はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

与えられた環境で精一杯生きる

2006年01月04日 | はなこ的考察―良いこと探し

熱海・来宮神社の神木。
樹齢2000年のこの木の生命力にあやかりたい。


与えられた環境で精一杯生きる。
悔いのない人生を生きるには、
これしかないのではないかと思う。

人それぞれ与えられた環境は違う。
現世は前世の反映という説もあるが、
それなら、私は前世でよほど悪いことをしたのか、
なんて思うほど、子供の頃は辛かった。

どう辛いかというと、
無邪気な子供の時代が短かったのだ。
小4の頃には、親の苦労する姿を見て、
「長女である自分がしっかりしなければ」
と自覚したと思う。すでにその時には稼ぎ手だった。
と言っても店番を毎日していただけだが。
それでも子供心に友達と外で遊べないのは寂しかった。
店の売り上げが悪いと親に悪い気がした。
母は朝早くから働きに出て帰りも夕方頃だったので、
毎晩の夕食の献立も私の担当で、常に頭を痛めていた。
学校が終わったら、すぐさま帰宅しなければならない。
中学の部活なんてできるはずもない。

と言っても、世の中見渡せば私並の、否私以上に
辛い思いをした子供は沢山いるのだろう。
それに昔の辛い経験があったからこそ
今の自分の置かれた環境に感謝できるのだ。

同時に考えるのは、恵まれた環境にありながら、
それを生かすことなく、人生を生きている人のこと。
自分の恵まれた環境に感謝して、
それを十二分に生かせば、
どれだけのことができるか知れない。
恵まれない環境で悪戦苦闘している人から見れば、
実にもったいないことだろう。

私は自分の置かれた環境の中で精一杯生きて来た。
日々努力する中で、
環境は自分の努力次第で変えられることも知った。
今の私は、過去の自分の積み重ねだ。
失敗も成功も、辛いことも楽しいことも
すべてひっっくるめての今の自分がいる。
「あの時ああしていれば」「こうしていれば」
という後悔もない。
その時自分ができる精一杯のことをして来たから。

自分の人生を他人と比べて、
幸不幸を判断するのはナンセンス。
自分がひとりの人間として、
以前の自分よりどれだけ成長したのか。

自分の生き方を計るものさしは、
これに尽きると思う。
一度しかない”熱血はなこ”としての人生。
悔いのないように生きたい。

毎年、一つ年を重ねる度に思うことです。
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