登戸の無差別殺傷事件の犯人も、今回の京都の放火大量殺傷事件の犯人も、
当初の報道では子ども時代の写真しか出て来なかった。
それは何を意味するのか?
近影もないほどの(他者との良好な関係のない)孤独、社会からの孤立?
(もちろん、彼らが犯した罪は到底許されるものではない。
しかし、彼らが引き起こした事件の重大さと、
その結果がもたらしたあまりの悲しみに、
どこかの時点で事件を防ぐ手立てはなかったのかと考え込んでしまう…
事件前日に監視カメラに映り込んだ犯人の姿をニュースで見て、
ドラマや映画のように、その時点に時間が巻き戻せたらと切に思った。
予知能力のある人が実在していて、
事件を予知し、未然に防げていたならとも思った。
「自暴自棄な人間が、社会への復讐のため、他者を道連れにする自殺」
とも言えるこの種の事件は、
一部の人々が声高に訴える厳罰化だけでは防ぎようのない事件のように思う)
偶然にも、何れの容疑者も幼少期に両親が離婚し、
以来、実の親とは疎遠だ。
(京アニ放火事件の容疑者は、両親の離婚後
、父親が引き取り育てたようで、
別の男性と再婚した母親とは疎遠らしい。)
夫婦が離婚するのは仕方がない面もある。
しかし、自らが世に出した子どもに対して、
親は出来る限り責任を持つべきだと思う。
子どもは親が離婚すると言う事実だけでも、
そこに至るまでにも、十分深く傷ついている。
レアケースではあるだろうが、それに追い打ちをかけるように、
子どもを見捨てることだけは本当に止めて欲しい。
(尤も、育児放棄の問題は離婚家庭に限らないだろうけれど…)
親に見捨てられた子どもは、自尊心がズタズタになりがちだ。
自分の存在価値に自信が持てず、人を信頼することもできず、
自分の将来に希望を持つのが困難になるほどと聞く。
どうしても実の親が当てにならないのであれば、
親に代わって身近な大人が支えてあげなければならないだろう。
身近にそんな大人がいなければ、
社会全体で支えてあげなければならないだろう。
もう何年も前から少子化の問題が叫ばれながら、
子どもの存在は尊重されるどころか蔑ろにされているような気がする。
子どもを保護・育成する施策や法整備が
遅々として進んでいないような気がする。
この日本に生まれて来てくれた子ども達が、その出自に関係なく、
健やかに育つ環境を社会で整えることはできないものだろうか?
子ども達が自尊心を持って、幸せな人生を歩むことができるように。
自身を蔑み、社会を恨む不幸な大人を、これ以上生み出さないために。
政府や自治体の施策を待つまでもなく、
個人でもさまざまなサポートは可能なはずだ。
私達夫婦はかつて仕事で開発途上国と関わった経験から、
長らく国際里親制度を利用してアフリカやアジアのコミュニティ支援を行って来た。
しかし、最近は国内の貧困に目を向けて、
生協が主催する奨学金制度への出資を通して
ささやかながら経済的に困窮する家庭の子どもの学資支援を行っている。
選挙が終わり、国政参加に心が奮い立っているであろう新任の政治家の皆さんにも、
子ども達を取り巻く環境の整備について、今一度目を向けていただきたいと思う。
当初の報道では子ども時代の写真しか出て来なかった。
それは何を意味するのか?
近影もないほどの(他者との良好な関係のない)孤独、社会からの孤立?
(もちろん、彼らが犯した罪は到底許されるものではない。
しかし、彼らが引き起こした事件の重大さと、
その結果がもたらしたあまりの悲しみに、
どこかの時点で事件を防ぐ手立てはなかったのかと考え込んでしまう…
事件前日に監視カメラに映り込んだ犯人の姿をニュースで見て、
ドラマや映画のように、その時点に時間が巻き戻せたらと切に思った。
予知能力のある人が実在していて、
事件を予知し、未然に防げていたならとも思った。
「自暴自棄な人間が、社会への復讐のため、他者を道連れにする自殺」
とも言えるこの種の事件は、
一部の人々が声高に訴える厳罰化だけでは防ぎようのない事件のように思う)
偶然にも、何れの容疑者も幼少期に両親が離婚し、
以来、実の親とは疎遠だ。
(京アニ放火事件の容疑者は、両親の離婚後
、父親が引き取り育てたようで、
別の男性と再婚した母親とは疎遠らしい。)
夫婦が離婚するのは仕方がない面もある。
しかし、自らが世に出した子どもに対して、
親は出来る限り責任を持つべきだと思う。
子どもは親が離婚すると言う事実だけでも、
そこに至るまでにも、十分深く傷ついている。
レアケースではあるだろうが、それに追い打ちをかけるように、
子どもを見捨てることだけは本当に止めて欲しい。
(尤も、育児放棄の問題は離婚家庭に限らないだろうけれど…)
親に見捨てられた子どもは、自尊心がズタズタになりがちだ。
自分の存在価値に自信が持てず、人を信頼することもできず、
自分の将来に希望を持つのが困難になるほどと聞く。
どうしても実の親が当てにならないのであれば、
親に代わって身近な大人が支えてあげなければならないだろう。
身近にそんな大人がいなければ、
社会全体で支えてあげなければならないだろう。
もう何年も前から少子化の問題が叫ばれながら、
子どもの存在は尊重されるどころか蔑ろにされているような気がする。
子どもを保護・育成する施策や法整備が
遅々として進んでいないような気がする。
この日本に生まれて来てくれた子ども達が、その出自に関係なく、
健やかに育つ環境を社会で整えることはできないものだろうか?
子ども達が自尊心を持って、幸せな人生を歩むことができるように。
自身を蔑み、社会を恨む不幸な大人を、これ以上生み出さないために。
政府や自治体の施策を待つまでもなく、
個人でもさまざまなサポートは可能なはずだ。
私達夫婦はかつて仕事で開発途上国と関わった経験から、
長らく国際里親制度を利用してアフリカやアジアのコミュニティ支援を行って来た。
しかし、最近は国内の貧困に目を向けて、
生協が主催する奨学金制度への出資を通して
ささやかながら経済的に困窮する家庭の子どもの学資支援を行っている。
選挙が終わり、国政参加に心が奮い立っているであろう新任の政治家の皆さんにも、
子ども達を取り巻く環境の整備について、今一度目を向けていただきたいと思う。