弊ブログ読者は、鴨居玲(かもい・れい)と言う画家をご存じだろうか?
今年は彼の没後25年に当たり、現在、横浜そごう美術館で彼の回顧展が開催されている(会期は8月31日(火)まで)。首都圏では15年ぶりの回顧展だそうで、油彩、素描80点と、彼の創作風景や作品の主題となった人物等を活写した写真を併せて、彼の画業の一端を展覧している。
私はたまたま新聞販売店からその招待券を2枚貰い、通常はなかなかスケジュールの合わない息子も「是非、見てみたい」と言って同行したので、今回は久しぶりに家族揃っての美術鑑賞となった。
鴨居玲は1928年、石川県生まれ。戦後創設された金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)に入学し、宮本三郎(←10年位前に世田谷美術館で回顧展を見た)に師事。在学中に二紀会に出品し褒賞を受けるなど、若くしてその画才の片鱗を見せていたものの、後年油彩制作に行き詰まり、一時筆を置いたこともあったようだ。
41才で、具象画家の登竜門である「安井賞」を受賞。受賞作《静止した刻》(1968,東京国立近代美術館蔵)は、サイコロを放った瞬間を捉えた作品で、画面右半分を占める黒々とした色彩の中で、テーブルを囲む4人の男の表情やポーズ、放たれて空中に静止したままのサイコロが描かれている。黒々とした中に、テーブル中央の明度のある緑色の円が鮮やかな対比を見せている。4人の男の造作が殆ど一緒なのが興味深い。
実は以後の鴨居作品の殆どは人物画において、《わたしの村の酔っぱらい》等、同じモチーフが繰り返し取り上げられ、モデルを誰と特定するでもなく、同一人物を一貫して描いているかのような人物造型で、様々なバリエーションが描かれている。それは、レンブラントが画家として自己の内面を見つめ、その心象変化を繰り返し自画像の中に描き続けたことと相通ずるものを感じる(事実、作品解説では、画家自身が投影された自画像的作品の多さが指摘されていた)。また、自宅の庭の睡蓮の、外光に照射される1日の中での、さらには季節が移ろう中での印象の変化を、飽くことなく描き続けたモネの探求心にも似ているように思う。(右上写真は【参考作品 レンブラントの自画像】)
【参考作品 ジャック・カロ作】
上述したように繰り返し描いたと言われる「自画像」にはレンブラント※を、「酔っぱらい」「楽士」「傷痍軍人」には仏の版画家ジャック・カロが想起された(実はレンブラントも、カロに感化され、同様のモチーフや乞食像を多数の銅版画に残している)。特に後者のモチーフは、ジャック・カロの一連の銅版画による人物像を油彩画にしたら、こんな風になったのではと思わせるテイストだった。さらに師である宮本三郎やスペインのゴヤ、仏のドガ、画家自身も言及しているように仏のドーミエの影響も、その自画像や裸婦像に見てとれた。さらに「道化師」には、そのモチーフを好んで描いたとされるピカソやルオーが想起されたのだが、結局のところ、画家が渡航し、腰を据えて創作に取り組んだ、スペイン、フランス両国出身の画家の影響(近代以降の、理想美ではなく、自然主義的なあるがままの人間の姿を描く。醜さも弱さもみっともなさも人間のあるべき姿と受容し、アウトサイダーへの共感・愛情も滲ませたモチーフ選びと造型表現)が色濃く投影された結果なのだろうか?(※レンブラントはオランダの画家)
鴨居玲は、その才能を十分に認められていたにも関わらず(日動画廊オーナー夫妻との交流を示す彼らの肖像画もある)、極端に内省的な性格なのか、画家として苦悩し続けた挙げ句晩年は体調を崩し、57才の若さで急逝している。しかし、その病質的なまでの繊細さが、暗い色彩を基調とした、人間の内面に深く斬り込んだ凄みのある、時に鬼気迫る独自の作品世界を構築したと言えるのかもしれない。
展覧会で作品を概観しての個人的な印象なので、必ずしも的を射た見方ではないのかもしれないが、何らかの感想を書き記したいと思うほど、その作品に感銘を受けたことは確かだ。
晩年の自画像《1982年 私》では、画面中央のまっさらなキャンバスが物語るように、創作に行き詰まった画家の絶望が描かれているが(白い地を晒したキャンバスを背景に、土気色の生気を失ったような画家の姿が痛々しい)、画家自身が、それまでの画業の試行錯誤の中で、魅力ある作品を数多く生み出したことに気づいていない、或いは認めていない点が、画家の没後、その作品に接して心を動かされた美術ファンのひとりとしては至極残念なことだ。絵にはチョットうるさい息子も「期待した以上に凄かった。良かった」と感想を漏らしていた。そうした声が、生前の彼の心には届かなかったのだろうか?
【追記】
眼を描かないのは何を意味するのだろうか?人物を特定できる肖像画以外は、何れの人物像も眼窩に落ちる深い影を描いただけで、作品によっては、かさぶたのような絵の具の厚塗りも見られる。「目は心の窓」と言うが、あえて絵の具を厚く塗り込め、目の輪郭さえ眼窩の影に埋没させたことに、画家の苦悩の叫びが(どこにも?誰にも?)届かないことへの深い絶望感を、私自身は見てとったのだが…
そんなに苦しかったら、かつて一度はそうしたように絵筆を置けば良かったものを、彼は自身の命を断つことで、描くことに終止符を打った。その壮絶な生き様に、苦しくとも描かずにはおれない画家の業(ごう)ようなものを感じて、同様の生き様を歩んだ(であろう)幾多の画家の自画像が心に浮かんでは消えた。
今年は彼の没後25年に当たり、現在、横浜そごう美術館で彼の回顧展が開催されている(会期は8月31日(火)まで)。首都圏では15年ぶりの回顧展だそうで、油彩、素描80点と、彼の創作風景や作品の主題となった人物等を活写した写真を併せて、彼の画業の一端を展覧している。
私はたまたま新聞販売店からその招待券を2枚貰い、通常はなかなかスケジュールの合わない息子も「是非、見てみたい」と言って同行したので、今回は久しぶりに家族揃っての美術鑑賞となった。
鴨居玲は1928年、石川県生まれ。戦後創設された金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)に入学し、宮本三郎(←10年位前に世田谷美術館で回顧展を見た)に師事。在学中に二紀会に出品し褒賞を受けるなど、若くしてその画才の片鱗を見せていたものの、後年油彩制作に行き詰まり、一時筆を置いたこともあったようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/6e/1eacdaf298bf532c212f5d12a6333fdf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/07/5c94beab6da6702f9a1c5ed28a34cbce.jpg)
【参考作品 ジャック・カロ作】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/af/4effdcee02a469e8ce8a6741c391fa92.jpg)
鴨居玲は、その才能を十分に認められていたにも関わらず(日動画廊オーナー夫妻との交流を示す彼らの肖像画もある)、極端に内省的な性格なのか、画家として苦悩し続けた挙げ句晩年は体調を崩し、57才の若さで急逝している。しかし、その病質的なまでの繊細さが、暗い色彩を基調とした、人間の内面に深く斬り込んだ凄みのある、時に鬼気迫る独自の作品世界を構築したと言えるのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/a2/adbf958ee582dfb01d3d68216d680650.jpg)
晩年の自画像《1982年 私》では、画面中央のまっさらなキャンバスが物語るように、創作に行き詰まった画家の絶望が描かれているが(白い地を晒したキャンバスを背景に、土気色の生気を失ったような画家の姿が痛々しい)、画家自身が、それまでの画業の試行錯誤の中で、魅力ある作品を数多く生み出したことに気づいていない、或いは認めていない点が、画家の没後、その作品に接して心を動かされた美術ファンのひとりとしては至極残念なことだ。絵にはチョットうるさい息子も「期待した以上に凄かった。良かった」と感想を漏らしていた。そうした声が、生前の彼の心には届かなかったのだろうか?
【追記】
眼を描かないのは何を意味するのだろうか?人物を特定できる肖像画以外は、何れの人物像も眼窩に落ちる深い影を描いただけで、作品によっては、かさぶたのような絵の具の厚塗りも見られる。「目は心の窓」と言うが、あえて絵の具を厚く塗り込め、目の輪郭さえ眼窩の影に埋没させたことに、画家の苦悩の叫びが(どこにも?誰にも?)届かないことへの深い絶望感を、私自身は見てとったのだが…
そんなに苦しかったら、かつて一度はそうしたように絵筆を置けば良かったものを、彼は自身の命を断つことで、描くことに終止符を打った。その壮絶な生き様に、苦しくとも描かずにはおれない画家の業(ごう)ようなものを感じて、同様の生き様を歩んだ(であろう)幾多の画家の自画像が心に浮かんでは消えた。