熱海・来宮神社の神木。
樹齢2000年のこの木の生命力にあやかりたい。
与えられた環境で精一杯生きる。
悔いのない人生を生きるには、
これしかないのではないかと思う。
人それぞれ与えられた環境は違う。
現世は前世の反映という説もあるが、
それなら、私は前世でよほど悪いことをしたのか、
なんて思うほど、子供の頃は辛かった。
どう辛いかというと、
無邪気な子供の時代が短かったのだ。
小4の頃には、親の苦労する姿を見て、
「長女である自分がしっかりしなければ」
と自覚したと思う。すでにその時には稼ぎ手だった。
と言っても店番を毎日していただけだが。
それでも子供心に友達と外で遊べないのは寂しかった。
店の売り上げが悪いと親に悪い気がした。
母は朝早くから働きに出て帰りも夕方頃だったので、
毎晩の夕食の献立も私の担当で、常に頭を痛めていた。
学校が終わったら、すぐさま帰宅しなければならない。
中学の部活なんてできるはずもない。
と言っても、世の中見渡せば私並の、否私以上に
辛い思いをした子供は沢山いるのだろう。
それに昔の辛い経験があったからこそ
今の自分の置かれた環境に感謝できるのだ。
同時に考えるのは、恵まれた環境にありながら、
それを生かすことなく、人生を生きている人のこと。
自分の恵まれた環境に感謝して、
それを十二分に生かせば、
どれだけのことができるか知れない。
恵まれない環境で悪戦苦闘している人から見れば、
実にもったいないことだろう。
私は自分の置かれた環境の中で精一杯生きて来た。
日々努力する中で、
環境は自分の努力次第で変えられることも知った。
今の私は、過去の自分の積み重ねだ。
失敗も成功も、辛いことも楽しいことも
すべてひっっくるめての今の自分がいる。
「あの時ああしていれば」「こうしていれば」
という後悔もない。
その時自分ができる精一杯のことをして来たから。
自分の人生を他人と比べて、
幸不幸を判断するのはナンセンス。
自分がひとりの人間として、
以前の自分よりどれだけ成長したのか。
自分の生き方を計るものさしは、
これに尽きると思う。
一度しかない”熱血はなこ”としての人生。
悔いのないように生きたい。
毎年、一つ年を重ねる度に思うことです。