はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

本当は嫌だけれど…

2009年06月14日 | 日々のよしなしごと
昨日、駅に向かうバスの中でのできごと。

途中で、見たところ70歳前後の女性が3人、バスに乗り込んで来た。周囲に響き渡るような大声でしゃべり、笑いながら。優先席に並んで腰掛けても、そのけたたましさは変わらない。他の乗客は静かにしているのに。中には具合のすぐれない人もいるかもしれないのに。私は、その女性達とは通路を挟んだ反対側の席に、夫と並んで腰掛けていた。

何度か視線を送ったが、件の3人は周囲を気遣う様子が一切ない。堪らず(勇気を振り絞って)、直接注意した。

「すみませんが、もう少し小さな声で話していただけますか?」と。

こちらもそれほど強心臓ではないから、3人を一瞥するとすぐに視線を逸らした。すると、

「あ~ら、ごめんなさい」と言う言葉に次いで、もうひとりの声で信じがたい言葉が聞こえて来た。

「変な人がいるものね」

いったい、どちらが変なんですか?
どちらの方が常識外れなんでしょうか?


ココはドコですか?あなたの家ではありませんよね?
ご自宅なら、大いにしゃべって、笑って結構。
もちろん、それも時間によりけりだけれど。

70歳前後と言えば、私の母と近い世代。実はこの世代は、常識をわきまえた人とそうでない人の個人差が激しい。後者は子育てを終え、社会からリタイアした夫との力関係にも微妙な変化が訪れたことが引き金になって、心を律していた「タガ」でも外れてしまったのだろうか?

とにかく遠慮がない。視野が半径50cm程に狭まって、その範疇を外れたら無関心なのだ。だから自分のテリトリー以外の人に対しての気遣いが全くなくなってしまう。生き様に緊張感がなくなって、自分が他人にどう見られているのかの意識が皆無と言ってよい。でも、それが周囲に不快感を与えたり、迷惑をかけているんだよね。山奥にたった一人で住むならともかく、袖振り合うも多生の縁、いっときでも空間を共有する他者に、もう少し気を遣ってもらいたいな。

彼女達の傍若無人な振る舞いに対して、結局、周囲の人間も我慢強くて、内心不快に思っても誰も注意しない。それが彼女達のお行儀の悪さを冗長させている。

いいオトナなんだから内と外では、立ち居振る舞いを変えるべきだと思う。本来ならば、それは人に注意されるまでもなく、自分で気づくべきだよね。

私だって、自分の親ほどの年齢の人達に注意するのは気後れする。もちろん、注意と言っても、目くじら立てて「ダメでしょっ!」ではなく、あくまでも「お願い」する形を取っている。それでも上述のような逆襲?に遭う。その時の落胆はいかばかりか?この人達が日本をダメする元凶だとさえ思う。そのお行儀の悪さは子や孫に伝承される恐れ大だから。

特に都会の公共交通機関は常時混雑しており、大声でのおしゃべりは迷惑だ。自分も含め、少なからずの人がイヤフォンで音楽を聴いたりするのは、そうしたおしゃべりを聞きたくないというのも理由のひとつだと思う。

本当は人に注意するなんておこがましいし嫌なんだけれど、少しでも世の中が暮らしやすくなるよう、勇気を振り絞って、”明らかに”非常識な人達には「お行儀の悪さ」を改めるよう「お願い」して行くつもりです。

いやはや、なかなかスリリングな日常でありますhiとは言っても、ここまでの人々には滅多に遭遇はしませんけれどhekomi
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