はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

イタリア語、また勉強したいな…

2015年06月16日 | 日々のよしなしごと
 先日、夫とチネチッタで「海街diary」を見た後、最近ブログでも取り上げたイタリアンの店にランチを食べに行った。

 週末の昼時とあってか、店は7、8割程の入りで、適度な賑わいを見せていた。平日はパスタランチがあるのだが、週末はピッツアランチ一種のみの提供のようだ。

 サラダもピッツァも二人前が大皿で運ばれて来た。チネチッタ半券サービスのデザートはパンナコッタが小ぶりのしゃれた足付きグラス入りで出て来た。これにソフトドリンク付きで、二人前2,700円也。私はこのボリュームと味と店の雰囲気なら、妥当な値段だと思うのだけれど、倹約家の夫は高過ぎると言う。コスト意識の高い夫の反応が気になって恐る恐る週末の店に入ってみたけれど、やっぱり駄目だった。夫には申し訳ないけれど、今後は平日に友人と利用するとしよう。

 この日はイタリア人店主のガリレオ氏が店に出ていた。「イラシャッイマセ」とイタリア語訛りの日本語で私達を迎え入れ、帰りの会計時も店主自らが対応した。

 「オイシカッタデスカ?」と聞かれたので、「Buono!」と答えたら、「イタリアゴ、ワカルノ?」と興味を持たれた。

 どこで勉強したの?イタリアで?この店は初めて?僕に会ったことある?と矢継ぎ早に聞かれたので(久しぶりのイタリア語だったけれど、どうにか聞き取れた)、嬉しくて思わず、自分が今覚えている限りのイタリア語で、少し話せること、イタリア語は日本の大学で第二外国語として学んだこと、この店には3度目だけれど、店主のあなたとは初めて会うと答えた(なんせ社会人入学した大学で学んだのは10年以上前で、卒業後にイタリア語を話す機会なんて皆無だった…)

 お金の勘定もすべてイタリア語で話してくれた。数詞はいつも忘れないようにイタリア語を口ずさんでいたりするので、問題なく聞き取れた。

 店主は最後に「スバラシイ。スバラシイ。Bravo!」と言って満面の笑みで見送ってくれた。

 イタリア語って、やっぱりその音の響きがメロディアスで美しいから好きだ。また、勉強し直したいなあ。

 知人に、九段下のイタリア会館のイタリア語講座で、もう数年間勉強している人がいる。彼女もせっかく前に勉強したんだから勉強を続ければと講座受講を勧めてくれるが、いかんせん、交通費と学費のことを考えると、二の足を踏む。

 見る映画や展覧会の数を絞る等、日頃の贅沢?を慎めば、捻出できない費用でもないのだろうが、それらを諦めてまでイタリア語講座に通う価値が、今の自分にとってあるのか、天秤にかけると迷ってしまう。そもそも勉強しても、イタリア語を使う機会は殆どない。近々にイタリアに行く予定もない。ただ純粋に言葉として興味があり、学びたいと言う好奇心だけだ。後先考えずに、お金をかけて学ぶことには、専業主婦と言う立場上、躊躇する。何にせよ、贅沢な悩みである。

 一方、上述の知人は主婦として家事と3人の子育てをしながら25年間フルタイムで勤め上げて後、自らの蓄えで勉強している人だ。家庭の事情で若い頃叶わなかった大学進学を、今、通信制で叶えている。その研究テーマの一貫でイタリア語を学んでいる。

 それに比べたら、私の学習動機は弱いなあ…本当に学びたいのであれば、現時点でNHKのラジオの語学講座なりで勉強していても良いはずだ。でも、やっていないのだから、やはり一過性の花火のような願望なのかもしれない。

 にしても、やっぱりイタリア語は甘美な響きだ。大学時代、週1回の講義とは言え、3年間イタリア語を学べたのは良かった。新たな言葉を知ると言うことは、自分自身の世界が広がることに等しい。イタリア語なら、語学に留まらず、それを契機として、イタリアと言う国の人や文化や歴史にも興味が広がる。

 本当に学びたいのであれば、今のような恵まれた時代、幾らでも学ぶ手段はあるだろう。私の場合、昔とった杵柄で、とりあえず、自宅にある教科書や参考書や辞書で、ある程度自習だって出来なくもない。

 生きている限り、常に何かを学び続けることは大切だと思う。何よりそれは、何気ない日々を充実したものに変えてくれる。正にNo Study No Lifeだねwink
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