埼玉県行田市で、神社を訪れた帰り父親(栃木県真岡市在住)が目を離した隙に、1歳半の幼児が歩道橋から5m下の歩道に転落し頭部を強打したと言う事故に関するTVの報道が気になった。
TV局のレポートはもっぱら「幼児がすり抜けて転落したと言う歩道橋の欄干の横材を支える垂直材の設置間隔」について言及していた。
行田市では歩道橋の欄干垂直材の間隔の基準は15cm以内と定めているそうだが、転落事故が発生した垂直材の間隔はなぜか2か所のみ20cmもあった。
テレビ局クルーが街中の1歳半前後の幼児数人の頭の直径を計測すると、幼児の頭の直径は12~14cmで、垂直材の間隔が20cmならば易々とすり抜けてしまうことが分かった。
行田市によれば、その歩道橋は1960年代に設置されたもので、今となってはなぜ垂直材の間隔の一部が20cmになったのかは分からないと言う(→別の報道によれば、基準が定められる前に施工された歩道橋らしい)。
取材を受けた幼児の親達も皆一様に、間隔が20cmでは危険だとの感想を述べていた。
しかし、ここで私は思うのだ。これまで、こうした事故は何件発生したのだろうと。珍しい事件だから、ここまで大きく取り上げられているのではないか?同行していた親が幼児の手をしっかり繋いだり抱っこすれば、十分防げた事故だったのではないか?と。
報道によれば、父親が一瞬目を離した隙に女児の姿が見えなくなり、慌てて探すと歩道橋下から泣き声が聞こえて転落に気付いたと言う。
この父親にとっての一瞬とはいったい何秒、否、何分なのだろう?
今回5m下に転落した女児は転落直後泣き声を上げており、これといった外傷はなく命に別状はないとの一報だが、頭部を強打したとなれば、今後、何らかの障害が出ないとも限らない。被害女児は本当に大丈夫なんだろうか?
このブログでも何度も言及しているが、外出先で幼児の手を繋がない親は少なくない。第三者の私が傍から見てもハラハラするので、思い余って注意してもなお一部の親はキョトンとするばかりで我が子の手を繋ごうとしない。
つい先日もバスターミナルでバスを待っている間、やはりおぼつかない足取りの幼児が周囲をチョロチョロ動き回って、親はすぐ近くにいたので大丈夫と思っていたのかもしれないが、誤って道路側に転落しやしないかと私は内心ひやひやしていた。
車や人通りを気にせずにいられる児童公園内ならともかく、混雑したショッピングモールの通路や駐車場や駅の構内、エレベーターや電車の乗降時や、車や自転車が頻繁に行き交う道路でも、よちよち歩きや動きの活発な幼児の手を繋がない親はいる。
日本も欧米並みに(海外で初めて目にした時には、子どもをペット扱いしているように見えてギョッとしたけれど)我が子をハーネスで繋ぐ時代が来たのかもしれない(つまり外出時、親が常に我が子に注意を向けられないのであれば、道具に頼るしかないと言うこと)。
テレビの報道番組の論調は「歩道橋の欄干の垂直材の設置間隔が問題だ」と言う風に私には受け取れたのだが、それより何より、こと今回の事故に関しては親の不注意が最も問題なのではないか?(歩道橋では階段からの転落の危険もあるのだから、親は幼児の手をしっかり繋ぐか、抱きかかえて欲しい。)
自ら身を守る術をまだ知らない乳幼児にとって、この世界は危険な物事が際限なくある。社会の責任として、その危険を出来る限り除去する努力は当然だが、全てに対応することは難しいのが実情である。それだけに無力な乳幼児を、周囲の大人、中でも子どもをこの世に送り出した親が、常に何を置いても守るしかないのではないか?(それでも不運が重なって、守り切れないことがあるけれど…)
SNSでの主に母親達のコメントを見ても、父親の注意不足を指摘する声が多く、「スマホでも見ていたのでは?」との声もあった。親にしてみれば、一瞬の不注意が大きな後悔に繋がる可能性があるのだ。
SNS上に、祖母からの言い伝えとして、年齢の数え方が「つ」で終わる年齢(「一つ」から「九つ」)までは成長毎に「目を離すな」「手を離すな」「心を離すな」と言う話が紹介されていて、「なるほど!」と思った。
多くの親が今回の痛ましい事故を自身の教訓として(私自身、親の不注意で幼い妹を事故で亡くしている)、幼い我が子を危険から守ることに今以上に心を砕いて欲しいと心から願う。
TV局のレポートはもっぱら「幼児がすり抜けて転落したと言う歩道橋の欄干の横材を支える垂直材の設置間隔」について言及していた。
行田市では歩道橋の欄干垂直材の間隔の基準は15cm以内と定めているそうだが、転落事故が発生した垂直材の間隔はなぜか2か所のみ20cmもあった。
テレビ局クルーが街中の1歳半前後の幼児数人の頭の直径を計測すると、幼児の頭の直径は12~14cmで、垂直材の間隔が20cmならば易々とすり抜けてしまうことが分かった。
行田市によれば、その歩道橋は1960年代に設置されたもので、今となってはなぜ垂直材の間隔の一部が20cmになったのかは分からないと言う(→別の報道によれば、基準が定められる前に施工された歩道橋らしい)。
取材を受けた幼児の親達も皆一様に、間隔が20cmでは危険だとの感想を述べていた。
しかし、ここで私は思うのだ。これまで、こうした事故は何件発生したのだろうと。珍しい事件だから、ここまで大きく取り上げられているのではないか?同行していた親が幼児の手をしっかり繋いだり抱っこすれば、十分防げた事故だったのではないか?と。
報道によれば、父親が一瞬目を離した隙に女児の姿が見えなくなり、慌てて探すと歩道橋下から泣き声が聞こえて転落に気付いたと言う。
この父親にとっての一瞬とはいったい何秒、否、何分なのだろう?
今回5m下に転落した女児は転落直後泣き声を上げており、これといった外傷はなく命に別状はないとの一報だが、頭部を強打したとなれば、今後、何らかの障害が出ないとも限らない。被害女児は本当に大丈夫なんだろうか?
このブログでも何度も言及しているが、外出先で幼児の手を繋がない親は少なくない。第三者の私が傍から見てもハラハラするので、思い余って注意してもなお一部の親はキョトンとするばかりで我が子の手を繋ごうとしない。
つい先日もバスターミナルでバスを待っている間、やはりおぼつかない足取りの幼児が周囲をチョロチョロ動き回って、親はすぐ近くにいたので大丈夫と思っていたのかもしれないが、誤って道路側に転落しやしないかと私は内心ひやひやしていた。
車や人通りを気にせずにいられる児童公園内ならともかく、混雑したショッピングモールの通路や駐車場や駅の構内、エレベーターや電車の乗降時や、車や自転車が頻繁に行き交う道路でも、よちよち歩きや動きの活発な幼児の手を繋がない親はいる。
日本も欧米並みに(海外で初めて目にした時には、子どもをペット扱いしているように見えてギョッとしたけれど)我が子をハーネスで繋ぐ時代が来たのかもしれない(つまり外出時、親が常に我が子に注意を向けられないのであれば、道具に頼るしかないと言うこと)。
テレビの報道番組の論調は「歩道橋の欄干の垂直材の設置間隔が問題だ」と言う風に私には受け取れたのだが、それより何より、こと今回の事故に関しては親の不注意が最も問題なのではないか?(歩道橋では階段からの転落の危険もあるのだから、親は幼児の手をしっかり繋ぐか、抱きかかえて欲しい。)
自ら身を守る術をまだ知らない乳幼児にとって、この世界は危険な物事が際限なくある。社会の責任として、その危険を出来る限り除去する努力は当然だが、全てに対応することは難しいのが実情である。それだけに無力な乳幼児を、周囲の大人、中でも子どもをこの世に送り出した親が、常に何を置いても守るしかないのではないか?(それでも不運が重なって、守り切れないことがあるけれど…)
SNSでの主に母親達のコメントを見ても、父親の注意不足を指摘する声が多く、「スマホでも見ていたのでは?」との声もあった。親にしてみれば、一瞬の不注意が大きな後悔に繋がる可能性があるのだ。
SNS上に、祖母からの言い伝えとして、年齢の数え方が「つ」で終わる年齢(「一つ」から「九つ」)までは成長毎に「目を離すな」「手を離すな」「心を離すな」と言う話が紹介されていて、「なるほど!」と思った。
多くの親が今回の痛ましい事故を自身の教訓として(私自身、親の不注意で幼い妹を事故で亡くしている)、幼い我が子を危険から守ることに今以上に心を砕いて欲しいと心から願う。