はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

秤はひとつじゃない

2006年09月09日 | はなこ的考察―良いこと探し
先日の『ワンナイ』 (フジ系で毎週水曜日夜10時から放送の
バラエティ番組。ハッキリ言ってお下劣。時々ハメを外し過ぎて
物議を醸したりすることも。『ココリコミラクルタイプ』の前に
放映しているので、私もたまに見ることがある)

を見ていない人には話が見えないかもしれないけど、
その番組の中で私が目にした光景はこうだ。


教室仕立てのセットに、金曜日の2時間ドラマの宣伝のために、
ゲストとして知性派タレント菊川怜が登場。
おバカを自認するレギュラーお笑いタレント陣が、
その菊川怜とちょっとしたゲームをする。
別の場所に設えられたバーのカウンターで
お笑い陣が菊川怜を口説きにかかるのだが、
その際、菊川怜が会話の中に時折挟み込む知的な言葉
(経済用語など時事的語彙)に対して、
二人一組のお笑いタレントがどう切り返すかを競うのだ。
そこで出て来た「インサイダー」という言葉を巡って
頓珍漢な解釈を展開するお笑い陣。それに対して、
菊川怜はマジに(笑)軽蔑の眼差しを向けるのだった…


桜陰学園→東大と知的エリートのルートを順当に辿った菊川怜。
それに対して、学業成績は散々だったらしいお笑い陣。
菊川怜の軽蔑の表情は、通常は交わることのない
異なった世界の2組が出会ったことによるミスマッチ現象の
ひとつだと言えるだろう。
たぶん彼女には、彼らの”価値”が理解できないんだろうな。

しかし、このことでお笑い陣は卑屈になることはないのである。
なぜなら人の能力や価値を測る秤は、
言うまでもなく、ただひとつではないのだから。
あの時、菊川怜の中で使われた人間の価値判断の秤は、
あくまでも限定された能力を測るものに過ぎない。
「インサイダー」という言葉を知るにこしたことはないが、
知らなければ即「人間失格」となるわけでもなければ、
「明日から社会生活を営むことが不可能」
というわけでもない。
何よりお笑い陣は自らの得意分野で、
適材適所に自らを輝かせているのである。
社会の中で自分の活躍の場、居場所を見つけられる人は、
そんなに多くはないのだから、それだけでも誇っていい。
社会常識は、もう少し学ぶべきなのかもしれないけどね。

最近少子化が追い風となって、大学の学生選抜方法にも
大きな変化が見られるようになった。一芸入試、AO入試、
昔からあったが最近特に重要視されるようになった
スポーツ推薦など、入学に際して学業成績のみが問われる
ことは少なくなっている。
学業エリートが必ずしも実社会に貢献する人ばかりではない
ことはもう明らかだし(能力を生かせない…悪用する…)、
さらに社会貢献の形はいろいろあってしかるべきで、
人間の多様な能力が生かされてこそ、
社会も活性化されるはずだ。

人間の能力・価値を計る秤は幾らだってあるのだ。
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