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デ・キリコを再発見『デ・キリコ展』(東京都美術館)

2024年07月10日 | 文化・芸術(展覧会&講演会)
誤って二重投稿になってしまいました😅。

6月の上旬に行った展覧会の記録です。

Giorgio de Chirico(1888-1978)はイタリア人ですが、鉄道技師だった父の仕事の関係でギリシャで生まれ、17歳で父と死別したのを機に一家はイタリアに帰還。ミラノを経てフィレンツェに居住します。

その後19歳の時に彼はドイツ・ミュンヘンの美術アカデミーに進学。そこで知ったニーチェの哲学や「象徴主義」のスイス人画家ベックリンの作品に感化されます

✳︎象徴主義:19世紀末のヨーロッパにおいて全盛期だったのがフランスの「印象派」。

鉄道の郊外への延伸やチューブ絵の具の発明等の後押しもあって、戸外にキャンバスを持ち出し、外光の下で風景を描き出したクロード・モネを筆頭とする「印象派」の画家達。

彼らとは対照的に、文学・神話・聖書に取材して、自ら想像する世界を画面で表現しようとしたのがギュスターヴ・モロー、ウジェーヌ・カリエールと言った「象徴主義」の画家達であった。

アルノルト・ベックリン《死の島》(1880〜1886)
その幻想的で非現実的な作品の世界観にデ・キリコは惹かれたのか…

2年後にはミラノに移住し、さらにパリに行った弟の後を追うように1911年にはパリへ移住。この頃に彼の代名詞とも言える最初の「形而上絵画」(Dipinti Metafisici)を手掛けています。

「形而上絵画」って何なのよって話ですが、百聞は一見にしかず。以下の作品をご覧あれ☺️。

ジョルジュ・デ・キリコ《予言者》(1914-15)デ・キリコ26歳頃の作品

そもそも「形而上」と言う言葉が何を意味するかイメージしづらいですが、平たく言えば「形而」とは“物理的に存在するもの、つまり“目の前に実体として有って、見えるもの”を意味します。

だから「形而下」なら、“形而“の範疇にあるもの、逆に「形而上」は、”その範疇を超えた(meta)もの“、転じて「現実には存在しない、あり得ないもの、想念上のもの」となります。

その解釈で上掲のデ・キリコの作品を見ると、確かに現実にはあり得ない光景ですし、遠近法も無視した上に、脈絡のないモチーフを配置して、タイトルからは想像もつかない、当時としては”ぶっ飛んだ“表現😆であったと思います。

このような絵画表現(の走り)を1911年には既に行っていた、と言うのがデ・キリコの凄いところなのです。それは過去に誰もやったことのない表現でした。

こうした彼の作品を目の当たりにして衝撃を受けたのが、サルヴァトール・ダリ(スペイン)やルネ・マグリット(ベルギー)と言った、後のシュルレアリスムを代表する画家をはじめとする若い芸術家達でした。そして、1950年代に誕生したポップアートにも、その影響は及びます。

サルヴァトール・ダリ《記憶の固執》(1931)

ルネ・マグリット《人の子》(1964)

ルネ・マグリット《ゴルゴンダ》(1953)
これはもうポップアートですね☺️

再びジョルジュ・デ・キリコ《不安を与えるミューズたち》(1950頃)

美術史に名を残すような芸術家は、唯一無二の作風を確立し(作品を見れば作者が誰なのか分かる)、数々の素晴らしい作品を残していますが、加えて美術界に新しい概念を持ち込み、後進に多大な影響を与えた「美の巨人」と讃えられる芸術家達がいます。

今や現代美術は「初めにやったもん勝ち」「何でも有り」の様相を呈していますが、それは作家の技術上の巧拙以上に、作品に反映された作家の発想の面白さや思索の結果が、表現として重要視されているからかな、と個人的には思っています。

現代美術の作品には、近代以前の神話や聖書に取材した歴史画のような物語性はないし、19世紀に生まれた「印象派」絵画のような見たままの分かり易さもない。

つまり、現代美術は鑑賞者に作品を見て、(この作品は一体何を表現したものなのか、作品から自分は何を感じ取るか)自ら考える〜“哲学する”ことを求めている。鑑賞者に解釈を委ねている。その解釈には正解も不正解もなく、「鑑賞者が作品と対話する」行為そのものを重要視している、とでも言いましょうか?

そう言う鑑賞者と作品との関わり方、関係性を最初に編み出したのが、若き日にニーチェ哲学と出会い、日常に潜む非現実性に着目し、それまでの芸術の枠組に囚われない形で、自身の思うがまま、考えるままを絵画で表現して、鑑賞者を幻惑(当惑?☺️)させた先駆者、ジョルジュ・デ・キリコではないかと、今回の展覧会を見て思いました。その革新性で、デ・キリコは間違いなく「美の巨人」のひとりに数えられるでしょう。

因みにほぼ同時代を生きた「美の巨人」がもう1人いました。あのパブロ・ピカソ(1881-1973)です。デ・キリコが「形而上絵画」で頭角を顕したほぼ同時期に、ピカソはジョルジュ・ブラック(1882-1963)と共に「キュビズム」で時代の寵児になっています。
パブロ・ピカソ《泣く女》(1937)


さらにデ・キリコは長命で(ピカソも!☺️)、70年と言う長いキャリアの中で古典回帰した時代もあって、その旺盛な探究心も、美術史に名を連ねた偉大な芸術家達に共通するところです。

今回は希少な初期の作品や彫刻作品、舞台美術に関連した作品も展示されており、デ・キリコの長きに渡る多彩な創作活動を展観する、またとない機会になっているようです。

興味を持たれたなら、是非、足をお運びくださいね☺️。

最後までお読みいただき、ありがとうございました🙇‍♀️。

追記:なお、コメント欄にも補足的な記述があります。ご参考まで。

《ヘクトルとアンドロマケ》(1970)

会場外にあるフォト・ストップにて

今回購入した絵葉書類



(了)


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2 コメント

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Unknown (みゆきん)
2024-07-10 22:39:12
有名なのは知ってたけど
これ程とは
私の頭と一緒かも( *´艸`)
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Unknown (hanakonoantena20220612)
2024-07-11 09:41:41
みゆきんさん、こんにちは☺️。

デ・キリコって、ピカソと比べると、美術界におけるその功績が過小評価されていると思うんです。

ピカソが天才であることには異論はないのですが、ピカソはブラックと共に、2次元であるキャンバスで3次元的表現を目指して多視点による描写を導入すると言う、絵画表現そのものに新たな技術を編み出したのに対し、デ・キリコは絵画表現に哲学を持ち込んだ、新たな概念を付与したのが革新的だなと思うのです。

昨日、テレビ番組でヤマザキマリさんが「デ・キリコは大好きな画家。でも彼のインタビュー映像なんか見ると、取り付く島もない態度でインタビュアー泣かせの人。きっと嫌われていたんじゃないかな。孤高の人。でも絵を描くことに関しては常に真剣。」と言っておられたので、人垂らしで常に注目を浴びていたピカソに比べると、偏屈なデ・キリコは世間では彼の真価が周知されなかったのですかね。

彼の死後、奥様が財団を設立して、彼の作品への理解が深まるよう尽力されて、今、再評価されているのでしょう。

かの有名なローマのスペイン広場に面したアパートにご自宅があったそうで、今は記念館になっているようです。
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