よく誕生日(出生日)がふたつあるという人がいます。
1つは実際に生まれた日で、もう1つは戸籍上の誕生日、
こういうふたつの誕生日を持つ人の場合です。
実は、あの徳光和夫さんも実際に生まれた日と戸籍上の誕生日のふたつの誕生日を持つ人。
徳光さんが実際に生まれたのは1941年(昭和16年)3月3日のこと、
つまり今日「桃の節句」は徳光さんの満84歳の実際の誕生日なのです。
ところが、徳光さんが生まれた当時は
この9か月後に太平洋戦争に突入するという軍事色の非常に強い時代、
そのような時代に女の子のお祭りの日に生まれたとあっては
わが子が元気にたくましく育つわけがないし、
よその子からかわれてしまうと思った徳光さんのお父さんが
出生日を1週間ずらし3月10日生まれにして届けたということです。
ちなみに3月10日は昔でいう「陸軍記念日」という勇ましい記念日だったからなんです。
私と徳光さんは1979年に始まった日本テレビ系『ズームイン!朝!!』での出会い以来、
数々の番組で仕事をご一緒させていただくとともに、
甲子園球場へ高校野球を観戦に行ったり海外旅行へ行ったりと親しくおつきあいさせていただきました。
さて、一般に実際の出生日と戸籍上の出生日がある場合、
占いではどちらの生年月日を優先するのかというと、
これは明らかに実際の出生日ということになります。
なぜなら徳光さんの場合でいうと
〈1941年3月3日〉という〈時間〉と〈空間〉の中で
《徳光和夫》という〈命〉が誕生したわけですから、
その日を〈宿命〉と〈運命〉の起点にしなくてはいけないわけです。
ただし人によってごくまれにちょうど午前零時をまたいだところで生まれたので、
正確にはどっちの日かわからないという人もいます。
そういう場合は両方の日の命式を出して比べることもあります。
さて、徳光和夫さんの場合1週間生まれた日が違うと宿命はどう変わるかを比較してみましょう。
まずは1941年3月3日生まれの場合。
◇徳光和夫(1941年3月3日生まれ/84歳)
庚 庚 辛 石門星 天貴星
寅 戌 寅 巳 龍高星 禄存星 車騎星
卯 ――――― 天堂星 貫索星 天馳星
天 戊 甲 丙
中 辛 戊 戊
殺 丁 丙 庚
徳光さんの宿命の概要は以下のようなものです。
※寅卯天冲殺(跡継ぎ運)
長男に生まれ、お父さんと同じ日本テレビに入社しました。
ただ制作ディレクターではなくアナウンサー。
※陽占の中央の十大主星は愛情奉仕と回転財の禄存星。
心が温かくて面倒見が良い太っ腹な人気者。
競馬で大穴を当てるとADさんたちにも大盤振る舞いをしてました。
東に車騎星、勝負事が大好きで、朝から単独行動をし、そそっかしい。
西には龍高星。夜も神出鬼没でなかなか家にたどり着かない自由人。
北には気さくでつきあい上手で友達が多い石門星。
南には貫索星。マイペースで単独行動が多い。
※禄存星と石門星があるので徳光さんのまわりには人が集まるけど、
お金もどんどん使ってしまう人。
つきあいは広いくせに車騎星・龍高星・貫索星と単独行動が多い。
※生月冲殺があり、日干支と月干支が大半会なので、
(よく言えば)考え方も行動も枠にはまらず、組織からはみ出てしまう。
※唯一不思議で意外なのは、アナウンサーにしては
みのもんたさんや小倉智昭さんと違って伝達本能の鳳閣星がない。
以上の宿命分析を見る限りは徳光和夫さんは1941年3月3日生まれで合っているようです。
次に、もし1941年3月10日生まれだったらどんな宿命だったでしょう?
◇徳光和夫(1941年3月10日生まれ/84歳)
丁 辛 辛 禄存星 天将星
子 巳 卯 巳 調舒星 龍高星 調舒星
丑 ――――― 天将星 禄存星 天胡星
天 戊 乙 戊
中 庚 庚
殺 丙 丙
※子丑天冲殺(初代運)
※陽占の中央の十大主星は放浪と改革の星・龍高星。
じっとしているのが苦手で自由で神出鬼没なところは龍高星的ではありますが…
東と西に繊細で神経過敏な調舒星。調舒星的な細かさもありますが、
どちらかというと鳳閣星のようなおおらかでややずぼらの面が顕著です。
北と南は禄存星。とにかく非常にやさしい面倒見の良い人。
結論からいうと、徳光さんの宿命はどう見ても1941年3月3日生まれのほうだと断言できます。
ということで、最後に1941年3月3日生まれの徳光さんの【大運】を見てみましょう。
【大運】
(初旬) 9歳~己丑 玉堂星・天庫星
(2旬)19歳~戊子 龍高星・天極星※変剋律大運
(3旬)29歳~丁亥 牽牛星・天胡星※変剋律大運
(4旬)39歳~丙戌 車騎星・天堂星※変剋律大運
(5旬)49歳~乙酉 司禄星・天将星
(6旬)59歳~甲申 禄存星・天禄星
(7旬)69歳~癸未 調舒星・天南星
(8旬)79歳~壬午 鳳閣星・天恍星
9歳から始まる【9歳運】で、(初旬)の大運は玉堂星大運。
お母さんの愛情を一身に受けてまじめに勉強します。
きっと成績も良かったと思います。
19歳からの(2旬)は龍高星大運。
おそらく長嶋茂雄さんに憧れて立教大学に入った頃から
お得意の見たり聞いたり試したりの放浪性が強くなったのかもしれませんね。
この龍高星大運の中で日本テレビにアナウンサーとして入社。
1969年、28歳の時から『NTV紅白歌のベストテン』が始まりました。
まさに(3旬)の出世大運、牽牛星大運に入る時ですね。
この牽牛星大運の中で日本テレビの看板アナウンサーと呼ばれるようになります。
1979年、38歳の時、『ズームイン!朝‼』のキャスターに抜擢されました。
ちょうど(4旬)の車騎星大運に入る時ですね。
この10年は忙しく休めない10年ですが、自分の生き方に自信が出る10年です。
そして、1989年、48歳で日本テレビを退社し独立。
テレビ東京で独立後初のレギュラー番組『徳光のTVコロンブス』を始めました。
奇しくも49歳からは(5旬)の司禄星大運に入り、
ここでしっかり財を築いていくわけです。
こう見ると、徳光さんの人生はまさに宿命通りに流れているといっても間違いではありません。
しかして今日で84歳になった徳光さんにはいま79歳からの鳳閣星大運の中にあります。
のんびりおおらかな鳳閣星大運の中ですからまさに悠々自適、
無理をせずおおらかにのんびりと好きなことを楽しむ人生、
そういう生き方に徹すれば徳光さんはまだまだ長生きをしていくことでしょう。
徳光さん、どうかお元気で、たまに一緒に遊んでください。
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1つは実際に生まれた日で、もう1つは戸籍上の誕生日、
こういうふたつの誕生日を持つ人の場合です。
実は、あの徳光和夫さんも実際に生まれた日と戸籍上の誕生日のふたつの誕生日を持つ人。
徳光さんが実際に生まれたのは1941年(昭和16年)3月3日のこと、
つまり今日「桃の節句」は徳光さんの満84歳の実際の誕生日なのです。
ところが、徳光さんが生まれた当時は
この9か月後に太平洋戦争に突入するという軍事色の非常に強い時代、
そのような時代に女の子のお祭りの日に生まれたとあっては
わが子が元気にたくましく育つわけがないし、
よその子からかわれてしまうと思った徳光さんのお父さんが
出生日を1週間ずらし3月10日生まれにして届けたということです。
ちなみに3月10日は昔でいう「陸軍記念日」という勇ましい記念日だったからなんです。
私と徳光さんは1979年に始まった日本テレビ系『ズームイン!朝!!』での出会い以来、
数々の番組で仕事をご一緒させていただくとともに、
甲子園球場へ高校野球を観戦に行ったり海外旅行へ行ったりと親しくおつきあいさせていただきました。
さて、一般に実際の出生日と戸籍上の出生日がある場合、
占いではどちらの生年月日を優先するのかというと、
これは明らかに実際の出生日ということになります。
なぜなら徳光さんの場合でいうと
〈1941年3月3日〉という〈時間〉と〈空間〉の中で
《徳光和夫》という〈命〉が誕生したわけですから、
その日を〈宿命〉と〈運命〉の起点にしなくてはいけないわけです。
ただし人によってごくまれにちょうど午前零時をまたいだところで生まれたので、
正確にはどっちの日かわからないという人もいます。
そういう場合は両方の日の命式を出して比べることもあります。
さて、徳光和夫さんの場合1週間生まれた日が違うと宿命はどう変わるかを比較してみましょう。
まずは1941年3月3日生まれの場合。
◇徳光和夫(1941年3月3日生まれ/84歳)
庚 庚 辛 石門星 天貴星
寅 戌 寅 巳 龍高星 禄存星 車騎星
卯 ――――― 天堂星 貫索星 天馳星
天 戊 甲 丙
中 辛 戊 戊
殺 丁 丙 庚
徳光さんの宿命の概要は以下のようなものです。
※寅卯天冲殺(跡継ぎ運)
長男に生まれ、お父さんと同じ日本テレビに入社しました。
ただ制作ディレクターではなくアナウンサー。
※陽占の中央の十大主星は愛情奉仕と回転財の禄存星。
心が温かくて面倒見が良い太っ腹な人気者。
競馬で大穴を当てるとADさんたちにも大盤振る舞いをしてました。
東に車騎星、勝負事が大好きで、朝から単独行動をし、そそっかしい。
西には龍高星。夜も神出鬼没でなかなか家にたどり着かない自由人。
北には気さくでつきあい上手で友達が多い石門星。
南には貫索星。マイペースで単独行動が多い。
※禄存星と石門星があるので徳光さんのまわりには人が集まるけど、
お金もどんどん使ってしまう人。
つきあいは広いくせに車騎星・龍高星・貫索星と単独行動が多い。
※生月冲殺があり、日干支と月干支が大半会なので、
(よく言えば)考え方も行動も枠にはまらず、組織からはみ出てしまう。
※唯一不思議で意外なのは、アナウンサーにしては
みのもんたさんや小倉智昭さんと違って伝達本能の鳳閣星がない。
以上の宿命分析を見る限りは徳光和夫さんは1941年3月3日生まれで合っているようです。
次に、もし1941年3月10日生まれだったらどんな宿命だったでしょう?
◇徳光和夫(1941年3月10日生まれ/84歳)
丁 辛 辛 禄存星 天将星
子 巳 卯 巳 調舒星 龍高星 調舒星
丑 ――――― 天将星 禄存星 天胡星
天 戊 乙 戊
中 庚 庚
殺 丙 丙
※子丑天冲殺(初代運)
※陽占の中央の十大主星は放浪と改革の星・龍高星。
じっとしているのが苦手で自由で神出鬼没なところは龍高星的ではありますが…
東と西に繊細で神経過敏な調舒星。調舒星的な細かさもありますが、
どちらかというと鳳閣星のようなおおらかでややずぼらの面が顕著です。
北と南は禄存星。とにかく非常にやさしい面倒見の良い人。
結論からいうと、徳光さんの宿命はどう見ても1941年3月3日生まれのほうだと断言できます。
ということで、最後に1941年3月3日生まれの徳光さんの【大運】を見てみましょう。
【大運】
(初旬) 9歳~己丑 玉堂星・天庫星
(2旬)19歳~戊子 龍高星・天極星※変剋律大運
(3旬)29歳~丁亥 牽牛星・天胡星※変剋律大運
(4旬)39歳~丙戌 車騎星・天堂星※変剋律大運
(5旬)49歳~乙酉 司禄星・天将星
(6旬)59歳~甲申 禄存星・天禄星
(7旬)69歳~癸未 調舒星・天南星
(8旬)79歳~壬午 鳳閣星・天恍星
9歳から始まる【9歳運】で、(初旬)の大運は玉堂星大運。
お母さんの愛情を一身に受けてまじめに勉強します。
きっと成績も良かったと思います。
19歳からの(2旬)は龍高星大運。
おそらく長嶋茂雄さんに憧れて立教大学に入った頃から
お得意の見たり聞いたり試したりの放浪性が強くなったのかもしれませんね。
この龍高星大運の中で日本テレビにアナウンサーとして入社。
1969年、28歳の時から『NTV紅白歌のベストテン』が始まりました。
まさに(3旬)の出世大運、牽牛星大運に入る時ですね。
この牽牛星大運の中で日本テレビの看板アナウンサーと呼ばれるようになります。
1979年、38歳の時、『ズームイン!朝‼』のキャスターに抜擢されました。
ちょうど(4旬)の車騎星大運に入る時ですね。
この10年は忙しく休めない10年ですが、自分の生き方に自信が出る10年です。
そして、1989年、48歳で日本テレビを退社し独立。
テレビ東京で独立後初のレギュラー番組『徳光のTVコロンブス』を始めました。
奇しくも49歳からは(5旬)の司禄星大運に入り、
ここでしっかり財を築いていくわけです。
こう見ると、徳光さんの人生はまさに宿命通りに流れているといっても間違いではありません。
しかして今日で84歳になった徳光さんにはいま79歳からの鳳閣星大運の中にあります。
のんびりおおらかな鳳閣星大運の中ですからまさに悠々自適、
無理をせずおおらかにのんびりと好きなことを楽しむ人生、
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