国立西洋美術館で12月10日(日)まで開催の
『ベルギー王立美術館展』記念講演会の第2回を、
先週の土曜日に聴講した。以下はその抄録。(文責はなこ)
■「初期フランドル絵画の世界~見ることと知ること」
講師:荒木成子氏(清泉女子大学教授)
初期フランドル絵画とはネーデルラント地域全体で制作された
15~16世紀中頃の絵画を指す。
本講演会では15世紀作品を扱う。残念ながら今回の展覧会には
15世紀の作品は出品されていない(王立美術館でも門外不出の
貴重な作品が多いということなのでしょう)。
油彩画技法を完成させたのは、15世紀のフランドルである。
この油彩画技法の完成によって、それまでのテンペラ画や
フレスコ画以上に描写力の可能性が飛躍的に広がった。
具体的には、絵の具の繊細な重ね塗りによる細密描写で、
人物の内面の苦悩や喜びなどの感情をも描出できるようになった。
その豊かな描写力により、パノフスキーの言うところの
「擬装された象徴主義」 (あたかも現実に存在しているかの
ように描かれたものには象徴的な意味が隠されている、の意)が
フランドル絵画ではいかんなく発揮された。
15世紀フランドルにおいて数多く描かれた宗教画には、
その細部に渡って、キリストや聖書にまつわる描写がなされている。
とは言え、描かれたすべてのものが、象徴的意味を担っている
わけでもない。ならば、なぜ密度濃く詳細に描き出すのか?
実はこうした細密描写が、
<見る>ことが与える純粋な喜びから<知る>ことの深さへと
鑑賞者を導くのである。
では、作品(ここではフランドル絵画)から
鑑賞者は何を<知る>ことができるのか?
①寄進者:フランドルでは社会的身分の高い者や成功者が
金を出して宗教画を画家に描いて貰い、
それを教会に寄進することが盛んに行われていた。
その際、宗教画の中に寄進者自身の姿も描き込まれるのが
習わしとなっていた。
絵画の中における、現実にはあり得ない聖母子と寄進者との
立ち会いの場面は、寄進者の深い信心の表明と同時に、
その豪奢な衣装を身に纏った姿が地位や成功を顕示していた。
【作例】16世紀フランドルの寄進宗教画(国立西洋美術館収蔵)
三連祭壇画で、中央にキリスト磔刑の場面、
左右の両翼に寄進者夫婦が描かれている。
②画家の自画像:しばしば画家自身が依頼された絵画の中に
さりげなく描き込まれたり(ヤン・ヴァン・エイク
《アルノルフィーニ夫妻像》)、
宗教画の一般的主題に紛れて、画家自身のイメージが
人物像に投影されたり(ロギール・ ヴァン・デル・
ウェイデン《聖母子を描く聖ルカ》:聖ルカは画家であった
という説があり、この作品の聖ルカ像はウェイデンの自画像
とも考えられている)。
③信心:もちろん、絵画は当時の信仰的潮流をも暗示するもの
となっている。例えば15世紀以前からの伝統としてあった、
教会を丸ごと描くという主題は、当時の聖母信仰と結びついて
教会=聖母を象徴する役割を果たしている。
<見る>ことの多様性=<知る>ことの多用性。
絵画にはさまざまな見方があり、そこから
鑑賞者はさまざまなことを知ることができるのである。
①絵画を読む:さまざまな聖書にまつわる物語が凝縮して
描き込まれた絵画を、出典の物語を手がかりに読み解く。
②絵画を感じる:感情が響き渡る空間として絵画を捉える。
絵画の中の人物表現(複数の登場人物の類似したポーズ、
涙など)を通して、その人物達の感情を追体験する。
③絵画を旅する:絵画の中を巡礼のように旅して、
そこで起きている出来事を追体験する。
例えば絵画の中に描かれた長く続く道は、
寄進者の辿って来た道のりを象徴するものであったりする。
また、しばしば見られる広大な空間表現は、
キリストの教えが 広範囲に広まったことを暗示しており、
物語の背景に描かれる風景は、鑑賞者の感情を増幅させる
ようなオーケストラ効果をもたらしている。
絵画の中のVISION(光景)が現実なのか定かではないが、
それを見て作品世界に浸ることにより、
鑑賞者は新たに<知る>機会を与えられるのである。
以下は配布された資料の最後に<まとめ>としてあった。
「信心のための手だてがさまざまに工夫されているのに加えて、
寄進者の権勢の誇示や画家の矜持など、重層的な知へと
<見る>ことがつながる。
しかしただ<見る>ことの喜びに浸るだけでも、
その描写の素晴らしさから、世界を新たに<知る>ことが
できるのではないだろうか?
16~17世紀には、また<見る>ことと<知る>ことの
新たな関係が生み出されてゆく。」
■講演の感想
今回は講演者の話の進め方に私自身多少の戸惑いがあり、
抄録としてまとめるのに、正直言って手間取った(^_^;)。
それにしても前回に続いて会場から溢れんばかりの出席者。
当日来ない方を見越して多少多めの聴講券を発行していると
聞きましたが、これほどまでに高い出席率は珍しいとのこと。
美術愛好者のフランドル絵画への関心の高さが窺えます。
残念なのは、特に年配男性参加者に居眠りされている方が
多いこと。眠気覚ましにはメモを取るなど手を動かしましょう!
『ベルギー王立美術館展』記念講演会の第2回を、
先週の土曜日に聴講した。以下はその抄録。(文責はなこ)
■「初期フランドル絵画の世界~見ることと知ること」
講師:荒木成子氏(清泉女子大学教授)
初期フランドル絵画とはネーデルラント地域全体で制作された
15~16世紀中頃の絵画を指す。
本講演会では15世紀作品を扱う。残念ながら今回の展覧会には
15世紀の作品は出品されていない(王立美術館でも門外不出の
貴重な作品が多いということなのでしょう)。
油彩画技法を完成させたのは、15世紀のフランドルである。
この油彩画技法の完成によって、それまでのテンペラ画や
フレスコ画以上に描写力の可能性が飛躍的に広がった。
具体的には、絵の具の繊細な重ね塗りによる細密描写で、
人物の内面の苦悩や喜びなどの感情をも描出できるようになった。
その豊かな描写力により、パノフスキーの言うところの
「擬装された象徴主義」 (あたかも現実に存在しているかの
ように描かれたものには象徴的な意味が隠されている、の意)が
フランドル絵画ではいかんなく発揮された。
15世紀フランドルにおいて数多く描かれた宗教画には、
その細部に渡って、キリストや聖書にまつわる描写がなされている。
とは言え、描かれたすべてのものが、象徴的意味を担っている
わけでもない。ならば、なぜ密度濃く詳細に描き出すのか?
実はこうした細密描写が、
<見る>ことが与える純粋な喜びから<知る>ことの深さへと
鑑賞者を導くのである。
では、作品(ここではフランドル絵画)から
鑑賞者は何を<知る>ことができるのか?
①寄進者:フランドルでは社会的身分の高い者や成功者が
金を出して宗教画を画家に描いて貰い、
それを教会に寄進することが盛んに行われていた。
その際、宗教画の中に寄進者自身の姿も描き込まれるのが
習わしとなっていた。
絵画の中における、現実にはあり得ない聖母子と寄進者との
立ち会いの場面は、寄進者の深い信心の表明と同時に、
その豪奢な衣装を身に纏った姿が地位や成功を顕示していた。
【作例】16世紀フランドルの寄進宗教画(国立西洋美術館収蔵)
三連祭壇画で、中央にキリスト磔刑の場面、
左右の両翼に寄進者夫婦が描かれている。
②画家の自画像:しばしば画家自身が依頼された絵画の中に
さりげなく描き込まれたり(ヤン・ヴァン・エイク
《アルノルフィーニ夫妻像》)、
宗教画の一般的主題に紛れて、画家自身のイメージが
人物像に投影されたり(ロギール・ ヴァン・デル・
ウェイデン《聖母子を描く聖ルカ》:聖ルカは画家であった
という説があり、この作品の聖ルカ像はウェイデンの自画像
とも考えられている)。
③信心:もちろん、絵画は当時の信仰的潮流をも暗示するもの
となっている。例えば15世紀以前からの伝統としてあった、
教会を丸ごと描くという主題は、当時の聖母信仰と結びついて
教会=聖母を象徴する役割を果たしている。
<見る>ことの多様性=<知る>ことの多用性。
絵画にはさまざまな見方があり、そこから
鑑賞者はさまざまなことを知ることができるのである。
①絵画を読む:さまざまな聖書にまつわる物語が凝縮して
描き込まれた絵画を、出典の物語を手がかりに読み解く。
②絵画を感じる:感情が響き渡る空間として絵画を捉える。
絵画の中の人物表現(複数の登場人物の類似したポーズ、
涙など)を通して、その人物達の感情を追体験する。
③絵画を旅する:絵画の中を巡礼のように旅して、
そこで起きている出来事を追体験する。
例えば絵画の中に描かれた長く続く道は、
寄進者の辿って来た道のりを象徴するものであったりする。
また、しばしば見られる広大な空間表現は、
キリストの教えが 広範囲に広まったことを暗示しており、
物語の背景に描かれる風景は、鑑賞者の感情を増幅させる
ようなオーケストラ効果をもたらしている。
絵画の中のVISION(光景)が現実なのか定かではないが、
それを見て作品世界に浸ることにより、
鑑賞者は新たに<知る>機会を与えられるのである。
以下は配布された資料の最後に<まとめ>としてあった。
「信心のための手だてがさまざまに工夫されているのに加えて、
寄進者の権勢の誇示や画家の矜持など、重層的な知へと
<見る>ことがつながる。
しかしただ<見る>ことの喜びに浸るだけでも、
その描写の素晴らしさから、世界を新たに<知る>ことが
できるのではないだろうか?
16~17世紀には、また<見る>ことと<知る>ことの
新たな関係が生み出されてゆく。」
■講演の感想
今回は講演者の話の進め方に私自身多少の戸惑いがあり、
抄録としてまとめるのに、正直言って手間取った(^_^;)。
それにしても前回に続いて会場から溢れんばかりの出席者。
当日来ない方を見越して多少多めの聴講券を発行していると
聞きましたが、これほどまでに高い出席率は珍しいとのこと。
美術愛好者のフランドル絵画への関心の高さが窺えます。
残念なのは、特に年配男性参加者に居眠りされている方が
多いこと。眠気覚ましにはメモを取るなど手を動かしましょう!