はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

「淋しい」のひとこと

2014年11月21日 | 日々のよしなしごと
 俳優の高倉健さんが10日に亡くなられていたことを報道で知って驚いた。普段からプライベートを一切明かさない、昔ながらの銀幕のスター然とした方だから、この世からの去り方もこの人らしいとは思ったが、やはり突然の訃報は、一映画ファンとしては淋しい。

 こうして、子供の頃から知っている有名人がひとり、またひとりと、この世を去って行く。その訃報に接する度に、自分がそれだけ年を取ったのだと思い知らされる。人は誰でもいつか死ぬのだと、厳然なる摂理を突きつけられる。

 健さんのような銀幕のスターは亡き後も、スクリーンの中で在りし日の姿を繰り返し見ることができるが、一般の人間はそうも行かない。

 特にズボラな私達夫婦は、自分達の姿はおろか我が子の姿さえ、映像に殆ど残していない。声変わりする前の幼い声は、辛うじて電話機の留守録に残っている。もうその電話機は使っていないが、この声の為に、捨てられずにいる。ただし、スターの健さんと違って、その需要もないが。

 夫婦二人共、これまでの人生で、それほど多くの人とは努めて関わってこなかった性分ゆえに、おそらく、世の中からひっそりと消え去って行くと思う。静かに人知れずこの世からフェードアウトして行く。そして、いつしか、存在していたことさえ、忘れ去られて行くのだろう。

 健さんは、自身の美学を貫き通して静かにこの世から去って行かれたが、暫く世の中が彼を放っておいてはくれないのだろうね。


 改めて、高倉健さんのご冥福をお祈り致します。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マーフィの法則に当て嵌まる... | トップ | 『インターステラー』(原題:... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。