“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

“原宿の母”と“渋谷の父”のランチ

2008年03月31日 15時48分43秒 | Weblog
「ハリー先生、元気にしとる~!」
雨の中を、原宿から歩いて,

“スーちゃん”こと“原宿の母”菅野鈴子さんが訪ねてみえました。

かたや“原宿の母”、かたや“渋谷の父”、語呂的なマッチングはよいけれど、
占い師としての実績と知名度では、僕はまだ”原宿の母”に遥かに及びません。

それにしても、相変わらず“原宿の母”は明るく、気さくで、元気です・・・
素朴な広島弁がはずんでいます。
そんな彼女の持ち味は、なんといってもその小柄で華奢な体に似合わないくらいの、
ダンプカーばりの、ブルドーザーばりのパワーにあります。
なにしろ彼女は、行く先々で、出会う人はみな“人類は一家”的に友達になってしまい、
そこから新たな人脈を広げてしまうという特異な才能を持っています。
そんな人懐っこさが彼女の魅力といえます。

たとえば、ある時、中華料理店で友達と食事中、
隣の席で一人でポツンと食事をしていた老紳士に、
「一人で中華を食べておったらまずいから一緒に食べたらええわ」
と言って仲良くなった方が、日本バーテンダー協会の会長さんで、
そこから人脈が広がったとか・・・。
たとえば、ある時、街でギターを背負った若者に、「何しとるん?」と声をかけたら、
「これからライブがあるんだ。来ない?」と誘われ、
「面白そうだね。私も出てもええ?」
と言って、知らないアーティストのライブに飛び入り参加し、
そのあまりのノリの良さに、ライブに来ていた客が意気投合、
スーちゃんの占いの顧客になったとか・・・。
とにかく彼女を語るエピソードは枚挙にいとまがありません。

そんな“原宿の母”は、独立開業した僕のことを非常に心配してくれ、
何度もメールで励ましてくれます。
そして、今日は、直接会い、占いの事務所を運営していく上での貴重なアドバイスを
沢山してもらいました。
「ハリー先生の場合は、他の人よりも教えるのが上手じゃけ、
占い教室とかもっと宣伝しおったらええよ」
そうも言ってくれました。
そんな話をしている最中に、昨日鑑定をした女性の友人という方からの鑑定予約が入りました。
「“原宿の母”がお客さんを呼び寄せてくれたのかな」
と言ったら、
「いや、ハリー先生、それはあなたが昨日いかに誠実に鑑定したかのご褒美だよ」
とスーちゃん。その温かい言葉に、なんだかジーンと来ました。

もともと“原宿の母”は、今日は僕が独立開業したお祝いにランチをおごるということで、
わざわざ渋谷まで出向いてくれたのですが、
昼時、二人で事務所の近所の「おまかせ亭」というレストランにランチを食べに行ったら
スーちゃんは(またしても!)ウエートレスのお姉さん相手に積極的に売り込みを始めました。
挙句は、「ハリー先生、名刺もっとったら配ったほうがええよ」と一言。
これには思わず笑ってしまいました。
でも、たしかにこれからは、そのくらい積極的に自分というものをアピールし、
宣伝していかないといけないのも事実です。
ありがとうね、スーちゃん!
“原宿の母”からパワーをもらい“渋谷の父”もすっかり元気になりました。
とにかく頑張ります


地下にあるレストランから出てきたら、いつのまにか雨がやんでいました。
“原宿の母”は長靴をはき、ビニール傘を手に携えて、
何度も手を振り、何度も振り返りながら、明治通りへと続く坂道を降りて行きました。
雨上がりって、いいですね・・・



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あなたの悩みの答えはここにある!

2008年03月30日 20時58分53秒 | Weblog
昨夜、関西から戻りました。
本日は疲れた身体を引きずるようにラジオの仕事へ・・・。
午後からは鑑定の予約が入っていたので、渋谷の事務所へ向かいました。

鑑定に見えたのは28歳の女性。
仕事についての相談でした。
「いまの職場が合っていると思えない。転職の時期を探っているがいつがよいか?」
というもの・・・
まずのっけから涙をぽろり
ようやくたどりついた・・・そんな感じに見えました。
「大丈夫ですよ。さぁ時間をかけて納得の行くまでお話しますね」
と、僕はゆっくりと語り始めました。

算命で見ると、彼女は今年の2月4日から年運の天中殺に入っています。
しかも、この天中殺中の年運には和合の星である石門星が回っているため、
それが中殺されて人間関係で困難が生じやすくなっており、
特に仕事の位置である西方は害・・・
苦しいはずです。
ところが、天中殺に入ってしまったので、
いまは動く時、動ける時ではないのです。
転職を考えるなら、
去年は龍高星と天報星が回っていたので、去年実行するべきでした。
いろいろなものを捨て、新たな道を選べばよかったのです。
それを話したら、年運天中殺に突入する直前に彼と別れたとのことでした。
彼女は子丑の天中殺なので、
年運の天中殺に突入する直前の12月から1月も月運の天中殺にあたり、
苦しかったはずです。
つまり、その中で、彼女は仕事よりもまず先に彼との別れを選択し、
過去と決別したことになります。

個人のプライバシーなので、これ以上のお話は差し控えさせてもらいますが、
この先の仕事のことを中心に、彼女が持って生まれた宿命から後天運まで、
たっぷり2時間ほどお話をさせていただきました。
そのくらい僕からすると読みごたえのある、
彼女からすると聞きごたえのある鑑定となり、
彼女も納得してお帰りになったことと思います。
お帰りになる時に、お顔を見たら端正な美しいお顔に笑みが浮かんでいました。
2時間前の涙から少し吹っ切れたように見えました。

もし仕事の悩みをお持ちの方がいたら、
皆さんもぜひ彼女のように気軽に渋谷まで足を運んで下さい。
きっと満足のある感動的な鑑定をして差し上げます。
あなたの答えは、ここにあります

それから、言えることは一つです。
過去を捨てないと新たなスタートは切れません
これはこの先も続く天中殺の時期にもいえます。


明日は午前中、原宿の母・菅野鈴子母さんが事務所に遊びに見えるそうです!
スーちゃん、待ってますよ


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食は関西にあり!

2008年03月28日 23時02分07秒 | Weblog
桜前線を刷毛で撫でるように東海道を西へ・・・
関西にやって来ました。
昨日は神戸の友人宅に宿泊。元町の山の手にあるたいそうな豪邸です。
久々の神戸は、三宮も元町も南京町もなんだかとっても新しく感じられました。
で、気づいた・・・
あの阪神・淡路大震災から13年・・・
そうか神戸はあの未曾有の大震災からすっかり復興を遂げていたのだと。
あの震災の後も、何度も神戸を訪れているのに、
僕にはなぜかあの震災の直後に訪れた神戸の壮絶な惨状が、
まだつらい幻影を見ているように残っていたのです。
今回、神戸の随所に、すっかり立ち直った神戸の新しい息吹とパワーを感じました。
そりゃそうだ、もう13年もたつんだもの、何をいまさら・・・
そんな感慨にひたりながら、美味しい中華料理を食べ、
ビール、紹興酒、ワインをしこたま飲み、
爆睡

今夜は大阪で一泊。
宮崎料理の店で宮崎地鶏を肴に痛飲。
なんで大阪で宮崎料理?
でも、大阪は食の街、食い倒れの街だから・・・
“食は関西にあり”とはいうけれど、
ホント、少し食を控えめにしなくては・・・

明日は名古屋に寄って、話題のモーニングなるものを食して帰京予定。
こんなふうにお気楽に旅行を楽しむよりも、
仕事をしっかりやって、
早く占いビジネスのほうを軌道に乗せなくては・・・と思う今日この頃です。
それにしても、神戸は三宮から元町にかけて、占いの店だらけだったな・・・
こんなに多くてやっていけるの?と心配になるほど・・・

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伝統的なものを土台に革新的なものを生み出すために・・・

2008年03月26日 15時42分59秒 | Weblog
僕がヒマということもあるんですが(笑)
鑑定に見えたKさんと2時間も話してしまいました。
2時間も見るだけ見て5千円。
あ~あ、鑑定士仲間のAさんに話したら、
「安すぎる!そういう価格破壊はダメ」と言われるに決まっているけど、
こればっかりは性分だからしょうがないです(笑)

価格破壊ではないですが、
僕は手相の理論一つをとっても、
伝統的、経験的な積み重ねの理論を土台にしながら、
常に疑問をぶつけ、革新的なものを取り入れていくような活動をしていきたいと
思います。
たとえば、西洋手相の源流はギリシャに遡るといわれているが、
巷間伝わるようにギリシャの哲学者たちは本当に手相学を育んだのだろうか?
その中心ともいわれるアリストテレスの手相術とはいかなるものだったのか?
あるいは、現代の手相術の礎を築いたといわれるキロの手相術に齟齬はないのか?
などなど、学問として突きつめ研究していく余地はたくさん残されている・・・

明日から3日間、関西へ出張。
でも、ブログは書き続けます!


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毎回オリンピックのたびに話題になる歌手といったら・・・

2008年03月25日 15時46分20秒 | Weblog
午前中は事務所にて予約受付の仕事。
午後、すっかり春模様の明治通りをトコトコ歩いて、
原宿のテイチク・エンターテインメントまで行き、
上杉香緒里ちゃんのコンサートの打ち合わせをしてきました

上杉香緒里ちゃんといえば、あのヤワラちゃんが金メダルを獲った時は、
谷亮子(当時は田村亮子)に似ているからと“演歌のヤワラちゃん”と呼ばれ、
一昨年、冬季五輪で荒川静香が金メダルを獲った時は、荒川静香に似ているからと、
“演歌のイナバウワー”と呼ばれてきた稀有な存在の歌手です。
ということは、彼女はオリンピックに非常に縁があるということになりますね。
だとすると、北京オリンピックが開かれる今年は、
また再び彼女が脚光を浴びる年かなぁ・・・
そう思えば、逆にオリンピックの代表選手の中から、彼女に似ている選手を探せば、
その選手は活躍するということになります。
さぁ、今年のオリンピックで金メダルに手が届く上杉香緒里似の選手とは誰だ?!

さて、素顔の上杉香里ちゃんは、新潟出身の明るいおきゃんな性格の女性です。
32歳だけど、正直いってまだ少女の面影を残し、色恋沙汰とは無縁のような印象。
算命学の陽占の命式を見ると、中年期に赤ちゃんの星・天印星を持っているという、
そのまんまの印象です。
でも、西方に牽牛星があるからして、夫を立てる良き妻となるでしょう。
もちろん、東方は車騎星なので、本人も行動的で大変働き者な人ですよ。
というか、ある意味では、私生活で、もっと積極的に恋をし、
ある面で悩み、苦しみ、場合によっては傷つくくらいの人生経験をしたほうが、
演歌歌手としての“味”が出てくるかもしれません。
やはり、演歌歌手の“味”とは、人生の酸いも甘いも苦いもしょっぱいも噛み分けた先に
出てくるものなんですから・・・

いま新曲の「おけさ海峡」で頑張っている上杉香緒里ちゃん、
今年は来年の15周年に向けて、じっくり人脈や活動の場を広げる年です。
そんな先を見据えて、一緒に楽しいコンサートを作りましょう。


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泥棒さんへ!木曜日から土曜日まで不在です!

2008年03月24日 15時28分26秒 | Weblog
東京は桜の蕾を濡らす冷たい雨・・・といったところでしょうか。
実は、今週木曜日から桜前線に逆らうように関西へと出張するのですが、
神戸まで車で移動するので要所要所で見上げる桜景色を楽しみにしているんです。
でも、そのことで少し心配なのは、大量に配った鑑定料20%割引のチラシを持って、
留守の間にお客さんが訪ねて来ないかという心配・・・
ありえない、ありえない(笑)ま、杞憂というやつでしょうね(笑)
“原宿の母”菅野鈴子氏は、「ハリー先生、事務所にはいなくちゃダメだよ」と、
事務所を開いた時、放浪癖のある僕を諌めるように言っていたけれど、
「たしかに」とは思いながらも、ついまたフラフラしてしまうんです。

出張といえば、5月の連休にF先生やF先生の厳父と、
広島・岡山方面へ旅することになりました
正確にいえば、広島から呉へ回り、呉に一泊。
翌日は岡山市から岡山の県北の湯原温泉まで行くのです。
今年卒寿(90歳)を迎えるF先生の父上は、戦争中、呉の海軍基地で、
帝国海軍が世界に誇ったイ号400潜という当時としては世界最大級の潜水艦に、
軍医として搭乗していたのですが、
今回僕は、F先生の父上が自叙伝を書き上げるお手伝いをすることになり、
父上の“想い出”をたどる旅に同行することになったのです。
特に呉は一度は訪れてみたかったし、個人的にも楽しみです。
おそらく僕の創作にも結びつく取材旅行になるのではと期待しています

そういえば広島は“原宿の母”の故郷なんですよね。
スーちゃんにも行ってくるってお知らせしなくちゃ


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すごい人が夢に出てきた!

2008年03月22日 08時11分16秒 | Weblog
昨夜見た夢にすごい人が出てきました!
今は亡き“歌謡界の女王”美空ひばりさんです。
ひばりさんとは、生前、何度かお会いしたことがありますが、
とても親しく口を聴けるような間柄ではありませんでした。
そのひばりさんがなぜか突然僕の夢に現われた!
映画でいうなら特別出演?!
まさに夢ならではの夢の共演ですね

どこかのイベント会場。
僕はひばりさんの介添え役であり、よき理解者。
和服姿のひばりさんは杖に頼っているので、晩年と思われます。
会場でアルバイトをしている女性が、
「勤務がきつくてバイト料が安い」とひばりさんに愚痴をこぼしているのを、
下々のことがわからないひばりさんが「?」の表情をして聞いているので、
僕がフォローする形でひばりさんに説明をしていました(笑)

夢占いでいうと、有名人が出てくる夢は吉夢といえます。
有名人は権力、願望、憧れの象徴。
それに手が届く、それを手に入れる可能性があると夢は暗示しています。
人脈が拡がり、経済力もアップ!
・・・といけばいいんですけどね

ちなみに美空ひばりさんで驚くなかれ!
僕は、かつて夢の中でアメリカの大統領とも握手をしてますから・・・


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天中殺のさなかに結婚するカップルに贈る

2008年03月21日 14時38分03秒 | Weblog
昨日は、東京の青山で、北海道に住む友人の子息の結婚パーティーがありました。
イマドキの若者というべきか、この4月から就職するので忙しいという理由をつけ、
式も披露宴もせずに籍を入れ、同居し、結婚生活をスタートさせるというので、
それじゃあケジメがなさすぎると、
僕や親友のF先生など東京にいる親代わりの連中が世話人となり、
気のおけない友人を集め、形ばかりの結婚パーティーを催しました。
物事のスタートには、やはり「ヨーイ、ドン!」というスタートの号砲というか、
区切りが必要です。
その区切りがないと、その後の方向性も一定せず、万が一別れるなんてことになっても、
非常にあいまいな形になったり、逆にずるずるいつまでも結論を引き伸ばしてしまいがちです。
だから、物事にはケジメ、区切りが必要なんです。

ちなみに、この新婦は今年の2月4日から子丑の年運天中殺に入っています。
年運に天中殺が回ってくる2年間は、当然結婚はタブーです。
天中殺の時期に結婚すると、その結婚には山あり谷ありの困難が待ち受けているといえます。
ところが、天中殺中の結婚を避けろと言われても、中には避けることができない場合もありますよね。
たとえば、赤ちゃんができちゃうとか転勤になってしまうとか・・・
この二人の場合も諸般の事情で結婚ということになったのですが、
新婦には、僕はあらかじめこの結婚が天中殺中の結婚であることを話し、
特にこの結婚にあたっては、彼主導のペースで執り行い、
わがままを言ったり、過度な要求を彼にしないようにと言いました。
なに、そうはいっても彼女が受け身受け身で息苦しくなってしまわないように、
彼のほうには、人一倍のやさしさを持ち、彼女の身になって考えてあげるようにと話しました。
天中殺もいたずらに恐れることはないのです。
天中殺の時期は自分を見つめ直す時であり、
もし相手が天中殺ならば、その相手の身になって考えてあげる・・・
そうしなさいよと天は教えてくれているんだと思います。
そんなふうに話したら、幸い明るく聡明な新婦は、僕の忠告に素直にうなずいてくれました。

この二人の幸せを祈りたいと思います。


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カニバケってな~んだ?

2008年03月19日 16時32分00秒 | Weblog
今朝、9時半に事務所に来てメールを開いたら、
朝8時半に25歳の女性から緊急の鑑定依頼が入っていました。
早速返信メールを送り、事務所に来ていただいて鑑定。

相談者の女性は、恋愛のこと、仕事のこと、いろいろあって、
精神的にも肉体的にもかなり追い込まれているようでしたが
とりあえずじっくり彼女の気持ちと決意を聞きました。
午月の庚の日生まれの彼女の守護神は壬と癸。
十大主星でいうと、鳳閣星と調舒星です。
鳳閣星の意味は、健康と遊び。
すなわち、彼女にとって苦しい今の時期に一番大事なことは、
健康であり、気持ちを大らかに持ちリラックスすること・・・
そのためには音楽やら文学に親しむのも効果があるはずです。
そうすれば守護神の加護がきっと得られるはずです。
まず、身体を治し、身も心もリフレッシュして、
幸運の時期を待って下さい・・・
夏が過ぎればあなたのもとによい報せが届くでしょう・・・
とお答えしました。
もしこのブログを読んでくれていたら、しばらくの辛抱です。
悲観的にならず、楽しいことを考えて頑張って下さいね

午後、文化放送で、久々にタレントの伊東四朗さんと会いました。
「ニン!」と言って近づく僕。
「タニシ!」と伊東さん、にんまり。
「社長に会った?」と言うので、
「いえ」と僕。
「そこにいるよ」と伊東さんはわざわざ僕を引っ張って社長のところへ。
社長とは、僕の仲人でもある文化放送のM社長。
伊東さんとM社長と僕が揃うと、
これはほとんど「てんぷくトリオ」の上を行く、
「まんぷくトリオ」のノリになってしまうんです
そんな僕の兄貴分のようなMさんも、
Mさんが“社長”という企業のトップに登りつめてしまったことで、
このところすっかりご無沙汰になってしまいました。

ちなみに、今でも通用するかどうかはわかりませんが、
M社長のかつてのあだ名は「カニバケ」。
ほらカニをバケツに入れると、ガチャガチャ、ガチャガチャうるさいでしょう?
M社長はまさにこれなんです。
おそらくM社長は日本で一番声がでかくてうるさい拡声器のような社長です、
ホントなんだから!


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牛丼と僕の長~~いつきあい伝説

2008年03月18日 11時46分15秒 | Weblog
朝、モーレツにお腹が空いて、
つい通りがかりにすき家によって、大好きな牛丼を食べました・・・
僕は個人的な好みでいうと、牛丼といったら吉野家の牛丼に尽きるけど、
例のアメリカ産牛肉の輸入禁止騒動以来、
吉野家は午前11時以降でないと牛丼を販売していないので、
このところ、僕がなぜか一番牛丼が食べたくなる朝方に、
僕は吉野家で牛丼を食すことはできなかったわけです。
(注:朝っぱらから牛丼を食すことを僕は“朝牛”と呼んでいます!)

ところが、ついにその吉野家が24時間牛丼の販売を再開するというじゃないですか。
やった!うれしい!もうこうなったら毎朝でも牛丼を食べてしまおう!
毎朝、朝牛だ!(注:朝、牛乳を飲むわけではない!)

小学校の頃、学校までの道の途中に、いかにもという大衆食堂があり、
その店の壁面に大きく「牛めし」と書いてありました。
僕は、いつもいったんそこで立ち止まり、
その字を大きな声で「う・し・め・し」と読み上げながら、
学校へ通ったものです。
「うしめし」って何だろう?どんな食べ物だろう?まさか丼に牛が乗ってるんじゃないよな?
子供の僕にはまだ見ぬ「うしめし」のイメージがこ~~~~なに大きくふくらみました
その当時は、まだ吉野家もチェーン展開されておらず、
「牛丼」なる言葉もそれほど一般的ではなく、
むしろ街の大衆食堂の看板などで、
時折「牛めし」の字を見かける程度で、
無知な僕など「牛めし」を「ぎゅうめし」と読むとも知らず、
「うしめし」と訓読みしていたのでした。

そんな僕と牛丼の距離がにわかに接近したのは高校進学の頃でした。
中学時代仲が良かったK君が、お父さんの急死によって急遽高校進学をあきらめ、
吉野家に就職したのです。
当時の吉野家は本当にチェーン展開されたばかりで、
店舗数も新橋店などを含めそう多くはなかったと思います。
僕はK君に訊ねました。
「吉野家って何を出す店?」
「牛丼だよ」
「牛丼って?」
「牛めしだよ」
「ゲッ、ぎゅうめしって牛めし?
あれうしめしって読むんじゃないの?あちゃー、知らなかったなぁ・・・」
こうして僕は、“牛めしはうしめしではなくてぎゅうめし、牛丼はうしどんではなくぎゅうめし”
と読むのだという事実を知ったのでした。

やがて、大学進学・・・
ここで僕と牛丼の間はさらに接近!
というのは、僕が通った早稲田大学の西門の前に「三品食堂」という早大生御用達の食堂があり、
この店のメインがこの牛めしだったのです。
ちなみに三品食堂の三品の由来は、牛めし、カレーライス、カツライスの三品から来ています。
この店で、僕は早稲田の運動部の猛者や同級生のテッちゃん(世田谷区役所職員)に交じって、
大カツタマギュー(知ってる人だけがわかる頼み方)などもりもり食べていました。
牛めしってこんなにうまいものだったんだぁ!
それが当時から連綿と続く僕の牛丼(牛めし)に対する感想です

ところで、この美味の牛肉料理を牛丼と呼ぶべきか牛めしと呼ぶべきか、
店によっても呼び方が決まっていませんよね。
たとえば・・・
牛丼→吉野家、すき家
神戸らんぷ亭→牛どん
牛めし→松屋、三品食堂、新橋のげんき
となっています。
ただし、公平に見て、目下のところは、
牛めしよりも牛丼のほうが一般的な呼び方といえるかもしれません。
おそらく、牛めしという呼称のほうが牛丼という呼び方よりも古いのかしれませんが、
そこは世に牛丼ブームを作り出したパイオニアが吉野家であることと、
「めし」という言い方にやや粗野なイメージがあるせいか、
女性でも抵抗なく口にできる言い方として、
「牛丼」という呼び方のほうが受け入れやすいのでしょう。
結局、70年代から世に牛丼ブームをもたらした吉野家がなくならない限り、
「牛丼」という呼び方のほうが有利かな・・・?

ちなみに、高校進学をあきらめて吉野家に入社したK君ですが、
吉野家内でグングン頭角を現して出世し、
アメリカへ渡ってUCLAまで通わせてもらって、
アメリカ吉野家の社長を務めた後、勇躍帰国。
その後は、吉野家本社の副社長まで登りつめ、
現在は、「藩」や「糸ぐるま」「CASA」などをチェーン展開する西洋フーズ・
コンパスグループという会社の社長におさまって敏腕をふるっています。


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