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