はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

人間観察

2016年11月27日 | 日々のよしなしごと
 私は外出先で注意深く人間を観察している。

 このブログでしばしば登場する女子トイレは格好の人間観察の場である。

 常に待ち行列のできる映画館や劇場の女子トイレでは列の並び方で、「通常あらゆる場面で"気配り"を見せる女性」の大半が、「他人の目が気にならない場所」において、「利害関係のない他人に対して」はかなり無頓着であることが一目瞭然である。

 残念ながら、トイレの個室と洗面所の配置から、どう並べば個室から出て来た人の動線を妨げることなく並んでいる人が空いた個室に入り、スムーズに行列の解消が図れるか、全く考えていない人が多い。全然頭を使わずに、ただ前の人の後ろについているだけの人があまりにも多い。

 尤もトイレに入るのにイチイチそんなことに頭を使っていられるか、と言う反論も、どこからか聞こえてきそうだ…

 特に女性の場合、公共の場でも自分と親しい間柄の人間しか視野に入っておらず、周りの状況を一顧だにしない特徴がある。

 入店を待っている人がいるのも構わずカフェに長居したり、大声で話したり、建物の出入り口で話し込んだり、歩道で横に広がっておしゃべりしながらダラダラ歩いたり…

 先日もトイレから出ようとドアを開けたら、入ろうとする女性2人組と対面したので道を譲ると、その後に10人位の女子高校生の集団が続き、しばらくドアの前で待たされる羽目に陥った。

 誰も出ようとする私に気付かなかったのだ。本当に視野が狭いなあ。出入口はひとつなのに、よくもまあ出る人のことを全く考慮せずに、10人?もぞろぞろと続けて入ることが出来るものだと呆れてしまった。

 もちろん、「ちょっと出たいんですけど、誰も譲ってくれないんですかね?」と皮肉を込めて言ったのだが、聞いてないんだか、聞こえてないんだか、誰ひとり立ち止まらなかった。

 一事が万事こんな具合だから、夫がしばしば口にする「一般に女性は自分のことしか考えていない"自己中"な存在だ。」に反論できないのだ。

 この点に関しては、同じ女性としてチョット残念である。


 また、注意深く人物の動きを観察することで、将来起こりうる事態も予測することが出来たりする。

 昨日、久しぶりに行き付けの中華料理店に、夫婦でランチを食べに行った。そこは地元では名の知られた老舗だが、ランチなら千円台前半で楽しめる。

 私達夫婦は正午過ぎから始まった映画を見終わった後にその店を訪れたのだが、ちょうど法事帰りと思しき団体客(大人は全員ブラックフォーマル姿で僧侶2人も帯同していた)が食事を終えて店を出ようとしていたところだった。連れの幼い子ども数人が店頭で騒いでいた(最近、公共の場で子どもが騒いでいるのを放置している親が多いのも気になる。公共の場でどう振舞うべきか、幼い頃から躾けたりしないのかなあ?)

 男性給仕が私達夫婦を店内に案内することになったのだが、繁忙の昼時を過ぎた後の疲れが、その男性の顔に色濃く出ていた。この時点で何だか嫌な予感…

 私達の存在など忘れてしまったのか、ホール入り口で給仕の男性は心ここにあらずと言った感じで立ちすくんだ。

 見かねて「どこに座ったら良いのでしょう?」とこちらから尋ねて初めて我に返った様子の男性給仕。その彼が案内したのは、ピーク時を過ぎて店内はほとんどガラガラの状態なのに、なぜかすぐ隣に客がいる席。通常なら席に余裕がある場合、他の客とは間隔をあけて席に案内するのに…

 内心、変だなあと思いながらも着席後、サービスランチを2人前と、前回来店時に貰ったドリンク無料サービス券を件の給仕に手渡して食後の飲物を頼んだ。

 ここでさらに気になったのが、彼がオーダーを復唱しなかったこと。いつもならスタッフが復唱して、きちんとオーダーを確認する店である。やはりぼんやりした様子で、彼は入口の方へ行ってしまった。

 私は思わず夫に「今、あの人、注文を復唱しなかったんだけど大丈夫かしら?」と不安を口にした。

 食事を終えて会計を済ませようとレジに行くと、案の定、請求額が間違っていた。無料サービスのドリンクの代金もカウントされていたのだ。危うく千円以上多く支払わされるところだった。

 件の男性給仕が私達の注文を受けた後、明細を機械に打ち込む時に間違えたらしい。よほど疲れていたのだろうなあ…

 私の夫も些か不注意と言うか、細かいことに頓着しないところがあるので、彼に支払いを任せていたら、おそらく言われるままに支払っていたと思う。

 今回のように、日常でも何が起こるか分からないから、せめてヒューマンエラーは自分自身の観察力で防ぎたいと思う。実際、ほんの少し注意を払うだけで防げる失敗は少なくないはずだ。

 注意深く観察していると、結構人って、いろいろやらかしている。何気ない仕草や行動で、その人の普段の暮らしぶりさえ何となく想像がついてしまう。

 もちろん、自分も誰かに観察される側になるのは十分あり得ることなので、日頃の振舞いには多少なりとも緊張感が必要だと思っている。

 都会に住んでいると、「知らない人が殆ど」の気楽さからついつい忘れがちなのだが、自分を律する為には、常に「誰かが見ている」「お天道様が見ている」と言う意識は大切なんだろうなあ。
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