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写真家アラーキーこと、荒木経惟氏へのインタビューでした。荒木氏は現在、全国各地を回って、一般公募から選ばれた人々の肖像写真を撮っているそうです。彼曰く、「顔は究極のヌードだ」~つまり、その人の生き様が現れるのが顔で、顔は人間の内面を裸にする、と。モデルは全て一般市民です。
今回は広島でしたが、母になる喜びに溢れた自分の妊婦姿を記念に残したい一心で応募した20代の女性や、夫の脱サラ後、マイペースな夫に振り回されながらも夫唱婦随を貫き、カメラの前で幸福感に満ちた表情を見せる弁当屋の夫婦(←荒木氏が今回一番気に入った表情らしい)、そして、幼い日に被爆しながら奇跡的に無傷で生き延び、今は穏やかに暮らす70代女性が、娘、孫息子と3世代で、と言うように、それぞれのモデルの人生が、1枚の印画紙に凝縮されたような素敵な写真が100枚ほどあったでしょうか。
◆広島市現代美術館20周年記念特別展「広島ノ顔」公式HP
◆荒木経惟 日本ノ顔プロジェクトHP
被爆女性の娘さんは3世代の笑顔の写真を前にしみじみ「命の繋がりを感じるんですよねえ」と語る。「母が原爆から生き延びたからこそ、今、私がここに存在し、息子が存在している」~心の深い部分に響く言葉でした。繋がっている命。その奇跡。
私の母も戦禍を逃れて熊本に集団疎開をした時、腸チフスに罹り、危うく死にかけたそうです。しかし、就学前の幼い妹達を連れて宮崎の農村に疎開していた祖母に瀕死の母は引き取られ、一命を取り留めたらしい。父を亡くしてすっかり気弱になった母を気遣って頻繁に電話をしている中で、つい最近、母の口から初めて聞いた話です。
なぜ今になって、その重い口を開いたのか。実際、疎開児童は慢性的な栄養失調状態で、本来なら死に至らないような病で亡くなった子もいたようなので、母にとっては幼い日の辛い思い出であったのかもしれません。祖母の献身的な看病があったとは言え、母の回復は、当時としては奇跡と呼べるものだったようです。
あの時、母が腸チフスで命を落としていたら、私も(もちろん、妹や弟も)今、この世に存在していなかった。広島の女性の言葉で、そのことが改めて思い起こされました。そして、自分の中に繋がっている命に、今さらのように感慨を深くしたのでした。
◆荒木経惟公式HP