はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

森村泰昌氏*講演会聴講報告

2014年01月01日 | 文化・芸術(展覧会&講演会)

フリーダ・カーロの自画像を森村流にアレンジするとこうなる?

森村泰昌氏の講演会を国立西洋美術館で聴講しました。テーマは『時を駆ける美術鑑賞~「美しい」を見直そう』
 
森村氏はあのゴッホになりきったセルフポートレート写真を皮切りに、近年は同様の技法で、フェルメールの絵画やゴヤの版画等の作品世界に、徹底して作り込んだ自分をはめ込み、時には大胆なデフォルメを施す等して、古今東西の名作に新たな命を吹き込む活動を展開しているアーティストです。

今回の講演ではゴヤの《自画像》を取り上げ、ゴヤ一流の批評精神を称える場面も。バスク出身の生粋のスペイン人であるゴヤが、フランス趣味の服を身に纏った自画像。

そこには自分自身を客観視し、節操なく時流に乗った自分を「滑稽だ」と嗤うゴヤがいます。そうしたゴヤの批評精神は森村氏にも通じるものだと私は感じました。

ゴヤ《自画像(ロス・カプリチョス)》と森村泰昌《バケツをかぶった風刺家の肖像》
 

柔らかな物腰で丁寧な話しぶり。聴講者の突拍子もない質問にも真摯に答えられる。

アーティストの社会における役割とは、ひとつには新たな視点(ものの見方)を人々に示すことだと私は考えます。今回の森村氏の講演会は、その役割を見事に果たすものであったと思います。

冒頭で「100人いれば、100通りの鑑賞の仕方がある」との氏の言葉に、私は”我が意を得たり!”と心の中でガッツポーズをしました。と言うのも、最近ブログで同様のことを書いたばかりだったからです。

人間の心に関わることは、あくまでも個人と対象との1対1の関係である。信仰しかり、対文学作品しかり、対芸術作品(音楽、美術、そして映画も!)しかり…最近、このことをつくづくと思うのです。

森村氏は「今日はケース・バイ森村の話です」と断った上で、具体的な作品を例にあげて、森村氏的鑑賞ポイントを語って下さいました。そのとっかかりとして、「わかる」とは何か?どういうことなのか?について言及。

氏曰く、わかるには2種類ある。

①頭でわかる②身体でわかる。

①の頭でわかるとは、作品に付随する諸々の情報~作家名、作品が描かれた時代背景等々(いわゆる、うんちく)で作品を理解しようというアプローチの仕方。

対して、②の身体でわかるとは、絵を前にして自然に沸き上がる感情、「ドキドキする」「何か惹き付けられる」「何だか気持ちワルイ」など、年齢に関係なく誰もが語れる
”からだ言葉”を契機に、作品について自分なりに考えること、あれこれ想像を巡らせること(この際、解釈の正誤は関係ない)。

具体例を挙げると、最近人気?の音声ガイドを使っての鑑賞。作品の前で作品番号に対応したボタンを押すと、詳細な解説がイヤフォーンを通して聞こえます。これは①の頭でわかるを実践する方法と言えます。確かに作品横のキャプションを読むよりは楽だし、キャプションのない作品についても詳しい解説があり、作品に付随する情報を得るには効率的な方法。

「しかし」と、森村氏。

「音声ガイドを使って見終わった後、あなたの心に何が残りましたか?」作品を見ているようで、実はよく見ていない、作品がわかったようで、実はあまりわかっていない、
という珍妙な現象が起きているのでは?と。

そこで氏が改めて強調されたことは
「作品を前にして浮かんだ自分なりの素朴な疑問を追求して欲しい。」

例えばロマン派の巨匠ドラクロワの代表作である《民衆を導く自由の女神》。氏は素朴な疑問を投げかけます。


「裸はイカンと違うんか?」中央で旗を掲げ持つ女性は胸も露わに戦場を行進している。

「僕が裸で路上を歩いたら、警察にすぐ捕まります」人前で裸はイケナイと教わったのに、美術館には裸が
溢れているやないか?皆さんも疑問に思ったことはありませんか?と聴衆への問いかけ。

他にも絵を前に思いが沸々と湧き上がる。

「しかも、どうして戦場にいてはるねん?」「裸言うたら、ミロのヴィーナスみたいやな」「ということは、この女性は女神やろか?「その裸の女性の周りは、もしかすると何やら武器持って 一斉蜂起した民衆やな」「格差社会で不満を持った民衆が立ち上がったんやな」

そうこうしているうちに、「絵はフィクションなんや。フィクションでは別世界が創り出されるんや」と思い至る。

「絵描き(この場合、ドラクロワ)の仕事は、思い(=格差社会に対して一斉蜂起した民衆の思い)を”(=女神像)にすることなんや。」

そこに至るまでに、①の頭でわかるための”知識”(=ミロ・ヴィーナス像、近代の仏の歴史、格差社会)
総動員されています(知識の多寡は人それぞれですが…)

つまり、①を内包した②の身体でわかるの実践。実はこれこそが、作品と自分との1対1の関係~他の誰のものでもない、唯一無二の関係を築くベストな方法なのではと、氏は提案されました。

まずは作品を前にして自分の心の言葉に耳を傾けよう♪


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